2012/12/27: 認知行動療法の学び方と伝える際の留意点

こんなタイトルで誠に恐縮ですが、個人的な考えをまとめます。
2ヶ月前に開催された山花塾 in 福井と、先日の小堀先生による研修を絡めて。

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山花塾 in 福井とは、山上敏子先生(早良病院)と、矢花芙美子先生(花クリニック)を講師にお迎えした研修会です。今回は県士会の単独主催で、会員の熱烈なラブコールにお応え頂き、第2回目を迎えることができました。

午前は、「オペラントの考え方と治療の実際・ケースの進め方」というテーマで講義が行われました。まず、行動療法の概論。前回同様、印象的だったのは、「行動療法は、方法として使っていく」というお話。行動療法を使う時の心得・心構えについて、再び教えて頂きました。次いで、児童の1症例を基に学びました。精力的なケース進行に、圧倒されました。そして、臨床の骨も空気も伝わるご発表でした。午後は、県士会会員が4事例をだし、コメントを入れて検討をいただきました。


もともと私は、CBTを専門としてスタートしていません。実際に働き始めてから、CBTを専門とするいろんな先生の技術研修と、他の先生のケース報告を拝聴/自分でケース報告をしながら学んできました。
各々の研修は、似たようなテーマであっても、中身が少し違う。フロアーの雰囲気も、ゆったりと笑いがこぼれる研修、誠実さが伝わり背筋がしゃきり延びる研修といろいろ。それは、先生方が普段よくお会いになる利用者さんの層や、先生方の素質?、そして大事にされている視点の違いなんでしょうね。

さて、山上先生、矢花先生による研修が、なぜフロアーに伝わるかと言えば。それは、日常用語で話して下さるためかもしれません。

知らない者に何かを伝える時、専門用語を極力少なく、かつ分かり易く説明するのは、簡単なことではない。けれど、お2人の先生は、「起こっていること・やっていることに、フィットした言葉」で、お話される。素人でも分かる、削り過ぎない表現。メタ化・抽象の度合いがちょうどいいから、伝わり易いのではないかしら。

これまでのCBT研修、どの先生方も、言葉を大事にして進めておられました。臨床を理解するためにも、単一の技法や疾患に焦点あてた技術研修は、また別に受けないといけません。ですが、両先生はこの辺りが他の先生方と少し違う気がします。上手く言えませんが。。

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トップダウン方式:全体の構成を確認した上で、個々の部分を理解する方法
ボトムアップ方式:頭から個々の部分を理解していく方法

であるならば、技術研修がボトムアップ型の勉強で、ケース報告はトップダウン型の勉強でしょうか。

ケース報告は、自分の手の内を見せるのは、恥ずかしいし、大変緊張しますね。でも、そう言ってやらないのは、回避行動以外の何ものでもないのだと、行動療法を学んで知りましたvv利用者さんに申し訳ないし、自分にとってのエクスポージャーだと思い、恐怖の筋トレをなんとか進めてきました。福井県北部でCBTの勉強会をやっていきましたが、事例を誰も出す人いないと主催者が出すしかない、となりまして。半ば強制的に、ケース報告をしてきました。この場を借りられるのは、有り難いです。

あれこれ振り返ってみると、技術を身につけるためには、技術研修とケース報告、私にはこの両方のやり方が必要だったという気がします(個人的な意見です。療法も、学び方も、各自に合ったものがあっていいかと)。

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このように、「技術研修」と「ケース報告」に参加して学んで来ましたが。更に、ボトムアップ型の研修を受けたいと思うようになりました。それは、「事例を基に、自分ならどう質問を組み立てて行くか」の体験です。ちょうど同じ頃、勉強会参加者の中にも同じ意見を持たれる方がおられたました。

先週末の小堀先生による認知療法研修では、これが体験できる演習をお願いしました。学会では、“あ〜クローズアップ現代の先生だ〜”と遠くからお見かけするしかない恐れ多い存在でしたが、私個人ではなく勉強会からの要望とすれば、勇気振り絞ってお願いすることができましたvv

行われた研修の詳細は、下段のブログにありますが。こちらが1つ2つお願いしただけで、5時間のワークショップをピタリと組み立てていただけて。なんというか、本当にIQが高いんだなと。

研修の後半は、「相談にこられた方の言葉を、引き出し、分解して、加工を施して、返す」演習を、たくさん盛り込んで下さいました。。通常、カウンセリングとはこの作業の繰り返しですが。

この後半部分、参加者も私も苦戦していました。ここができないと、どんな技法もあてがうことはできないはずです。みんなが苦戦していた理由は、もちろん、CBTの理論の理解や技術習得が不十分だからですが。他には、参加者が普段傾倒している方法/ものの見方/療法が、CBTと異なるからだと思います。ここが異なるから、利用者さんの話から引き出すモノも、話しの分解や加工の仕方も異なる。当然といえば、当然の事…。


CBTという方法の集まりは、一般の私たちが日常使う言葉や動きに近い。だから、いろんな人の状態・疾患・領域で使う事ができるのだろうと思います。

また、某精神科医の先生は、「各職種同士の、共通言語として使いたい」と言っていました。しかし、それには、難しさがある。CBTは、CBTなりのモノの見方を持っている。一方、CBTでスタートしていない援助者は、既に別のモノの見方を既に持っている。これを、一度丁寧に外して組み立てる作業は、なかなか難しい。

会話の分解の仕方、加工の仕方を、もう一度習いたいと思います。もちろん、ケース報告、ケースの陪席するされることも、同時にやっていかないとダメですね。これは、どんなオリエンテーションでも違わないはずですが。
そんなことを思う、今日この頃です。
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投稿者: 別司ちさと
2012-12-27 00:00
カテゴリー: 雑談

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