強迫性障害の治療にスタンダードに用いられる曝露反応妨害法。
そのやり方を不快や不安に「耐える」とか「我慢する」とか表現する治療者が大勢いる。
「いや、『耐える』とか『我慢する』は内側でやってる強迫行為なので、反応妨害とはそーゆーことでは無いです」
って説明するんだけど、ある種の治療者には理解が難しいっぽい。
なんならりきんでこぶしに力を入れたり、歯を食いしばったりする人もいるけど、それも内側でやってる強迫行為だ。
15年ぐらい前、強迫専門の雑誌に「我慢とか言ってるやつは素人」って投稿しようとしたら、検閲が入った。
曰く「言わんとする事はよく分かったけど、大勢の先生が実際『我慢』って表現してるから、コレ読んだ患者さんが混乱するので、表現を柔らかくお願いします」
まあ、ええけどね。若気の至りですまん事ですね。
まあでも、結局のところ曝露反応妨害法は我慢するような治療法では無い。
我慢すらせずに、いわば無抵抗に、ノーガードでただ曝され続けるのだ。
例えて言えば、雨の中を傘も差さずに歩く時、肩をついつい竦めるだろう。
肩をすくめるのは、身体が雨を我慢してるからだ。
我慢でないと言うのは、つまり、すくめた肩を落として、そのまま雨に打たれながら歩くのに近い。
そして、「肩なんかすくめても、すくめなくても、当たる雨は大して変わんねえよ」と体験する。
それが曝露反応妨害法のイメージだ。