2019/06/23: 第115回精神神経学会in新潟 参加記 西川

新潟で開催された第115回精神神経学会に参加してきましたので、その感想などを書いています。
ただひたすら、ダラダラ長いです。

精神神経学会というのは精神科医達が一堂に会する学会で、あんまり良くわからないけど、多分指定医とか、認定医とか、そういう資格ポイントを稼ぐためには来ないといけない学会なのかな?
それを宗教に見立てると総本山です。見立てなくても総本山です。
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ちなみに、去年に引き続きの参加です。第114回精神神経学会参加記はこちら





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今回の学会では、染矢会長がすごい力を発揮して、1300題を超える演題をかき集めたとも小耳に挟んだ。

ちなみに発表の中には心理療法に関する演題もいくつかあって、数えてみたところ認知行動療法系41(認知行動療法18,マインドフルネス6,SST5,弁証法的行動療法3,行動活性化2,アクセプタンス&コミットメントセラピー2,行動療法2,暴露療法1,応用行動分析1,スキーマ療法1),森田療法11,精神分析8,対人関係療法4,その他トラウマ焦点化療法5の、合計67だった(一部重複あり)。
約5.2%も心理療法の演題あるなんて、統計的な有意水準を超える勢いで思ったより精神科医って心理療法に興味があるんだな。

まあでも、その御蔭か、以前に参加したときより、私のようなコメディカルにとっても過ごしやすい、適度に隙間の空いた学会になっていたし、プログラムの幅も広かったように思う。
私が存じてないだけで有料の託児もあったらしい。
あと、しょーもないことだけど、ランチョンセミナーがなかったのも良かった。医学系の学会に行くと時々業者がうなるほど金出してる時あるけど。

まあ、以前は近くであったから行ってみただけで、発表もしなかったし、ちょっと退屈ではあった。
今回は「憑依再考」という香ばしいタイトルのシンポジウムに混ぜてもらえたので、それなりにエキサイティングではあった。

驚いたことに、会員でないものが発表する時は招待扱いになり、参加費が無料であり、交通宿泊費が出て、謝礼が出て、タクシーチケットが出た。これは心理の学会ではあり得ない待遇だ。
今回だけがそうなのか、いつもそうなのか解らないけれど、それだったら医師はコメディカルを誘ってシンポジウムをする際に、すごく誘いやすいと思う。

あと、なんか、精神神経科診療所協会の学会も22,23にあるらしくって、ちょっとかぶってるのが、あれなんかCBTでも似たような。。。

さて、滋賀から新潟に行くには、飛行機、新幹線、夜行バス、自家用車の4種類がある。それぞれメリットデメリットが在るが、交通費が出るということは高い飛行機一択!
と思いきや、当日取ろうとして飛行機はもう無かった(当たり前)ので、新幹線で行くことにした。東京経由で片道5時間強。
いつか北陸周りもできるんだろうか?と思ったら、金沢まで新幹線が来てる?あれでも上越までしか行かない?・・・6時間弱で行けないことはない。

行きの電車の中でちょこちょこと仕事をしたり、シンポジウムの資料を手直ししたりして、・・・・新潟についたのは22時過ぎ。
降りたところで、突然声をかけられて振り返ると、まさかの神村栄一先生がいるww。
なんか前来たときとあれこれ変わっていてよく分からない新潟駅を案内してもらいつつ、よもやま話をしつつ、別れた。

今回の学会には神村先生も田中恒彦先生も発表しないらしい。
てことは、きっとあまり仲良くないんだろうな・・・とか思いつつ、まあ精神科医の世界と心理の世界が交われないのはどこの地域でもあることやな・・・とか思いつつ、今回私が参加するにしてもそーゆーのの架け橋になったり生贄の黒ヤギになったりはせんからな・・・とか思いつつ、ホテルにチェックインした。
今回の宿はBOOKINN新潟という、本棚の隙間で寝るみたいなsituationに萌える宿で、いわばDormitory:木賃宿なんだけど、三日間楽しかった。

到着時刻が遅いので、一応駅弁を食べてきたけれど、なんかちょっとつまんだり飲んだりしようと、予め田中先生に訊いておいたお勧めのお店をGooglemap上に保存したものを開く。
近いのは・・・えびす鯛か。新潟の海鮮と日本酒を頂く。上手い!そして安い!
いい気分になって帰る。後で知ったけれど、有名なお店だからか、同じ店内に知人たちもいたらしい。


さて、学会一日目。バスに揺られて朱鷺メッセに向かう。
臨時バスが出ているぐらいに人数集まるらしい。なんというか、精神科医が満載のバス。
もしここで何か事件が起こったら・・・、特になんかの役に立つ感じではないわな。
そんなアホなことを考えながら、会場へ。
初めてきたけど、なかなかだだっ広い会場で、そこかしこにポスターが張ってあり、プログラムも充実している。

受付などを済ませて、まずはシンポジウム10【実践!双極性障害の対人関係社会リズム療法入門明日からできる、つまみ食いIPSRTのすすめ!】という「!」が2個もついた奴に来てみた。
CBTとの比較もあって割といい話だった。
IPTはどんな心の困りごとであっても「対人関係と感情」の側面から取り扱ってく。
話を聴いてると「さすが精神分析出身」と思わせるタームも多いが、一方でCBTとも似ている部分も多々ある。
IPTで使う技法は寄せ集めで固有のものはない!と言いきってはって、潔い。
質疑でCBTとの使い分けについて質問したら、割と盛り上がった。
自閉スペクトラムや強迫症や物質依存には効かない、とこれまたはっきりした答え。
何に効かないかはっきり答えられるというのが、エビデンスに基づいている事の一番良いところだと思う。
ご発表にて「IPTをやり始めた事で、診察で曖昧・抽象的な一般論を述べてたのが、具体的に思考や感情にアクセスして、対人交流を促せるようになった」というのも印象的だった。
対人関係療法は、治療者/患者の対人関係(転移)を用いるので、その辺りのトレーニングにもなるんだろう。
「一方でCBTは治療者/患者関係というものは、治療者の力量に丸投げされている」と批判があり、それはまあ、おっしゃる通りですね。
そこのトレーニングは大事とされつつCBTそのものではない。IPTではIPTそのものが対人関係のトレーニングな所がある。
あとは、「IPTに基づく対話を通じて、患者さんが変わっていく手応えを感じる」という感想も仰っていて、印象に残った。

まあでも、IPTする人は、そもそもCBTも好き、みたいな話もフロアでしていた。
「患者さんの事を良くしていこうと、エビデンスを参照しながらアレコレ取り入れてやってくスタイル」って言えば、まあ一緒やからな。
ついでに普及とクオリティコントロールのバランスって難しいよねーみたいな話をしつつ、立ち去った。

次はシンポジウム18【ICD-11に収載された複雑性PTSDの理解と治療-トラウマケア技法の実際】に向かう。
なんと、シンポジウム18は部屋がいっぱいで、廊下まで人が溢れてて入れない!
何というか、みんな困ってるんやなぁという感じはする。
でも無理やり前から入って、無理やり通路に座る。

ホログラフィートーク、USPT、スキーマ療法、ブレインスポッティングという組み合わせ!ある種の百花繚乱!
個々のトラウマセラピーのグル達が集まってるから、プレゼンテーションはなかなか上手い!
そして、必ず研修会の案内をする!日程も被る!

司会の松本先生の仕切りも上手いし、気持ちを掴んではる。
「我々の診察室には、困難なクライアントさんがものすごい数詰めかけてくる。診察室の外には重厚な鶴翼の陣が如かれている。それをなんとか今日一日乗り切ろうと、乗り切るぞ!とただそれだけを心に誓って、魚鱗の陣で小さくなりながら、ただただ突破を試みている毎日だ。」
という話はめっちゃウケてた。

ホログラフィートークは、まあ何というか、身体感覚をキッカケに、ちょっと催眠入れつつ、トラウマ場面の自分に退行しつつ、ヴァーチャルマトモな大人を降ろしてきて、上手いことさすし、どーにもならんならお焚き上げする的な治療法。
私も何度かそれっぽい事したことある気がするけど、確かに手軽。

USPTは、特にパーシャルなDIDをすくってはくっ付けて、、、と手っ取り早くやってく治療法。
練り消しをくっつけるが如く、ちゃっちゃとくっつけて行く。
セッションの動画もあって、インパクトがデカイ。スライドのアニメーションもむちゃくちゃ凝ってる。

で、我らが?スキーマ療法。まあ、認知療法ですね。
実の所どの話も一回ぐらいは聴いたことある中で、スキーマ療法についてはちゃんと聴いたことないと分かった。
「治療的再養育」として傍でセラピストがまともな大人モデルとして振る舞うという感じなのか。むむむむ。
確かに「スキルトレーニング」は不可欠なんだけど、それが「再養育」という言葉になると、ちょっとアレルギー反応が出なくもない。
まあでも、逆にある意味「再養育」というタームが大好物の人たちにとっては、むしろCBTのエッセンスを取り入れる良いツールになるのかもしれない。趣味が分かれるところだ。
そしてスキーマ療法は、他の療法のプレゼンに比べてコスパが悪い。
いやでもきっと、他のセラピーはチャンピオンデータ持ってきてるに違いない!とか言うのも大人気ないし、エビデンスがーとか言うのも阿呆らしいし、微妙な気持ちにさせられた。
まぁ、どうなんだろう?スキーマ療法がと言うより、複雑性PTSDに真っ当にCBTしたら、アレコレ扱う部分が多々あるから、地味にやってくと、どうしたってそうなるとこある。
スキーマ療法のコスパが悪いと言うか、むしろ複雑性PTSDそのものが、時間かかるような。
でも、時間かかるというのがセラピストの勝手な思い込みで、その思い込みが回数を重ねてしまっているんだとしたら嫌だなとも思う。
まさに複雑な思いだ。

少なくともCBTは「とりあえず目の前に迫った危険や困りごと」とか、「取り組みやすくて変化が目に見えるところ」から常識的に取り組んでいく。
ということはつまり、複雑性PTSDにおいてトラウマ処理はどっちかと言うと後回しの方になる。
それがコスパを悪くする一因なのだろうか?
じゃあトラウマを処理しさえすれば、種々の情動調節困難やスキル不足も、何もかも解消されるのか?って言えば、元々健康ならYESとは思うんだけど、複雑性PTSDでは、うーん、どうなんだろう?
逆に、明らかにトラウマ在る人で、日常生活整えていったら、それで結構すっかり良くなる人もいるからなぁ。
スキーマ療法は、まあいわば認知療法がベースの一つなので、聞きながら私の中の自問自答が長かった気がする。

最後はブレインスポッティングの鈴木先生。
うーん、前聞いたときも思ったけれど、プレゼンテーションが他のグルに比べて上手くないというか、信用させるつもりで話していることで信用を失っていると言うか・・・。
まあでも、動作法とか肉体的治療サイドの人って、話は上手じゃないって事あるしな。
誰かちゃんと批判的に吟味してくれる人を捕まえて、疑り深い精神科医相手にも通じるように内容をブラッシュアップしたほうが良いのになと思った。
さて、それぞれのセラピーが複雑性PTSDをどう捉えているかの説明をするのは、被っているような、それぞれの立場や態度が分かるようでもあり、でもまあ時間が無かった。

このシンポは"去年は蹴られた"らしいので、複雑性PTSDの概念も治療も、生物学的精神医学全盛の昨今、受け入れがたいとこあるんやろうな。

最後、ホログラフィートークの嶺先生が「C-PTSDに対する治療法などが活躍しない世の中にすることが一番大事だ」とおっしゃってたのが、本当にそうだなと思った。
コスパ的に釣り合わなさすぎる。

指定討論の植村先生は、言おうとしてたことを鈴木先生に取られたとかおっしゃってたけれど、指定討論なんだから前もって資料提出させとけよと思わなくもなかった。
そんなわけで質疑応答の時間がなくって残念だったけど、私が聞こうと思ってたのは、「他のグルに弟子入りするとしたら、それぞれの演者は自分以外のどれを希望しますか?」って質問したかった。

最後に司会の松本先生が「皆さんも時間もないし自分でやろうとか思って研修会に行くんじゃなくて、紹介先として確保する人脈を作るつもりで参加してください」とか信者形成のお手伝いをしていて、いろいろ長けた人だなと感心した。


昼ごはんは、会場前の屋台村みたいなところにある「青島」とかいう醤油ベースのラーメンを食べる。それなりに美味しい。でも混んでるな。

昼からは、数少ない知り合い医師とロビートークしたり、あれ?田中先生来てたの?ってなったり、オープンダイアローグと称する発表を聞いたりして過ごした。
大型学会なので、毎時間17題のプログラムが走っているという中で、あれこれ目移りしてしまう。
しかも口演の1題聞いて次に行くには、まあまあ会場広い。

夕方からは、シンポジウム30【過眠は神経症状か、精神症状か】に出てみた。
心の病気の問題になると大方「不眠」ばかりを問題にしてるけど、臨床上問題になってくるのはしばしば過眠で、不眠なら睡眠薬出すとか対処あるけど、過眠の対処法ってあんまりないよね。
でも、不眠が残遺していると気分障害の予後が悪く再発リスクが高い様に、過眠も残遺していると不眠と同等以上に良くないんやで、みたいなことを学ぶ。
あるいは、不眠にもsleepmisperceptionがあるように、過眠にもあるんだとか、きちんと睡眠衛生指導した上で、アセスメントして、モニタリングして、然る後に診断しましょうとか、まあ当たり前のことを学ぶ。
なんと、私のCBT-Iの研究のことが取り上げられたので、ちょっとびっくりした。

それはさておき、CBT-Iで言えば、過眠に対する対処はなんといっても、モニタリングと行動活性化。
だけれど行動活性化については言及がなかった。薬物療法的にはアリピプラゾールを1mgとごく少量入れると過眠がマシになる的なトリビア?が得られた。
タイトルの**は神経症状か、精神症状かって、別に過眠じゃなくてもいいのよね。
まさに精神神経科という学会名の持つ微妙な矛盾点をチクッと攻めてる感じのタイトルとも言える。

さて、プログラム終了し、OFFの予定は何もない。
バスに揺られて新潟駅に着くと、、、何故かそういう隙を完全に突いてくる男、青木俊太郎がいる。
え?なぜここに?てか、いつもいない?「飲みに行くんですけどどうですか?」「あ、じゃあ、お邪魔します」みたいな感じで、プラス見知らぬ二人と飲みに行く。

スポーツ心理における認知行動療法はまだまだ全然普及してなくて、大体のところ精神分析が幅きかせてるらしい。
ブルーオーシャンが広がってるなんて、素晴らしいねーとか、適当なことばっかりしゃべる。
なんというか、見知らぬ人との飲み会は、気が置けなくていいな。二軒ほどはしごして、まだラーメンを食うと言う彼らを残して宿に帰る。
やたらと寒い、さすが新潟。
とか思ってたら、これは、本格的に悪寒がする。やばい。頭痛も酷い。

ホテルに着くも、体温計がないとのことで、とりあえず毛布を何枚も重ねてちゃっちゃと体温を上げる。
うーん、体感38.5℃ぐらいかなあ?
これを明後日の本番までに下げなあかんのか・・・。
しかし、幸いBOOKINNだし、これを機に読んでない「荒川アンダーグラウンドブリッジ」でも全巻読むか。

という感じで、2日目は大体のところ寝て過ごしました。

そして3日目。
風邪のせいで喉が死んでるし、咳も出るけど、体感的には37℃台になってる気がする。多分大丈夫。
とりあえず委員会シンポジウム26【公認心理師との協働と『医師の指示』】に出席した。
よその職種が心理職について話すのを聞くのは楽しいな。

1人目の先生は、先ず「公認心理師の法やあり方が、いかに医師の立場から見て危険か」というお話を、精神神経学会が去年出した声明文に則って高らかに宣言された。
まあ、何というか、確かにあの声明文はインパクトあった。
近年アレか丹野先生か、という勢いで!

声明文に関して感じたことを言えば、
「心理は身体の病気が分からないから、心理だけで完結してはならない」
という論調は、ハッキリ言って諸刃の剣で、小児科や整形や内科から心理への直接依頼があれば、結局精神科医としての専門的見立ての必要性の"無さ"を浮き彫りにしちゃう。

そこは「心理は"心の病"が分からないから」と嘘でも言って欲しかったというか、精神科的見立てのプライオリティを、精神科医自身が主張しなくて誰がするんだよ、と思って見てた声明文でした。話は逸れましたが。

次の先生は精神科医と臨床心理士のダブルライセンスの方。
冒頭からどっちの気持ちも分かる、とバランスを取られる気遣い。
臨床心理士の中には「医師の指示が嫌だから、公認心理士取らない」とか、「大学の相談室に発達検査の依頼があっても、それが医師の指示なら引き受けない」とか言う人もいると、対立の物悲しさを語られるとこから始まった。
一方で「臨床心理士は説明責任(アカウンタビリティー)というものが、その資格の中で言えてきていない」とか「臨床心理士のお仕事は他職種と違って特殊なのだ」と独自性を唱え過ぎて、実際どこでも浮いた存在になってる場合が多々あるという批判も仰ってた(少々意訳

いずれにせよ、我が国の臨床心理士というのは、各国の科学者実践家モデルに基づくクリニカルサイコロジストとはかなり趣が違って特殊なんだと。
1980年頃に京大九大東大に有料心理相談室を作って、それが教育のあり方の雛形となってるなど、教育系の方向から発展してきている。
それらの経緯から臨床心理士の独自性は過度に強調されて、「診断や治療」というものと対立する方向性で進んできている。
医療・医師からすれば生命維持の観点から見てできるだけ素早く診断を付けて介入開始するという教育を受けるのは当たり前だが、臨床心理士にはそういった発想そのものがない。
それら臨床心理士の特異な教育体制からくる様々な弊害を鑑みて、公認心理師では学外実習がかなり強化されているという事らしい。
ただ、1つの大学でそれなりに違う資格過程を二本走らせることは大変だとも。
あー、まあ要するに、公認心理師推進派のご意見でしたって事ですね。

私は自分の事を推進派とも反対派ともカテゴライズした事なかったけど、丁度いい機会だし考えてみよう・・・・・・・・・まあでも結局は公認心理師取ったんだから、推進派である事は否めないよね。

それはさておき、3人目はリエゾンの先生。これが一番面白かった。

リエゾンの視点から見ると「主治医の指示」はまた変わった趣を呈してくる。
このリエゾンコンサルテーションにおける協働の観点から見ると、主治医→心理→患者の流れは、古くて治療成績が振るわない形に過ぎないと。
メンタルヘルスの改善だけではなく身体疾患の回復も同時に考える必要がある現場になると、コラボレイティブなケアこそがどちらをも含めて回復させる在り方だ、と。
と、言いつつCBTだけはコラボレイティブじゃなくとも、ちゃんと身体疾患も回復させてた。
ただ、リエゾンでは身体科の治療の(もっぱら保険点数的な)スピード感に、心理も併せていく必要があるし、そのプロセスの中で「医師の指示」のあり方が共同的に検討されていくべきという、もっともなご意見だった。

4人目は、我らが?伊藤絵美先生。
開業で仕事をしてて「医師の指示」を取る事は当たり前にやってる事過ぎて、そこに違和感を見出す事が出来ないと。
そこに違和感を覚えないのは、そもそも「私は臨床心理士だ」という帰属感に乏しいからかもと仰っていた。
大抵の医師の指示は大らかで、心理の最良の幅が大きいように、「めやす」レベルのものが降ってくると。
それは確かにそうで、精神神経学会の声明文の内容をFULLに加味した情報提供書を観たことがない。
医師もそんなに暇じゃないだろうしね。
そういう意味では、「今既に現実的に交わされている情報提供書ベースで、現実的に考えていく」てのが、いかにもCBTだと思う。
残念なのは、そこは直近100枚の「医師の指示」をまとめてデータで示して欲しかったってこと。
まあ、95枚が「認知行動療法お願いします」だと思うけど、データで!と思うサガ。

指定討論の先生も精神科医と臨床心理士のダブルライセンス。
両者の意向の違いをまとめておられるところで、次のシンポジウムの打ち合わせで離席した。
中身聞いてないんで、ほぼ印象だけど「ダブルライセンスは蝙蝠」というか、それが近ければ近いほど、実験神経症的にになる気がする。
まあ、精神科医と臨床心理士はそれほど近くないんで、ダブルライセンスがあれば、それはもう精神科医なわけだけど。
そんな訳で公認心理師と臨床心理士のダブルライセンスの方々はどっちに行くんだ的な塗炭の苦しみ乙です。

一コマ出てみたけど、まあ咳もコントロール可能だし、ふらつきもないし、なんとか行けそうな感じ。
昼ごはんを選ぶ気力もないので再び青葉で食べて、シンポジウム会場に向かう。

そんなわけでシンポジウム85【憑依再考―DSM-5時代の精神医療と霊のナラティブ】
会場Bはなんというか、でかいホールに区画が切られている状況で、我々の発表におけるバウンダリーの曖昧さとマッチしている。
司会は宮岡等先生、黒木俊秀先生と、なぜこの司会を引き受けたという勢いで押しも押されぬ良識ある精神科医。
このシンポジウムの企画者は去年C-PTSDのシンポ落とされたらしいので、せめて司会はちゃんとした人にしようとなったらしい。

その見込みはバッチリで、シンポジウムの最中常に上手にユーモアを交えつつ、憑依現象を時に茶化したり、ときにコミットしたりと、聴衆という現世とのつなぎを巧みに舵取ってくれていた。

しかも念には念を入れて、占いで一番いい日を選んでシンポジウム趣旨の投稿日を選んだ。蛇の道は蛇というやつですよ。

もう最後のプログラムということで、結構人も帰っているだろうに、フロアには続々と聴衆が集まってきている。
え?このタイトルで、こんなに人来る?っていうぐらいに来る。
なんて物好きな!

日本の憑き物研究の第一人者大宮司先生は、諸般の事情で出られなくなった。
私も突然発熱した。
地震も起こった。
ちゃんと不吉な要素は揃っているということで、演者の一人が魔払いの儀式をしている。

一題目、「リソースとしての憑依の利用「基本編」―憑き物に積極的な価値を見出すことによる祓い―」というタイトルで蒲生裕司先生がご発表。
蒲生先生は存在自体がユニークなので、抜群に笑いを取る。
「憑く・憑いた」という言語行動が、環境においてどのような機能を持っているかを考えながら、一方でその表現を大切に患者に合わせて治療を展開していく、応用行動分析のお手本のような症例報告だった。

二題目、「バウンダリーの曖昧さと取り込み像―映像で見る解離性同一性障害の治療―」というタイトルで新谷宏伸先生がご発表。
パワーポイントプレゼンテーション技術の粋を見せつけられる。
解離性同一性障害の亜型分類について解説しつつ、USPTという部分的な解離を融合してく上で最もコンビニエンスな技法を紹介しつつ、症例も動画で提示しつつ、解説しつつ、研修会の宣伝もするという、全部入り大。

三題目、「リソースとしての憑依の利用「応用編」―現代社会における憑依生成と離脱」というタイトルで私の発表。
20分喋ってみると、全然声が出ない。
咳の制御にもいくらか持ってかれてるし、出せる声色の幅が恐ろしく狭い。
仕方なくマイクのめっちゃ近くで、めっちゃ小声で拾わせる作戦でいく。

私の発表は、要するに憑依が図なら、地があるわけで、そのような地があれば、図も作れるし、作ったほうがむしろ利用しがいがあるよね、という内容。
「カワイイは作れる」じゃないけど「ヒョウイは作れる」がサブタイトルだ。
憑依があるとかないとか、本物とか偽物とかの話より、治療にどう活かすかということこそが本質的だということを、普通の認知行動療法の中で示した。

四題目、「憑依の霊的治療と心理的治療」というタイトルで東畑開人先生がご発表。
何らかの生きづらさが形を表す時に、どの方向から光を照らされるかによって、できる影の形も変わってくるのだという内容。影のことを話題にしてるばかりじゃなくて、自分が何色の光を当てているのか無自覚であってはならないという提言。

四題の発表がつつがなく終わり、指定討論の大宮司先生の代読を司会の黒木先生がされる。
そして、フロアからの質疑応答。
なんというか、シンポジストのみんなが息ぴったりに、言いたいことを好き勝手言う。
いや、完全に好き勝手ではないと言うか、ある種のバウンダリーは保たれている中で、そこから漏れ出すものでちらほら笑いを取るという構造。
司会のお二人の先生の場を回す力量が確かなので、十分に安全マージンが確保されているので、遊べる。

フロアからの質問も結構活発で、それらに触発されてシンポジストたちもたくさんしゃべる。
一つ覚えている質問は、医療人類学の先生から「憑依を得て救いとなるナラティブな文脈」についての話だったが、それこそ現在それは憑依でなくても「うつ病」で事足りているという返したら、「とある会社で複数人のうつ病になって病院に来る人が、みんな口々に同じことを言うんだ」などと言われたので、「もうそれは、会社が憑いています」と答えた。
要するにブラック企業で過労死するとかは、地としての力量十分、現代社会の憑依現象多発地帯なんだよ。
事件は会議室で起きてるんじゃない!風に言えば、かつて村社会と共にあった狐憑きは論文の中の絵空事じゃなく、現代の企業村の中で様々に憑いているんだ!
でもまあ、それもまた、セクハラやら、パワハラやら、働き方改革やら、人間関係の密度の濃さに対する警鐘は唱えられているワケだから、いずれにおいても消えゆく話なのかもしれない。
後は、クライアントの「憑依」という状態に演者たちが引かないで踏み込む姿勢があって良いと褒められたような気がする。
まあ心理療法は、沼にハマっている人の頭ごなしにああしろこうしろと言うものではなく、自分も胸元までは浸かりながら、抜け方を共に模索するものだから、それはそうだろう。
だがしかし、またいずれのクライアントたちも、一般の(まともな?)医療機関からは匙を投げられてたどり着いたという経緯が、たまたま?あったわけだから、そこはもう、しゃーなしですよね。

終わってからのよもやま話では、SNSが憑依を喰ってるというか、表アカ、裏アカ、闇アカ、、、と個別にそれぞれがパーシャルな癒しを得られる仕組みがあるのがこのご時世なわけで、リアルに邪気眼とかを混ぜ込む必要もない。
リアルはリアルであっさりと。邪気眼は邪気眼アカでこってりと。

そんなわけで、全てのプログラムが終わり、後の飲み会で反省会?はしなかったけど、東畑さんの次の本の構想を聞いたり、闇の西川が顔を出した黒歴史が明かされたり、新谷先生のパワポ講座があったり、平和に飲み食いして終わりました。
終電が来たので早あがりして、 外に出るとまだまだ明るい。
家に帰ったら1時で、ようやく熱を正式に測ったら、、やっぱりまだ熱あるのね。

そんなわけで、丸一日寝て過ごしながら、だらだらと暇潰しに書いて、長くなりました。
現場からは以上です。
また誰か、呼んでください。なんの話でもします。
投稿者: 西川公平
2019-06-23 22:59

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