認知行動療法とは何かについて、どう説明すると意味があるかについて
〜福井CBT研修会より
何かと福井県に縁があって、ちょくちょく勉強させてもらいに行っています。
嶺南と敦賀で隔月で開かれる勉強会に参加しているのですが、このたび嶺北は福井市でも研修をやって欲しいとの依頼を受け、頭をひねっているわけです。
なんせ5時間の研修で、5時間という時間の尺がもう一つつかめない。
ちなみにかつて敦賀で「不安について4時間しゃべって欲しい」と言われた時も、結構びっくりした。
「不安障害についてですか?」と聞き直したのだけど、「いえ、不安です」と訂正されたので、腹をくくって不安について4時間しゃべる事になったけど、たしかに4時間しゃべってみると、もう1時間ぐらいは喋れそうな気がする。
今回は認知行動療法とウツについてなので、2時間ずつしゃべってもまあ何とかなるかな。
私は認知行動療法しかできないので、認知行動療法をやってと言われれば「OKやりますよ」となるわけだけれど、「認知行動療法とは何か説明してくれ」と言われると、それはそれでなかなか難しい。例えて言えば自転車の乗り方を説明するのに似ている。できる事と説明できることは別だ。
「来た球を打てばいい」と言った伝説をもつ長嶋監督風に言えば、「来た相手に合わせて、良くなるに必要な認知や行動を、適度な感じに介入しつつ、本人に変えていってもらう」となるだろうか。しかしそれは説明とは呼ばない。
もちろんテキトウに説明する事は出来る。何々障害にはこれこれこういうやり方を使って下さい。思考記録表はこういう点に注意してこうやって書いてください・・・etc.
しかしまあ、それもあんまり説明になっているとは思えない。視覚障害を持った方がゾウに触ってるみたいなものだ。
滋賀でCBT研修会を開いた経験からすれば、来ていただいた各先生はそれぞれ独自にCBTを語った。それはつまり、それぞれ独自にCBTをこなしているということだろう。
実は先日も書いたようにホームページを作りかけているんだけど、そこでも同じような問題が発生している。すなわち”認知行動療法とは何か”について語る部分をどのようにまとめようか、考えあぐねている。
そういう意味では、この研修会が終わった後では、ホームページのまとまりも見えてくるに違いない。一石二鳥だ。
そんなこんなで頭をなやますGWを過ごしています。