Comments
gestaltgeseltz on 2010/12/07 2010-12-07 23:31
>王子
引用頂ける所などがやんごとなき感じでありがとうございます。
アサーションの歴史http://orange.zero.jp/just_...を拝見させてもらいました
Salterの提唱したアサーションは条件反射療法という出発点なんですね。たしかにケンカというのは意外とレスポンデントな話かもしれません。
ウォルピによれば、不安の拮抗するのは三つ「弛緩反応」、「性反応」、「アサーション」というのも、要するにアサーションとは現在のスキル的とらえ方より、むしろ身体反応の一種なとらえ方をされている事が判ります。
アサーションについて小林先生は「アサーションを相手の意向をくみ取りつつ自己主張する」みたいに最初から言うのはおかしい。あれはケンカのやり方だ。私はケンカのやり方を教えてやると言って指導している」とおっしゃっていました。まさにWolpe流ですね。
本質的に行動的な概念だったはずのものが、認知的な概念に置き換わっていくのは、例えば古くはタイプAなんかも行動からパーソナリティーに移ったのと似たような流れなのかもしれませんし、ストレスがイベントから認知に変わったのもそうかもしれませんね。そういった流れが良い事なのかどうかはさっぱり判りませんが。
最終的には、機能的定義ですか?むむむ。
須らく行動は機能を求めて起こるべきなので、改めて定義って感じがしないですが、要するにリネハンのやってる「対人性効果的スキル」ってのは弁別訓練みたいなものなんでしょうかねぇ・・・
引用頂ける所などがやんごとなき感じでありがとうございます。
アサーションの歴史http://orange.zero.jp/just_...を拝見させてもらいました
Salterの提唱したアサーションは条件反射療法という出発点なんですね。たしかにケンカというのは意外とレスポンデントな話かもしれません。
ウォルピによれば、不安の拮抗するのは三つ「弛緩反応」、「性反応」、「アサーション」というのも、要するにアサーションとは現在のスキル的とらえ方より、むしろ身体反応の一種なとらえ方をされている事が判ります。
アサーションについて小林先生は「アサーションを相手の意向をくみ取りつつ自己主張する」みたいに最初から言うのはおかしい。あれはケンカのやり方だ。私はケンカのやり方を教えてやると言って指導している」とおっしゃっていました。まさにWolpe流ですね。
本質的に行動的な概念だったはずのものが、認知的な概念に置き換わっていくのは、例えば古くはタイプAなんかも行動からパーソナリティーに移ったのと似たような流れなのかもしれませんし、ストレスがイベントから認知に変わったのもそうかもしれませんね。そういった流れが良い事なのかどうかはさっぱり判りませんが。
最終的には、機能的定義ですか?むむむ。
須らく行動は機能を求めて起こるべきなので、改めて定義って感じがしないですが、要するにリネハンのやってる「対人性効果的スキル」ってのは弁別訓練みたいなものなんでしょうかねぇ・・・
アサーション王子 on 2010/12/09 2010-12-09 16:48
西川先生
リネハンは確かに,「弁別訓練」に関するSSTの論文で一つ,連名になっています。
リネハンの「対人的効果性スキル(interpersonal effectiveness)」(旧アサーション)
自体には,それほど弁別訓練的な内容は強くないと思いますが,
社会的スキルの究極はやはり「文脈を読み取る」スキルでしょうね。
「アサーションを教えることは喧嘩を教えること」という小林先生のご発想は言い得て妙ですね。もともとの発想はそこにあると思いますし,いい意味で喧嘩もできないと対人関係がしんどいと思います。ある程度普遍的な有用性があるかもしれません。
一方で,この発想はアメリカ由来であるということを常に意識して置く必要もあると思います。
アメリカという文脈で「イイモノ」が日本という文脈で「いいもの」かは分かりませんからね。文脈依存的でもあると思います。
勝手な方向に議論をもっていきましたが,改めて色々考えさせられました。
アサーションについては熱くなり過ぎますのでこの辺で。
(上手く弁別できてますでしょうか?)
次の学会でお会いできるのを楽しみにしています。
リネハンは確かに,「弁別訓練」に関するSSTの論文で一つ,連名になっています。
リネハンの「対人的効果性スキル(interpersonal effectiveness)」(旧アサーション)
自体には,それほど弁別訓練的な内容は強くないと思いますが,
社会的スキルの究極はやはり「文脈を読み取る」スキルでしょうね。
「アサーションを教えることは喧嘩を教えること」という小林先生のご発想は言い得て妙ですね。もともとの発想はそこにあると思いますし,いい意味で喧嘩もできないと対人関係がしんどいと思います。ある程度普遍的な有用性があるかもしれません。
一方で,この発想はアメリカ由来であるということを常に意識して置く必要もあると思います。
アメリカという文脈で「イイモノ」が日本という文脈で「いいもの」かは分かりませんからね。文脈依存的でもあると思います。
勝手な方向に議論をもっていきましたが,改めて色々考えさせられました。
アサーションについては熱くなり過ぎますのでこの辺で。
(上手く弁別できてますでしょうか?)
次の学会でお会いできるのを楽しみにしています。
アサーション王子 on 2010/12/07 2010-12-07 20:29
大変筆まめですね。
アサーションについてですが,
たとえば,Galassi & Galassi(1978)は
「恐らくアサーティブ行動は他の行動的概念と比べて,
よりセラピストの理論や価値観に依存して定義されるだろう」(p.16)
と述べいます。
つまり,客観性を重視する行動療法において
「アサーション」というのがなかなか難しい概念
であることが分かります。
また,余り知られていないことですが,
弁証法的行動療法のMarsha M. Linehan
もこのアサーションの概念の捉え方について
行動分析学の枠組みを援用した方法について
提案しています。
現在,アサーション・トレーニングは治療パッケージの
一部として紹介されることが多いですが,
「治療パッケージの一要素」という殻をやぶれれば
もっと充実したアサーション・トレーニングの
使い方でできると私は思っています。
アサーションを取り上げてくださりありがとうございました。
三田村仰
Galassi, M. D., & Galassi, J. P. (1978). Assertion: A critical review. Psychotherapy: Theory, Research and Practice, 15(1), 16-29.
Linehan, M. M. (1984). Interpersonal effectiveness in assertive situations. In E. A. Blechman (Ed.), Behavior modification with women (pp. 143-169). New York: Guilford Press.
三田村仰 (2008). 行動療法におけるアサーション・トレーニング研究の歴史と課題. 人文論究 (関西学院大学人文学会) 58, 95-107.