Comments
gestaltgeseltz on 2011/10/18 2011-10-18 16:33
>アサーションさん
社交不安の視線の場合は、欧米の人は「他人の目が突き刺さるようだ」と良く言い、日本の人は「私の視線が迷惑をかけている」と良く言う。後者はTaijinkyofusyoという日本独自の病気なのだ・・・なんてしょうもない事が一昔前に言われてましたね。
私もそんなもんかなと思ってSADや視線恐怖の人にいちいち聞いてましたが、実際日本人でもどちらのパターンもいますし、治療にはさして関係ない差異かなと思い、最近興味が失せました。
結局の所、視線が合う事には無条件反応がpresetされており、それが条件刺激化してしまったのをまた元に戻すだけですから。
しかし、自分のニオイが臭いから迷惑だし外出できない訴えと、他人の臭いが臭くて外出できない訴えの2パターンはありません。常に前者ですね。
自分のニオイが臭いから、結果として「皆に非難される」と「皆に迷惑かける」の差はあると思う。
介入やアセスメントは文化によっても時代によっても移りゆくところと動かないところがありますね。
社交不安の視線の場合は、欧米の人は「他人の目が突き刺さるようだ」と良く言い、日本の人は「私の視線が迷惑をかけている」と良く言う。後者はTaijinkyofusyoという日本独自の病気なのだ・・・なんてしょうもない事が一昔前に言われてましたね。
私もそんなもんかなと思ってSADや視線恐怖の人にいちいち聞いてましたが、実際日本人でもどちらのパターンもいますし、治療にはさして関係ない差異かなと思い、最近興味が失せました。
結局の所、視線が合う事には無条件反応がpresetされており、それが条件刺激化してしまったのをまた元に戻すだけですから。
しかし、自分のニオイが臭いから迷惑だし外出できない訴えと、他人の臭いが臭くて外出できない訴えの2パターンはありません。常に前者ですね。
自分のニオイが臭いから、結果として「皆に非難される」と「皆に迷惑かける」の差はあると思う。
介入やアセスメントは文化によっても時代によっても移りゆくところと動かないところがありますね。
TS(患者さんのプライバシー� on 2011/11/04 2011-11-04 21:34
自己臭妄想の妄想は「訂正されない誤った観念」という教科書的定義があるが、家族なら大丈夫な方が多い。つまり対象選択性がある。この家族の延長上の人ができれば治療は成功と思う。また年齢もあるので自然に改善する方も居る。高齢の方が自己臭妄想で受診することは滅多にない。統合失調症に発展する場合があるが、そればかりではないだろう。諦念によって折り合いをつける方が居るのだと思う。
ところで患者さんがカウンセリングを希望するので私のクリニックで実施していたが、退職したので貴センターを紹介した。
悪戦苦闘していたようだが、様々な試みの成果が彼氏ができたということである。彼氏には自己臭が気にならないとのこと。
家族の延長上の一人として彼氏ができたのは飛躍的である。まだ聞いていないが自己臭には性的ニュアンスもあるのでそこがどうなっているのか興味がある。もしそこが克服されれば家族の延長を超えた関係ができたことになる。
もしそうなら驚くべきことである。
貴センターの具体的な話題の展開が気に入っていたが、後半は妄想を相手にするには理屈っぽすぎるのではないかと感じるところもあった。
しかし貴センターの治療が終了してから語られた彼氏の存在はカウンセリングの成果であると思う。
意外さに驚いた。そして嬉しかった。
ところで患者さんがカウンセリングを希望するので私のクリニックで実施していたが、退職したので貴センターを紹介した。
悪戦苦闘していたようだが、様々な試みの成果が彼氏ができたということである。彼氏には自己臭が気にならないとのこと。
家族の延長上の一人として彼氏ができたのは飛躍的である。まだ聞いていないが自己臭には性的ニュアンスもあるのでそこがどうなっているのか興味がある。もしそこが克服されれば家族の延長を超えた関係ができたことになる。
もしそうなら驚くべきことである。
貴センターの具体的な話題の展開が気に入っていたが、後半は妄想を相手にするには理屈っぽすぎるのではないかと感じるところもあった。
しかし貴センターの治療が終了してから語られた彼氏の存在はカウンセリングの成果であると思う。
意外さに驚いた。そして嬉しかった。
gestaltgeseltz on 2011/11/30 2011-11-30 11:15
>TS先生
やはりどうしても患者さんの話を書くのは躊躇があり、いつもぼかして抽象論になってしまいます。
学会発表や論文の許可は取るようにしているのですが、さすがにブログに書く許可というのは取ったことが無いですね・・・。
認知行動療法ではたとえ統合失調症であれ「訂正されない誤った観念」というものはなく、「「訂正されない誤った観念」だという観念が誤っている」と言われています。
しかし、なかなかに歯ごたえがあるというか、まあ上手くいくこともある程度の事であって、ちょうど先生の患者さんが上手くいったのは、治療を含め様々な要因あっての事だろうと思います。
やはりどうしても患者さんの話を書くのは躊躇があり、いつもぼかして抽象論になってしまいます。
学会発表や論文の許可は取るようにしているのですが、さすがにブログに書く許可というのは取ったことが無いですね・・・。
認知行動療法ではたとえ統合失調症であれ「訂正されない誤った観念」というものはなく、「「訂正されない誤った観念」だという観念が誤っている」と言われています。
しかし、なかなかに歯ごたえがあるというか、まあ上手くいくこともある程度の事であって、ちょうど先生の患者さんが上手くいったのは、治療を含め様々な要因あっての事だろうと思います。
アサーション on 2011/10/16 2011-10-16 16:32
「介入の枠組みはシンプルに,でもアセスメントは詳細に」といった印象を受けました。
社会不安や対人不安は,欧米でもよくあるようですが,
「人に迷惑をかけるのでは」という恐れは,特に日本文化に
特徴的だとききます。
介入やアセスメントにも
文化によって変わって来る部分と共通する普遍的な部分があるとしたら,
それも面白いですね。