2011/10/18: 日本睡眠学会 with World Sleep 2011

京都の国際会議場で行われたので参加してみました。
お目当ては不眠症に対する認知行動療法(CBT-I:Cognitive Behavioral Therapy for Insomnia)

昔から不眠という事柄を扱う事は確かにあったのだけれども、不眠症という人々を扱う事がほとんどなかったので、勉強中です。

というのは、そもそもうつ病とか、パニック障害とか、強迫障害などの精神疾患や、不登校などの子供の困りごとに付随して睡眠障害がおこることはしばしばある。
しかし、それはメインの困りごとの解消と共に良くなっていったり、意外といつまでも残遺したり・・・と、付随はするものの改めて取り上げることのない状態であった。

色々な事情で、もーちょっと積極的かつ主体的に不眠という困りごとを扱ってみようという事になり、この春から勉強中だが勉強ついでに学会にも行ってみた。

CBT-I(不眠症に対する認知行動療法)は、1980年代にその核となる刺激統制法などをSpielman, A. J.などが作り、その後カナダのMorin CM(一緒に写真を撮りました)が全てカバーして研究している。いい感じにニッチな研究者だ。
CBT-I数回の構造化されたセッションで治療率は70%〜80%というから驚異的なエビデンスがあるのも特徴である。そんなに治る病気は他にないと思う。

CBT-I は治療パッケージであり、実のところ作用機序などが判らなくても別に問題なく使える。これも実にCBT的だと思う。


しかしあえて言えば、いくつか問題もあるような気がする。

一つは、CBT-I は最初のベネフィットがすでに7〜8割なので、以後の研究は、より短期に、よりグループで、・・・とコスト競争あるいは、あの疾患にもこの疾患にもという適用競争になっている。しかし基本的には実用新案特許系の発想であり、新発見とは言えないというか、それ以上の工夫がない。

もう一つは、結構早くにおそらく行動療法に基づいて完成されているパッケージであるものの、時の流れと共に機能分析の部分は忘れ去られている。というより誰からもその説明を聞かない。

そして、CBT-I完成後30年間に蓄積された様々なCBTやInsomniaの研究とそれほどリンクしているように見えない事だ。

上の二つは、ベーシックなCBTの理解に基づいてInsomniaに対応しておれば、その後多彩な不眠の現象をCBTとして分析・研究・治療することでCBT-Iは発展したであろうし、またそれがバイオロジカルな研究と双方向的に還元されただろうに、もったいない事だと思う。
しかし、無理からぬことというか、治療率80%なら、別にそれを変える必要はさして無いのかもしれない。

最後に、それだけ素晴らしい治療率でありながら、少なくとも日本で全く普及していないという事も挙げられるが、これは別にCBT-Iに限ったことではなく、CBT全般にそうだからまあ仕方がないかなと思う。

MorinCM

さて、普段は日本認知療法学会と日本行動療法学会にしか出ないので、全然別の、どちらかと言えばバイオロジカル優勢な学会に顔を出したのは久しぶりでした。
思ったのは、
・生物学的な研究や公衆衛生的な研究などが多く、医学的
・少なくとも偉いさんは偉そう
・群がるアリみたいに利権がらみの業者がいっぱい。儲かりそう
・慣れない英単語が多すぎてついていけない
・CBT-Iをする人は相当に少ない
・思っていたよりCBT関連の人々も来ていて、意外と声かけてもらえた

特に岐阜メイツ睡眠障害治療クリニックの田中先生とはあれこれ話してCBT-I運用について教えてもらいました。Morinの写真も取ってもらった。
あとは、慈恵の山寺先生という方とも慈恵という事で森田療法のCBT-Iへの適合など適当な話をしつつ意気投合した。
いつもながら睡眠学センターの岡島義先生にもご教授頂いたのは言うまでもない。

ついでに、東京医科大の中島先生から「なぜ夜中に時計を見る行動が生起し、維持するのか?」という疑問を投げられたので、1時間ぐらいかけて機能分析してしゃべったりしたのも、良い暇つぶしになりました。
次のお題は「なぜ中途覚醒が生起するのか?」だそうですが、むむむそれは機能分析で可能なんだろうか・・・?少し収まりが悪そう。コルチゾール云々と逃げないように、少し考えてみます。
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投稿者: 西川公平
2011-10-18 14:57

Comments

中島 on 2011/10/21 2011-10-21 13:33

西川先生

先日は、突然の質問にも関わらず、
時間を設けていただき、ありがとうございました。

中途覚醒が生起する点については、あれからいろいろ考えてみましたので、
行動療法学会でまたご意見ちょうだいできることを楽しみにしています。

また、コルチゾールをはじめ生理的指標は従属変数か独立変数か?という
鶏が先かたまごが先か、という点も個人的にとても興味がありますので、
僕なりに少し考えてみたいと思います。

そして何より、先生がお話された不眠症へのエクスポージャーについての「文献」を
お読みできること楽しみにしています!

Pomta on 2011/10/25 2011-10-25 22:28

基本的な事柄で恐縮なのですが、機能分析というのはABCの枠組みで行動を捉えることですか?

「なぜ夜中に時計を見る行動が生起し、維持するのか?」という例でいえば、生起と維持ではメカニズムが違うのでしょうか?維持は負の強化によるものかと思うのですが…。先行事象は何でしょう?

質問ばかりですみません。ご教授頂ければ、ありがたいです。

gestaltgeseltz on 2011/10/28 2011-10-28 00:08

>中島さん
私もアレからいろいろ考えたのですが、すべての生理的指標は、特にそれが原因だという証拠が無い限り、我々にとって従属変数だと思います。

>Pomtaさん
「なぜ夜中に時計を見る行動が生起し、維持するのか?」は間違いで、正しくは「なぜ夜中に時計を見る行動が生起し、不眠が維持するのか?」でした。

先行事象:夜中に目が覚める
行動:時計を見る
結果:時刻が判る

Pomta on 2011/10/28 2011-10-28 20:29

>gestaltgeseltzさん
時刻がわかるという結果によって強化されるということですよね。
不眠の人にとって時刻がわかることは好ましい体験なんでしょうか?時間帯によるとは思いますが。

gestaltgeseltz on 2011/10/29 2011-10-29 22:25

>Pomtaさん
負の強化ですから、「不眠の人にとって、時刻が判らないという事が、好ましくない体験」なんでしょうね。
「時刻が気になって寝られなくなるのを阻止」してるのではないかと思います。
阻止の随伴性とか、嫌な感じですが・・・。

Pomta on 2011/10/30 2011-10-30 16:33

>gestaltgeseltzさん
日中、私たちが時計を見るのは「時刻が判る(好ましい結果)」によって正の強化を受けた行動ですよね?
でも、この場合は負の強化によると考えられるわけですね。機能分析の確かさ、妥当性というのは、どうやって確かめられるのでしょう?介入の結果が、機能分析の結果としての仮説に沿っているか否かでしょうか?

gestaltgeseltz on 2011/11/01 2011-11-01 15:17

>Pomtaさん
大変すばらしいご指摘かと思います。

強化とか消去とか、正とか負とかは、我々人間にとってただの解釈ですから、何ら科学的なものではないです。阻止とかは解釈の最たるものですね。
いつしか阻止除去の随伴性(良いものが得られる可能性を阻止する要素を除去)が出てきて、2×2×2×2で4次元宇宙の解明をすることでしょう。

冗談はさておき、不眠の治療パッケージの一つ「刺激統制法」という方法で、「中途覚醒時に時計を見るのを止める」という心理教育があります。

ある種の不眠症の人たちは、「判りました観ません」と観ずに済ますことが出来ます。これらの方の時刻確認行為は正の強化によって形成されているとしても良いような気がします。

ところが、また違う種類の不眠症の人たちは、「とてもじゃないけど時刻を見ずにはおれません」と、不安や焦燥を露わにし、結局必ず時計を見てしまいます。暗闇の中でもわざわざ部屋の電気をつけて確認していることが光度計に出ます。これらの方々の時刻確認行為は負の強化によって形成されているとしても良いような気がします。

よくバースト(得られるはずの強化が得られない)の説明で、「自動販売機にコインを入れて、ボタンを押したのに、ジュースが出なかった。だから、ボタンをガチャガチャ押したり、つり銭返却レバーをガシガシ引いたりした」というものがありますが、これは最初にコインを投入しているので負の強化によるバーストと言えます。

一方で、役所などに置いてある水を飲める奴だと、タダで水が飲めるという事なので、正の強化です。しかし、アレのボタンをガチャガチャ何度も押す人はそうそういません。一応数回押すにせよ、自販機のそれとは熱意といい比べようもありません。

ところが、同じものがスポーツジムに置いてあり、同じ水が出ない状況だと、先行条件に「のどの渇き」と「高い入会金払わせやがって」というのがあるので、負の強化としてガチャガチャ押したり、受付にクレームをつけたりする人も出てくるでしょう。

そんなわけで、バーストの陰には負の強化ありと個人的に思っています。

じゃあ、正とか、負とか、そういうものは解釈を越えて科学的に実存するのかという事ですが、それはおそらくありません。
ラットのエサが何もなし(±0)に得られている(+)正の強化なのか、空腹(-)を解消(-)している負の強化なのか、判りません。
ましてやそれが対人関係上の会話における出来事などであれば、もはや確かめようがなく、すべては解釈の赴くままです。

ついでに阻止の随伴性を先の役所の水の例を用いて言えば、
『のどの渇き(-)があって水を得ようとボタンを押したが、水が出てこない(-)。しかし、ガチャガチャボタンを押すと「あの人無料の水が飲みたくて必死やで」と周りから思われる(-)かも知れないから、これ以上ボタン押すのを我慢して足早に立ち去っている。』のかも知れないし、
単に正の強化だからバーストしないのかも知れないし、
それほどのどが渇いていないのかも知れないし、・・・

それらを確かめるために、立ち去った先で、「どうしてもっとボタンを押さなかったんですか?」と尋ねたとしても、「きっと酸っぱいに違いない」と言われる始末ですw

Pomta on 2011/11/03 2011-11-03 16:43

>gestaltgeseltzさん
わかりやすい例を交えた、丁寧なご説明ありがとうございました。「時計を見ない」ことも、そのものずばり治療技法のひとつにあるんですね…。

先生は阻止は解釈の最たるものと仰っていますが、個人的には「阻止の随伴」というのは、認知寄りすぎる見方の気がして行動分析の用語だと言われてもピンときません。しかし実際、有用な概念なんでしょうね。

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