2010/12/06: 行動療法学会 大会参加記 1日目

12/4,5,6と名古屋で行われた第36回日本行動療法学会に参加してきました。
忘れないうちの備忘録として、あれこれ書いてみます。

まず、いつもながらぼんやりしていたので、事前登録をしていたような、していないようなどっちだったかなーと言う感じで会場に到着すると、案の定していませんでした。
認知療法学会はしていたんだっけ、似たようなのがあるとややこしいなあ・・・と思いつつ、空いているワークショップに申し込む。

一つ目のワークショップはファンである奥田健次先生の家庭訪問型セラピーについて。二つ目は松原英樹先生のウォルピの脱感作療法。三つ目は複数演者による強迫性障害治療の困難だった。

一つ目のワークショップは家庭訪問型セラピーについてとあった割に、ほとんどが自閉症圏のケースで(予想した通りだったが)タイトルにそうつけておく必要性を感じた。
あとは、奥田先生らしからぬと言うか、なんとなく奥田先生はもっと情念を爆発させたかのようにギチギチに展開していくイメージなのに、少し念の詰まり度合いが低い気がした。
んー?何でだろうなあと思ったら、その後の大会でも複数個所でご活躍されていたので、分散しちゃったんだなあという感。
しかし、いつも通り話は面白かった。間が良いと言うか、テンポが良いと言うか。

二つ目のワークショップは、ウォルピの脱感作という、まあカビの生えたようなイメージの物で、どうしてこれを取ろうかと思ったかと言うと、後の中級研修会で小林重雄先生がコメンテーターという事もあり、温故知新的に復習して備えようという思いがあったからだ。
まあ、そんな甘い考えで参加したワークショップだったが、講師の松原先生は恐るべき技術・腕前を私を含む聴衆に見せつけた。聴衆の不安・緊張反応を片っぱしから、ものすごいスピードで脱感作していったのだ。ありえない腕前。
正直、行動療法学会で技術を学べることはもうない(最初から無かったですが)と思っていただけに、目から鱗が落ちたと言うか、臨床の技術とはこういうもので、ワークショップとはかくたるものかと、恐れおののいた。

あまりに驚いたので、その後会場で知り合いの先生に「松原先生って、いったい何者なの?」という事を聞きまくったが、久野先生が「あいつは腕は抜群に良い。言っている事はわけが判らん。しかし若いころから本当に腕がたった」とおっしゃってた。
要するに今の学会の「説明上手屋さん達」とは全然違うということかと感心。私もいつかそう呼ばれるようになりたいものだ(逆は絶対嫌だ)と思った。

しかし、ちょっと到達できそうにないレベルの技術を見せつけられると、感動もするし、励みにもなるし、ヒントにもなる。
松原先生のワークショップに出れただけでもこの学会に参加できた甲斐があった。
残念な事に私はヒトの筋肉や呼吸やその他モーションなどに鈍い方なので、脱感作の技術を身につけるには難があるが、なにかしら得意な事を見つけて磨いていかないといけないなあと思う。

三つ目のワークショップは、「強迫性障害に困難を感じる時」みたいなテーマで、九州の山上弟子’sが発表していた。
メイン演者の主張としては「困難な症例の時ほど機能分析をしっかりしろ」というものだったが、その機能分析がわりと雑で驚いた。雑さを指摘すると「臨床だから治ればいい」と返されて、何が言いたいんだかさっぱりわからない感じだった。
ただ一つ、彼らが強く訴えていたのは、今大会長原井先生のアルティメット・エクスポージャー(勝手に命名)に対する批判だった。アウトカム比較をもってしない批判とは、つまり中傷の事なんだけど、とかくドングリは背を比べたがるものだと感心た。
そうしてこうやってブログで批判しつつ、ドングリの仲間入りを果たす。

でも、ここも一つ目のワークショップと同じで、練れていない感じ。多分練る時間が無かったのか、練る作業にあまり慣れていないのかなと好意的に解釈してみる。

そんな感じで一日目が終わった。

終わった後は、神村先生達と、福井県の人たちと、合同コンパを開く。
1次会を終えて更に付き合うと発表資料がアレなので、早々にホテルに引き揚げて資料を作成する。
神村先生達は案の定、夜空ノムコウまで飲み続けたらしい。
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投稿者: 西川公平
2010-12-06 23:42

Comments

310 on 2010/12/07 2010-12-07 21:37

学会初日後の飲み会ではお世話になりました。
自分のコメントでも強化子になればと思いつつの書き込みです。

西川先生の話を聞いていると,研究だけでなく臨床でもデータを取って測ることは重要なんだなーと改めて思わされ,とにかくまず測れそうなものを測ってみようという気持ちになります。描画でも測れるところは測れるというお話は目から鱗でした。今度描画をする機会があればぜひとも何か測ってみたいところです。

gestaltgeseltz on 2010/12/07 2010-12-07 22:45

>310さん
コメントありがとうございます。
臨床心理という世界は、とかく何をやっているか判らないものですから、測ってみれば、少なくとも測ったものが意味があったか無かったか、ぐらいは判るかもしれませんし、なにも判らないよりずいぶんいいのではないでしょうか?

Pomta on 2011/01/05 2011-01-05 18:07

いつも勉強させて頂いております。

松原先生のワークショップのお話を書かれていますが、
>ものすごいスピードで脱感作
とは、どういう感じなのですか?私にはとても想像がつかないのですが…。
具体的な技法としては、筋弛緩なんですかね?催眠のようなもの?

西川先生のご感想をもう少し伺いたいです。
コメントじゃなくて、質問ですね。すみません。

gestaltgeseltz on 2011/01/05 2011-01-05 23:13

>Pomtaさん
松原先生自体が自分のやっている事をよう説明せん人なんで、私としてもあてずっぽですが、おそらく筋緊張に付随する筋痛を脱感作する事によって、あたかも筋緊張が解けたかのような錯覚を起こしていたんだと思います。
催眠と理解して頂いて全く問題はないです。

Pomta on 2011/01/06 2011-01-06 01:41

「筋痛を脱感作する」ですか?

筋緊張すると、筋痛が生じるが、じきに慣れる、というのは自然な流れですよね。
そこに感覚が和らぐなどといった言語暗示を足していくということでしょうか?
言語暗示によって反応が生じているのではなく、反応に後づけで暗示を添わせているというような。
両手の人さし指をゆっくり近づけていくとくっつくという遊びがありますが、
必然的に起こることを「引き起こされた反応」だと錯覚させて、催眠性のラポールを深めるということですか?

gestaltgeseltz on 2011/02/07 2011-02-07 03:57

>Pomtaさん
>両手の人さし指をゆっくり近づけ・・・、催眠性のラポールを深めるということですか?

そういう事とは全く違います。
症状の手掛かりとして存在する筋緊張や筋痛にアクセスしづらくするので、症状が出しにくくなるというような仕組みです。
利き手じゃない方で箸を持つのがスムーズでないように、症状に使用する筋の緊張がほどけた状態で、なお症状を出すことはスムーズではないようです

Pomta on 2011/02/07 2011-02-07 23:28

わかりやすいご説明ありがとうございます。

ブログ中に書いておられた筋肉のモーションをつかむといったお話とすっきりつながりました!
しかし、聞けば聞くほど「技術」というより、神業みたいな感じですね…。

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