2024/10/13: 【人生相談と心理カウンセリング】

何度か説明を試みたのだけれど、私の両親は「心理カウンセリング」とは何か、最後まで全く理解できなかった。
「ワケの判らんことを言う息子だな」としか思ってなかったフシがある。
そんな両親が、代わりに私の仕事を何だと勘違いしていたか?
それがまさに人生相談である。



新聞などに、一般読者からの相談に著名人が答える、アレだ。
私の親は息子の仕事は人生相談だと思っているのだ。

別に優劣があるというわけではないが、そういった人生相談と心理カウンセリングは、全然違っていると思う。
しかし、世間一般のイメージとしては、人生相談と心理カウンセリングは全然区別つかないのかも知れない。

何なら人生相談のほうがよっぽど中身がわかって有名かもしれない。
我々心理からしてみたら、臨床心理士と公認心理師ぐらい、大違いなのだが、要するに世間からは区別つかないのが、心理カウンセリングと人生相談なのだ。

人生相談とは、人生の経験が豊富な先達たちが、それらの経験知を用いて若手に(ときには年配にも)アドバイスするというていである。
わかってない相談者に「ピシャリ」と述べる事もあって、何なら小気味いいまである。
しばらく前に流行っていた、スカッとする「言ってやった小話」なんかもひょっとしたら人生相談の子孫なのだろう。

しかし、心理カウンセリングは、いくつか前提が違う。

まず心理カウンセリングは、相手のことをアセスメントして技法を選ぶのであって、カウンセラーの人生経験に基づいて述べる事はそんなに多くない。

次に、大抵の心理カウンセリングは継続性のある相談で、一回では終わらない事が多い。まあ、これは一回のカウンセリングもあれば、継続性のある人生相談もあるかも知れないが。

最後に、心理カウンセリングは「人生には関わらない」というのが最も大きいかも知れない。
大抵の心理カウンセリングは、人生そのものについてはその人に任せている。

パッと思いつく相違点はその三点だけれど、そう考えたら似ている点も三点ぐらい思いつく気もしてきた。

ところで、ああいう新聞の人生相談に「心理カウンセラー」が呼ばれることってあんまりない気がする。
文筆業とか、芸能人とか、いかにも「あの人が言うなら聞くか」みたいな含蓄持っているっぽい人が、ネームバリューで仕事してる感ある。

「立派な人は他人の相談に乗れる」というのが前提になっているのかも知れない。
立派な中島らもさんも「明るい悩み相談室」やってたしな。

じゃあ、心理カウンセリングにネームバリューって全くない?と問われれば、うーん、なくもないような。

「どうせ相談するならなるべく立派なええ先生にかかりたい」
という希望は誰にでもあるもんだと思う。もちろん私にバリューはないけれど。

ちなみに、そういった心理カウンセリングに『カウンセラー指名制度』を設けるかどうかについては、意見の分かれるところだ。
CBTセンターは指名制度を取っていない。
紹介状で「是非**先生でお願い!」とよっぽど書かれてない限り、主に曜日や時間の都合でマッチングされる。

しかし、「指名できます」「上級カウンセラーは上級の値段を取ります」というところもある。
逆に「新人は安くします」というのはみたことない。

それもまあ、メリット・デメリットあると思うんだけれど、同じCBT開業の某伊藤さんに聞いてみた所、
「経験年数が高いからって、腕がいいとも限らないじゃない。そんなデータがないんだから」
とハッキリ言っておられて、好感が持てた。

実は、CBTセンターでは所属のセラピストごとのアウトカムを取ったことがある。
その結果がどうだったか?やはり差があった。
その差とは、経験年数の高いものほど、初回の心理検査の点数が悪い(すなわち重症の人を見ている)ということだ。
これは、先輩オブリージュとでも言うものだろう。

さて、そんな心理カウンセラーも、時として人生相談に乗ることはある。
それは、心理の同業者や後輩からの、
「この先心理師としてどうやって行けば良いのでしょうか?」
という相談だ。

さすがにこればっかりは、自分の心理師人生の経験を使っての、人生相談にならざるをえない。

でもまあ、先輩としての我々が生きてきた時代と、相談者がこれから生きていく時代も違うから、なにかの参考になるのかなあ?
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投稿者: 西川公平
2024-10-13 14:38
カテゴリー: 雑談

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