2007/06/10: 強迫性障害への認知行動療法3

強迫性障害(強迫神経症)に困っている患者さんに認知行動療法のインフォームドコンセントを行う。

「暴露反応妨害法」という商品を売りこむのは結構大変な作業だとおもう。
10年越しに「それだけは嫌だ!」と思っている事をやってもらうのは並大抵ではない。
そういう意味では動機付けが一定量まで達していなければ、インフォームドコンセントを順延して、もう少し動機付け面接にコストを割くという手もある。
でもこれは微妙で、結構変わりたくって来ている患者さんの「初頭効果」みたいなものに水を差してしまうかもしれない。
「鉄は熱いうちに打て」から言うと、うーんどっちがいいんだろう?ここがいつも難しい。

もし治療における脱落(つまりエクスポージャーをやってくれない)があったとしたら、それは100%治療者の責任だと言える。
どこまで理解が入っているか、どこまでやる気になっているかという読み取りが下手で、フィットしない治療を無理やり押し付けたから脱落したのだ。
そんなわけで「上手くいきますように」と祈りながら説明するw

「暴露反応妨害法の説明」
学習理論に基づく強迫行為増加の説明と対応させて、「強迫行為を行うと一時的に不快感は減るけど、全体的に増える。
強迫行為を行わないと一時的に不快感は増えるけど、全体的に減る」という例のアレを、線グラフなど書きながら説明する。

強調すべきはコストベネフィットの説明。
一時的な不快感というコストを払うことで、OCDの軽快というベネフィットが得られるということ。コストの事を「副作用」と呼んだりもしている。
治療なので作用が副作用より大きいのは間違いないが、しかしきちんと副作用の説明をすることが、かえって信頼を築けると思う。
「副作用があるのは聴いている証拠」みたいにりフレイ民具できたとしたら、楽しんで取り組んでもらえる。

更に「もし強迫行為をしなかったら不快な時間が無制限に続く」という信念に対しても、取り組んでおかなくてはいけない。
すでにあるエクスポージャーなどで、無限に続かなかった記憶を引き出せるのであれば僥倖だが、そんなに都合よいわけにもいかない。
インフォームドコンセントでは以下にあげるような幾つかの寓話を話して、イメージをつかんでもらう。

「全力疾走モデル」
これはおおよそ全員が体験しているであろう記憶なので、気に入っている。

「もしあなたが『全力疾走してください』と言われたら、何メートル走れるでしょう?
50m?100m?1500m?
それは人それぞれですが、全力疾走する限り必ず限界が来て、立ち止まってしまいます。
それは体に走る限界があるからです。
脳も体の一部なので同様に限界があります。強迫行為を我慢して不快感が一杯の時、脳はまさに全力疾走という感じで過剰に興奮しています。
そしてそれはある一定時間持ちますが、やがて減衰していきます。
備蓄していたアドレナリン等の神経伝達物質が尽きるまで、つまり減衰までにどれだけかかるかは人によって個人差がありますが、無限に貯蔵されているわけでは無いので、やがて減衰します。
ところが、『だらだらジョギングしてください』と言われたらどうでしょう?
100mどころか、1km、5kmぐらい走れると思いませんか?
暴露反応妨害法で経験する不快感の上昇が高ければ高いほど早く息が切れる、つまり慣れてしまいますが、低ければ低いほど、減衰するのが遅くなってしまうのです。」

「砂山崩しモデル」
これは段階的暴露(ショートステップ)テクニックをサポートします。

「砂で出来た山を思い浮かべてください。ちょうど棒倒しで遊んでいるようなイメージです。
OCDの治療はこの山を少しずつ崩していくようなものです。
外側から砂を取り除いていけば、山はだんだん低くなっていきます。
ある一つのエクスポージャーをすると、そのこと自体が平気になると共にOCDの砂山そのものも若干減ってきます。
大きく砂を取れば大きく山は減りますが、大変です。
小さく砂を取れば小さく山は減りますが、時間がかかります。自分にちょうどあった量だけ、外側から砂を取り続けて下さい。
半分ぐらいまでくれば、今はとても考えられないほど嫌な刺激の嫌さも、標高が低くなって今の半分ぐらいの嫌さに勝手になっています」

「建設的痛みモデル」
毎日毎日自動的に繰り返される際限の無い不快感や不安と、治療によって確実に起こってくる強い不快感や不安を比べてみてください。仮に後者が大きそうだと思っても、その不安や不快感は着実にOCDが減っているという証であり、建設的な痛みなのです。長い目で見れば最終的に不安や不快感が無くなる後者の作戦の方が総量として嫌な気分は少なくなります。

まあ他にもあるけど、こんな感じで。
他にもあるというか、お仕着せの説明よりもその患者さんの生活実態にフィットした寓話がカウンセリング中にひねり出せるようになったほうがいい。
患者さんが小泉元総理が好きなら、痛みを伴う構造改革モデルでもいいし、パンダが好きならパンダと笹で説明してもいい。

なんせ動機づけというものは個人の内部にすでに存在している、ごく私的な学習が元だから、その辺のフィッティングが重要じゃないですかね?

やったこと無いけど、砂山崩しの絵とか、全力疾走して立ち止まってる絵とか描いてもらっても面白いかもしれない。
いずれにせよ治療的に良いイメージとか、良い寓話とか、そういったものが先行してくっきりと入っていると後々やりやすい。
そういう意味では多くの治療教科書の治療説明は、無駄に科学とか医学とか知識が過剰すぎて、サービスの意味を本質的に誤解している。
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投稿者: 西川公平
2007-06-10 15:19
カテゴリー: 強迫性障害

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