06/22: 認知の歪みとは①

認知のゆがみ(Cognitive distortion)についての話

Cognitive distortionを直訳すると「認知」が「歪んで」いるということだが、これはいったいどういうことだろうか?

認知心理学ではdistortionという表現はillusionと並んで「錯視・錯覚」などの知覚の歪みを表す。人間の知覚が本来の性質を歪めて認識するという特性を利用してさまざまな錯視図形などが作られる。
良くあるびっくり図形などは「低次の錯視」だが、本人にとってネガティブなものは見えにくく、ポジティブなものは見えやすいなどのより文化的・社会的背景に基づくものも存在する。

社会心理学ではCognitive biasというもののがある。これらは自分の認識の偏りのことで、例えば「損失回避のバイアス」というものがある。これは得をするためよりも損を避けるための方が人間がアクションを起こしやすいというものだ。

参考ページ1
参考ページ2
上の二つのページなんかを見れば、類似性を思っていただけるでしょうか?

社会的知覚や、Cognitive biasは、認知行動療法でいう「いわゆる認知の歪み」にわりと近い。

近いんだけど、・・・・一方でまったく違うものだとも思う。

そもそも社会的知覚や、Cognitive biasは、実験を経て人間に広く一般的に認められるとされた科学風の概念。
それに対して「認知の歪み」という概念は、もっと個人的な体験に基づく主観的な説明概念。

ゆえにその二つが似ているというのはヤツデとヒトデが似ているというのと同じで、形式的に似てはいるものの、完全に違う世界の話だと言える。

たとえば科学的測定ではまっすぐ見える線が、個人的に曲がって見えたとして、それを錯視とする。
それは「曲がっている」のか、「まっすぐ」なのか、何を根拠に結論をだすかによって、異なっている。
「主観的にどう見えるか」であれば、もちろん「曲がっている」が正解だし、「客観的にどう測定できるか」であれば、もちろん「まっすぐ」が正解だ。

何が科学的にまっすぐなのかの定義が行われれば、その条件下で線を科学的に測定できる。つまり科学的にまっすぐだとか、真っすぐでないとかは言うことができる。
しかしカウンセリングで扱うところの「人間関係」であったり、「ストレスであると感じた」であったりの主観的な「考え」は、測定不可能なものに所属している。したがって臨床心理学はすべて測定不可能なものに立脚して作られているといえる。
「性格がまっすぐ、曲がっている」を考えれば分かっていただけるでしょうか?
もちろん意地悪く言えば、何が科学的に性格が曲がっているのかの定義が行われれば、性格だって科学的に測定できるのかもしれない。ある意味科学とは定義のことだからだ。まあ、冗談ですけど。

ありていに言えば「認知が歪んでいる」というものも、完全に測定不可能な認知にすぎない。客観的に「歪んでいる・いない」を述べることは不可能な事象だ。同様にあらゆる臨床心理の何かは、無理やりな科学定義をしたならともかく、ほとんど非科学なものです。100歩譲っても現象学だ。

では、なぜ「認知がゆがんでいる」という概念をわれわれ認知行動療法の施術者が利用するのか?
そのメリットは何なのか?

・・・・・というところで、次回に続けたいと思う。
投稿者: 西川公平
2007-06-22 23:51
カテゴリー: 雑談

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