解離(乖離)性障害について、思ったことをだらだらと書きました。
乖離(かいり):dissociationとは、本来は密接に関係しているか、またはそう在るべき2つの存在・事象・概念・数値が、離れ離れになっていること、またはその状態を指す(by wikipedia)
乖離性障害という困り事があって、記憶や同一性などがポーンと飛んでしまったり、当然できるはずの事が出来なくなったり(歩けなくなる、しゃべれなくなる等)、なんとなくぼやーっと幕がかかったような意識状態というか、刺激が遠くに感じたりする(話を聞いててもちょっと遠くから聞こえる感じ、すこし自分そのものとはずれている感じ)困り事なんだけど、割合感覚的な違和感が多い。
これががっつり進行すると有名な「乖離性同一性障害」という、俗に言う「多重人格」になってしまう。
判りやすいカウンセリングや心理教育のために、乖離という状態が健康な人におけるどんな状態なのかを連続性のあるものとして説明すると、たとえばボーっとしながら誰かと受け答えしていて、後日「あれ?私そんな事言ったっけ??」みたいになったとすると、そのボーっとしながら話していたのは乖離していたという事になります。他にも良くある乖離は、酔っ払っている時とか、寝ぼけている時とか、いずれにせよ一般的に覚醒水準が低くなっている時に体験されると思う。
しかし、まあ乖離という困りごとを持っている人は、いつももボーっとしているというわけではないのです。
むしろその逆で、いつもピンと張りつめて、あれこれ忙しく頭の中でやり取りしている人が多くて、その忙しさの余りマイクロスリープじゃないけど、覚醒が緩んでしまう時がポンポン出てしまうんだと思う。
だから、強迫性障害の人で、とくに強迫観念も思考だし強迫行為も思考だしという観念優格の人なんかは、頭の中が忙しすぎてちょくちょく乖離しているって人を見かけます。そうでなくても、強迫行為の真っ最中で雅に何度も洗ったり確認したりしている時って、結構乖離がちになっているように思える。
洗ったんだっけ、洗ってないんだっけ?とか、確かめたっけ、確かめようと思ったんだっけ?てな感じです。
いや、でもまてよ?強迫+乖離の人は、乖離してしまう不確かな自分を何とか確定したいと思って、強迫行為にいそしんでいるという解釈も成り立つなあ。
ま、どっちにしても強迫の方の乖離は強迫に介入していけば、それなりに頭にも余裕ができて勝手に治っているという事が多いけど、もうちょっとピュアな乖離の人はなかなか難しい。
その時は、とりあえず「この人が頭の中で何を忙しくやり取りしているんだろうな」という事が判れば、その辺りに介入の余地があると思う。ターゲットが定まれば認知再構成でも、暴露反応妨害でもなんでもどうにか介入できる。
昔みた人は、自分のする行為や喋る内容が”はたしてそれで良いのか?”ということを一挙手一投足、まさにありとあらゆる言動行動について吟味しまくっているという事で、脳を忙しくしていた。そりゃあ乖離も起こるわな。
なんというか、この「自分の行為が正当かどうかの疑い」ってのは、わりあい良く見られる。
あーでもやっぱり、乖離しているからそうやって確定させようとしているという解釈も成り立つなぁ。どっちでもいいけど。
また、たまにすごく嫌なエピソードを持っている方で、その嫌なエピソードを「ちょっと脇に置いておきたい」みたいな感じで乖離されている人もいる。たとえばちっちゃい頃によく殴られていたとか、レイプされたとか、DVを受けているとか・・・etc.
そういう人の場合、ちょっと観念的なんだけど「切り離しておくことによる安全策」を取っているわけで、その切り離すのを軽々につなげようと試みることはちょっと危険だと思う。本人の生活も治療も不便だけど、入院とかよっぽど守られた状況でない限り、つなげていくのは後回しにしている。Awekeness:目覚め現象とか起こって、ActingOutが起こるのも怖いことだし。
またたまに、現在進行形でとても嫌な状態が続いている(今も殴られ続けている、など)の場合は、そもそも心理的なアプローチ事態がナンセンスなので、むしろ危機介入というか社会的な介入の方がよっぽど大事だと思う。
乖離そのものにどうやってアプローチするかと言えば、・・・・・それは難しい。
きっとそういうことを得意とする人もいるんだろうけど、私にはその技術が無い(んでもって、こないだ「そーゆーのが得意だ」と吹聴していた心理士さんは、そもそもカウンセリングがかなり下手そうだった。)
私の中ではむしろ乖離とは、どっちかっていうと身体症状や気分("痛み"や"悲しみ"など)に近いもので、直接アプローチの対象にならない。
それでまあ例によって、その乖離現象と関係がありそうな「認知」や「行動」を扱うわけですが、これはもうビリヤードで言えばクッションを使うようなもので、それに当たって、それがそれに当たってという当て推量にすぎない。
これも以前みた乖離してた人で、その人は日常的にとても親族ともめていたので、とりあえず当て推量でそれらの対人関係に焦点を当ててやったら、件の対人関係は良くなったけど、乖離はそんなに変わらなかった。そういう人もいる。
まあ、周囲との対人関係が良くなるに越したことはないから、とりあえずそれでそれで損ではないんだけど。
あるいは、スカッと当たって、上手く乖離も収まってくれる場合もある。でも残念な事にそれは狙ってやってる事じゃない。偶然だ。
正直なところ、ストレスマネジメントにも似て、あれこれ本人のストレスを軽減しているうちに良くなるなり、本丸が見えてくるなりして、何とかなっている事が多い。
というか、「この人の本丸はなんだか全然わかんないな・・・」って時に、ストレスマネジメントをすることが多い。DSMの典型例的な人って、実際そんなにいないからなあ。
心的外傷が大好きな人々にとっては、また別の解釈があるかもしれないけど、それには詳しくないし興味もないです。
古式ゆかしい「狐憑き」なども、この類の一種になるんだろうか?今は無くなってしまった病気なので、私は見た事が無い。
そんな事を書いていたら、その昔学生時代にdissociationとsplitの違いについてあれこれ発表したことがあるのを思い出した。懐かしい話だ。
学生時代の発表の結論として「dissociationなんてない」と個人的に思ったんだけど、発表聴いてた先輩が「私が歯医者でいつも隣に立ってるみたいになるのって、乖離やったんやなー。謎が解けたわ」と言ってきたので、混乱しました。
どうでもいいけど、乖離を解離って書く場合が多いですね。どっちが正式なのか知らないですが、乖離という字の方がカッコよさげなので、いつもそっちを使っています。