2009/05/11: ドメスティックバイオレンス

ドメスティックバイオレンスの加害者について
ついつい殴ってしまう、という相談について、京都認知行動療法を学ぶ会で発表してきました。

カウンセラーには何となく女性が多いと思うんだけど、男性カウンセラーであるからか、病院勤めしていたころから開業に至ってからも、「暴力をふるってしまう」という相談が来る。
そんなに多くはないけど、思い出せるだけで5,6人ぐらいはいるような気がします。

「ついカッとなって彼女に手を出してしまう」とか、「つい奥さんを殴ってしまう」など、ドメスティックバイオレンスで殴る人の相談です。

どちらかと言えば殴られている被害者がカウンセラーのところに相談に来ることが多く、DVシェルターなんかにも心理士がかかわっていることはあるだろうから、そういった被害者支援はそれなりに充実していると思う。

しかし、DV加害者に対してはほんの少ししか情報も支援もない感じがする。

そんなわけで、「殴ってしまうという悩み」に関して、何人かカウンセリングをしたことがある。その件で京都認知行動療法を学ぶ会で発表してきました。

井上一臣先生曰く、「男性が殴られているのかと思った」とおっしゃっていたけど、殴る方が相談に来るというのが皆さんに今一つピンとこなかった様子です。そんなにレアな事もないと思うけど・・・。
あるいはアルコール病棟に勤めていた方からは「アルコールの問題と絡めて暴力はよく出現する」と発言があった。

いや、まあどちらかと言えば、アルコールもギャンブルもその他衝動系の行為もなく、普通に仕事をしていて、むしろ仕事ではきっちりしてるぐらいなんだけど、家では家族を殴ってしまう男性の話です。

精神鑑定南下をされている先生なんかは「ジリベンシキノウリョクと行動制御能力」はどうでしたかと質問されていて、行動制御能力はわかるけど、ジリ・・・何その呪文??と思ったのだけど、「事理弁識能力」ね。
行為の後でもなく、先でもなくまさにその時に「殴ったらいけない、怪我する」などと判断できていたかどうかですか。うーん、それはわからないなあ。鑑定では重要なんだろうけど、・・・。

京都の勉強会はわりと病名とか病理とかの話しになりやすい傾向があるんだけど、まああえて言えば「特定不能の行為障害」かなあ・・・。まあそんな病名を付けたところで、カルバマゼピン(テグレトール)が効くでもなく・・・って感じですが(笑)

ある先生は「僕ならこんなやつには教育というか、説教するね!!」とおっしゃってましたが、それをしたところでその人が変わるとかではなく、たいていは面接の中断を招くだけなのでやらないですけどね。
でもフロアも含めて、発表内容にかなり”イラっ”としていた感があります。発表していた私ですら、面接中の自分自身のイライラに気がつくぐらいです。
殴る人の殴る相談を前に逆転移をせずに済むということは、カウンセラーの持つ倫理観からして不可能なので、それに気づいて、それなりの節度を持って抑えていく以外には無いなと思います。

逆転移とか言っちゃったよ・・・。

もうひとつは、殴る以外のところでもその人にとってそれなりの理屈(パデスキー先生でいうところのGood Reason)があるわけで、その中にはやはりそれなりに共感できるところもあるので、そのあたりでやっていくのがいいのかなと思います。

面接自体は「思考の回避と曝露」あるいは「乖離」というテーマで流れて行くんだけど、まあこれも精神分析的には直面化と言えなくもない。

いずれにせよ私が気にしていたのは、殴る本人の「反省する」という行為の無意味さだ。よく殴る人は反省したり、そのあとで返ってやさしくなったりするけど、それって意味がない。意味というのは反省する必要がないということではなく、反省することが殴るという行為の制御と直接関係がない。
なぜなら反省している本人と殴っている本人はそんなに意思の疎通ができていないからだ。

もう少しいえば、反省モードに入ることと、殴るモードに入ることは、何かしら同じくズレた行動だと言える。

まあ、そんな感じの発表でした。認知行動療法の発表なのかどうかは、怪しいところでしたね。
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投稿者: 西川公平
2009-05-11 12:45
カテゴリー: 様々な困りごと

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