2011/10/12: 自己臭恐怖症に対する認知行動療法

ちょっと人から尋ねられたので、教えついでにまとめてみました。
**症へのCBTってのは、好きじゃないんだけど・・・。

2019/09/21ちょっと修正

自己臭恐怖は、Phobiaなので特定恐怖症や社交不安障害の一種のように思えて、その実意外と手強い。
つまり犬恐怖や蛇恐怖や視線恐怖や赤面恐怖とは一線を画するところがある。

どちらかと言えばDelusionalな困りごとに思える。
別の言い方で言えば自我親和性が高く、そういった意味では醜形恐怖なんかに近い。

まあしかし、それも程度問題で、普通の不安障害である強迫性障害にだってDelusionalな困りごとが付随していることもあるし、うつ病の方だって十分にDelusionalな要素を持っている人もいる。

自己臭の人の一部には「幻臭」と呼ばれる体感幻覚を持つ人がいて、要するに自分が臭いというニオイが実際に嗅げるか、嗅げないけれどもそのニオイがすると確信をもって考えている。
ある人は「大便のようなニオイ」と言い、ある人は「汗臭い」と言い、ある人は「どぶの腐ったようなニオイ」と言う。
幻臭なのでもちろん他人は嗅げないのだが、自分はちゃんと匂いがするという人もいる。
一方で、自分でも匂いがしないという人もいて、その場合は、「自分は自分の臭いに慣れてしまっている/鼻が悪いので、もう判らないのだ」と言う。

また思い余って、時に他人に「臭くない?」とか、「変な臭いしない?」とか、「私って臭うかな?」などと確認を取る場合もある。
当然ニオイはしないので「別に臭くないよ」と返ってきても「ああ、気を使って臭くないと言ってくれてるけど、本当は臭いに違いない」となってDelusionはなかなか揺るがない。
他人に「臭くない?」と尋ねて、もし「臭い」と言われてしまったら絶望しか無いから、とてもじゃないけれど確認できない、と言う人もいる。

また、侵入のトリガーは幻臭ある人は臭いの場合もあるが、自分でわからない人にとっては、他人のNon-Barbalなサインとか、密閉された空間などになっている。(この不安も海馬と扁桃体で分けられるのかは謎)

古典的な意味での侵入だともいえる。“私が臭かったとしたら他人がそうするであろうあらゆる行動“がサイン(弁別刺激)となって「私って臭いんだ」という思考が侵入する。
有名どころでいくと「誰かが鼻のあたりに手や指を持ってくる」というのは”まさしく私が臭い証拠”となる。
他にも他人が、「くしゃみをした」、「マスクをしていた」、「息を止めた」、「おえっとした」、「部屋を出て行った」、「部屋に入ってこようとして止めた」、「近づいたら離れた」、「方向転換した」、「笑った」、「眉をひそめた」、「そわそわした」、「臭い/なんか臭わない?」という言葉が聞こえた・・・・etc.際限なくある。
滋賀県には「草津市」という市があるが、喫茶店のどこかの席で「くさつの・・・」などと小耳に挟んだら「臭いって言われてる!」とショックを受ける。くさ、、、から始まる言葉は草ポケモンでも厳しい。

それらが弁別刺激になって「私が臭いからだ」という侵入を招いているにもかかわらず、確信をもって「私が臭いから相手が鼻に手をやった」「鼻に手をやられるのは私が臭い証拠だ」「私が臭いから、臭いという発言が出てきた」と時系列的にずらしている。

ある患者さんは交差点で信号待ちをしていて、対向車線の車の運転手が鼻に手をやったのを見たときに「私の臭いのが交差点を渡って、車も通りぬけて、向こうまで伝わっている」と考えた。
こういった発想の中にも、古い言葉で言えば自我漏洩的な要素が見て取れる。

密閉的な空間、例えばエレベーターや観覧車、電車、バス、車に乗り合わせる、教室に入る、などや他人との距離が近くなる状況である満員電車やお祭りなども、サイン(弁別刺激)となって「私って臭いんだ」という思考が侵入する。当然これらの状況は消極的に回避される。

CBT的なアセスメントでは、基本的にどんな臭いがどこから発生していて、その発生源を事前にどのように処理しているか、そのように臭ったと思う前に起こったトリガーは何で、そう思ったときにどんな対処をしているか、その頻度はいかほどかについてアセスメントする。
すなわち
「脇から腐った果物のような臭いがしているので、何度も腋臭の手術をしているし、1時間ごとに制汗スプレーと除菌シートでの処理を欠かさない」とか、
「陰部から尿のような臭いがしているので、誰かが顔をしかめるたびにトイレに行って拭いたり紙パンツを何度も履き替えたりしている」とか、
そういった事をモニタリングする。

もちろんそれらがどの程度生活を不便にしているかについても尋ねることになる。
おおよその所トリガーの聴取はSAD的ないしPANIC的で、対処の聴取はOCD的になる(SADの安全確保行動よりかなり積極的で熱がこもっている)。

いずれにせよトリガーと、私は臭いという侵入、そしてその時にどのような対処方略を取るかが詳細にモニタリングされ、ミクロにフォーミュレートされ、心理教育に役立てられる。
もう少し幅広くアセスメントする際には、そもそも臭いが気になりだしたきっかけや、そうなる前の対人関係上の問題ないしは思考の侵入に対する脆弱性なども訊かれる時がある。

人によっては自己臭恐怖になる前から対人関係が苦手で人の集まりには参加できなかったという人もいるし、昔は全然平気だったという人もいる。
前者の場合は人の集まりを避ける“帰属因の変更”なので同じ行動クラス内だという解釈も可能だろう。

認知行動療法の心理教育ではそれらのつながりを図示して説明するが、実際に臭いのか、幻臭なのかの区別について心理教育時に強く押しすぎない。それらは可能性を示唆する程度か、もしくは他のクライアントの他の体感幻覚を例に挙げてずらして説明する程度にとどめないと、初期の離脱を招きかねない。
治療者にとって都合の良い患者さんは、このモニタリングと心理教育と簡単な行動実験によってだけで、治療終了する。

さてどうやって治療していこうかな・・・といったところは、「もちろんケースバイケースで」といういつもの逃げ口上のような形になるが、上記に書いたようなアセスメントがしっかりとなされていれば、基本的には何が消極的な回避で何が積極的な回避か、消去すべきものや強化すべきものは何かが浮き上がってくるはずなので、割愛したい。
逆に上記のアセスメントが無く、枝葉末節の技術を使う事はよろしくないとも思う。

あえて言えばDelusionに対するCBTにおいては認知再構成というより行動実験系が功を奏すると思う。
認知再構成で扱えるのはDelusionの周辺に在ってそれを補強しているような傍系の認知であって、もちろんそれを扱う事もそれなりに重要だけれども、消去をかけるのは行動実験で、それを取りまとめて新しいシステムを作るのに、再び認知再構成という流れになるかと思う。

「重要なレスポンデント消去の成立を妨害しているようなオペラントを扱う」といった所だろうか。
そう言ってしまえば、何もかもみんなそうだけど・・・。
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投稿者: 西川公平
2011-10-12 18:12
カテゴリー: 様々な困りごと

Comments

アサーション on 2011/10/16 2011-10-16 16:32

回避・逃避行動が何かを抑えた上で,エクスポージャーということでしょうか。

「介入の枠組みはシンプルに,でもアセスメントは詳細に」といった印象を受けました。

社会不安や対人不安は,欧米でもよくあるようですが,
「人に迷惑をかけるのでは」という恐れは,特に日本文化に
特徴的だとききます。

介入やアセスメントにも
文化によって変わって来る部分と共通する普遍的な部分があるとしたら,
それも面白いですね。

gestaltgeseltz on 2011/10/18 2011-10-18 16:33

>アサーションさん
社交不安の視線の場合は、欧米の人は「他人の目が突き刺さるようだ」と良く言い、日本の人は「私の視線が迷惑をかけている」と良く言う。後者はTaijinkyofusyoという日本独自の病気なのだ・・・なんてしょうもない事が一昔前に言われてましたね。
私もそんなもんかなと思ってSADや視線恐怖の人にいちいち聞いてましたが、実際日本人でもどちらのパターンもいますし、治療にはさして関係ない差異かなと思い、最近興味が失せました。

結局の所、視線が合う事には無条件反応がpresetされており、それが条件刺激化してしまったのをまた元に戻すだけですから。

しかし、自分のニオイが臭いから迷惑だし外出できない訴えと、他人の臭いが臭くて外出できない訴えの2パターンはありません。常に前者ですね。
自分のニオイが臭いから、結果として「皆に非難される」と「皆に迷惑かける」の差はあると思う。

介入やアセスメントは文化によっても時代によっても移りゆくところと動かないところがありますね。

TS(患者さんのプライバシー� on 2011/11/04 2011-11-04 21:34

自己臭妄想の妄想は「訂正されない誤った観念」という教科書的定義があるが、家族なら大丈夫な方が多い。つまり対象選択性がある。この家族の延長上の人ができれば治療は成功と思う。また年齢もあるので自然に改善する方も居る。高齢の方が自己臭妄想で受診することは滅多にない。統合失調症に発展する場合があるが、そればかりではないだろう。諦念によって折り合いをつける方が居るのだと思う。
ところで患者さんがカウンセリングを希望するので私のクリニックで実施していたが、退職したので貴センターを紹介した。
悪戦苦闘していたようだが、様々な試みの成果が彼氏ができたということである。彼氏には自己臭が気にならないとのこと。
家族の延長上の一人として彼氏ができたのは飛躍的である。まだ聞いていないが自己臭には性的ニュアンスもあるのでそこがどうなっているのか興味がある。もしそこが克服されれば家族の延長を超えた関係ができたことになる。
もしそうなら驚くべきことである。
貴センターの具体的な話題の展開が気に入っていたが、後半は妄想を相手にするには理屈っぽすぎるのではないかと感じるところもあった。
しかし貴センターの治療が終了してから語られた彼氏の存在はカウンセリングの成果であると思う。
意外さに驚いた。そして嬉しかった。

gestaltgeseltz on 2011/11/30 2011-11-30 11:15

>TS先生
やはりどうしても患者さんの話を書くのは躊躇があり、いつもぼかして抽象論になってしまいます。
学会発表や論文の許可は取るようにしているのですが、さすがにブログに書く許可というのは取ったことが無いですね・・・。

認知行動療法ではたとえ統合失調症であれ「訂正されない誤った観念」というものはなく、「「訂正されない誤った観念」だという観念が誤っている」と言われています。
しかし、なかなかに歯ごたえがあるというか、まあ上手くいくこともある程度の事であって、ちょうど先生の患者さんが上手くいったのは、治療を含め様々な要因あっての事だろうと思います。

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