Comments
べっし on 2009/10/22 2009-10-22 03:22
なんとまた、長文を。 しかも名前出されて、参戦しないわけにはいかず。策にはまるのもなんだか悔しいですが。
えっと_________________
◆戻ってこられる前に、発表前半の質疑応答が終えていて。その中で、エクスポージャーの実施は『原則、自宅』で『本人がやると決めた時』に行ってもらっていると、説明終えていました。
それを踏まえ、治療手段の選択についてあのご指摘を頂きました。私としては、
①“普通”以上のことをさせるのは治療手段として適切か否かの議論よりも…患者さんが「“普通”以上のことでも試してみたい!」と自ら判断し実施できるよう、如何に治療を運んでいくかの議論のほうが有益だよなぁ
②“患者さんが自らエクスポージャーに取り組み易くなるよう、治療者はいろんな工夫を取り入れてみました!”という点が今回の発表のメインなんだけど。伝えきれていなかったんだな。。
③課題実行に対する達成感や実行後の良い変化を患者さんから報告もらい、その後も自分で課題を進めてこられてる状況で、何がダメなのか分からん
と考えていたけど、質問とはズレてるわけで。
また、“普通以上のことをさせない”象徴としてあげられた某先生の治療方針を、私は不勉強で知らんしな(汗)と、困っていました。次の枠に食い込むわけにいかず。次第にカオスと化したこの場の回答、むしろ私が教えて欲しい!!次にのケーススタディにむけ原井先生も見えられ、もうどなたでもいいから、ヘルプミ〜(・_・;)ってな状態でした。
⇒⇒⇒“手段が目的化しており、治療の本質は異なる”という旨伝えて頂き、助かりました。そう回答できなかった自分に、凹んでもいました。。
__________________
幕張を離れ数日後、ケーススタディーに参加されていた知人から、「TVの中の若者・芸人は、人前でわざとあらゆることをして笑いを取るなど、日本も今では欧米化している。今の若者には、欧米化したモデルが身近にあるから、恥かきエクスポージャーや、ありえないと一見思う治療もok。臨床は変化して良い。と耳にしたことあるよ」と言われ、少しホッとしていました。それをあのケーススタディーの場で、教えて欲しかった。。
夜の飲み屋でも、サルコフスキス先生の進め方に対し「治療者自身をそこまで犠牲にする必要が本当にあるのか」と議論が諸先生方で交わされましたね。今後、同じ質問を受けた際に応えられるよう、自分の言葉で整理しておきます。
◆私にとって発表は、ケースをじっくり振り返ることができ、棚に眠たままの本をめくることができる良い機会です。学会発表をEnjoy……いつかそんな日が私にも来るといいな、です。
えっと_________________
◆戻ってこられる前に、発表前半の質疑応答が終えていて。その中で、エクスポージャーの実施は『原則、自宅』で『本人がやると決めた時』に行ってもらっていると、説明終えていました。
それを踏まえ、治療手段の選択についてあのご指摘を頂きました。私としては、
①“普通”以上のことをさせるのは治療手段として適切か否かの議論よりも…患者さんが「“普通”以上のことでも試してみたい!」と自ら判断し実施できるよう、如何に治療を運んでいくかの議論のほうが有益だよなぁ
②“患者さんが自らエクスポージャーに取り組み易くなるよう、治療者はいろんな工夫を取り入れてみました!”という点が今回の発表のメインなんだけど。伝えきれていなかったんだな。。
③課題実行に対する達成感や実行後の良い変化を患者さんから報告もらい、その後も自分で課題を進めてこられてる状況で、何がダメなのか分からん
と考えていたけど、質問とはズレてるわけで。
また、“普通以上のことをさせない”象徴としてあげられた某先生の治療方針を、私は不勉強で知らんしな(汗)と、困っていました。次の枠に食い込むわけにいかず。次第にカオスと化したこの場の回答、むしろ私が教えて欲しい!!次にのケーススタディにむけ原井先生も見えられ、もうどなたでもいいから、ヘルプミ〜(・_・;)ってな状態でした。
⇒⇒⇒“手段が目的化しており、治療の本質は異なる”という旨伝えて頂き、助かりました。そう回答できなかった自分に、凹んでもいました。。
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幕張を離れ数日後、ケーススタディーに参加されていた知人から、「TVの中の若者・芸人は、人前でわざとあらゆることをして笑いを取るなど、日本も今では欧米化している。今の若者には、欧米化したモデルが身近にあるから、恥かきエクスポージャーや、ありえないと一見思う治療もok。臨床は変化して良い。と耳にしたことあるよ」と言われ、少しホッとしていました。それをあのケーススタディーの場で、教えて欲しかった。。
夜の飲み屋でも、サルコフスキス先生の進め方に対し「治療者自身をそこまで犠牲にする必要が本当にあるのか」と議論が諸先生方で交わされましたね。今後、同じ質問を受けた際に応えられるよう、自分の言葉で整理しておきます。
◆私にとって発表は、ケースをじっくり振り返ることができ、棚に眠たままの本をめくることができる良い機会です。学会発表をEnjoy……いつかそんな日が私にも来るといいな、です。
原井 on 2009/10/23 2009-10-23 00:19
>便器に手を突っ込むこと
どれだけ必要性や合理性があったとしても,できない治療者には絶対にできません。
そういう治療者が敢えて行う必要性も合理性もないでしょう。
他にも治療法はあるのですから。
一方,できないことを言い訳する方,さらにできる人に対して患者の利害とは別の次元,例えば,権威者の意見やモラル上の理由から非難する方もあります。これはこれで人間的なことです。
しかし,行動療法学会という場であれば,臨床試験のエビデンスや実験心理学による実験的根拠にたって議論すべきであり,権威者の意見やモラル上の理由は議論の対象ではありません。本来はOvercorrection全般についてどのようなエビデンスがあるのかについて議論すべきでした。
どれだけ必要性や合理性があったとしても,できない治療者には絶対にできません。
そういう治療者が敢えて行う必要性も合理性もないでしょう。
他にも治療法はあるのですから。
一方,できないことを言い訳する方,さらにできる人に対して患者の利害とは別の次元,例えば,権威者の意見やモラル上の理由から非難する方もあります。これはこれで人間的なことです。
しかし,行動療法学会という場であれば,臨床試験のエビデンスや実験心理学による実験的根拠にたって議論すべきであり,権威者の意見やモラル上の理由は議論の対象ではありません。本来はOvercorrection全般についてどのようなエビデンスがあるのかについて議論すべきでした。
gestaltgeseltz on 2009/10/30 2009-10-30 01:08
>こぼりさん
私も臆病なので、時々自分でひるむような事にチャレンジしつつ、ああ、恐怖の元におかれた人間はつまりこのように考え、行動するんだなと実感しています。まあ、便器に手を突っ込んだりは別に怖くないですが。
ただ、再発予防に関しては、本人の生活における「汚い」と感じる場面において、本人が「つまり、ここでいっとかなあかんのやな」という考えを持ち、回避せずむしろ触れるという行動パターンが形成され、そのような行動パターンが本人にとって望ましいと認識される事(つまり汚いと感じたものにわざと触れて、良くやったぞ私、と喜びを感じられる事)によって再発が予防されるのであって、治療過程で何に触れられるか、触れられないかの話は枝葉末節な気がしました。
>べっしさん
アメリカでエクスポージャーに関する訴訟などがあるという話を小耳にはさんだ事がありますから、スタッフのハラスメントには注意するにこしたことはないですね。
OvercorrectionのOverとは絶対的な普通からのOverではなく、あくまで患者さんの価値観からのOverだと考えれば、Exposureは全てOverに決まっているんですが、・・・というか、患者さんの何もかもがOverだという価値観を変更するためにOverな事を試みるのがExposureなので逆か。
とりあえず発表お疲れさまでした。発表もやってりゃそのうち慣れますわ。
>原井先生
Overcorrection全般についての議論って面白いですね。それだけをテーマにシンポジウムしてもマニアックで楽しいような気がします。
しかし、私の見たところ、別司さんの指示にOvercorrectionにあたるようなものが何一つなかったので、その議論をするには若干話がそれてしまうような気がしていました。まあそれも、「なにをOverとみなすか」みたいな、最初の「普通」の話に戻るのかもしれませんが。
私も臆病なので、時々自分でひるむような事にチャレンジしつつ、ああ、恐怖の元におかれた人間はつまりこのように考え、行動するんだなと実感しています。まあ、便器に手を突っ込んだりは別に怖くないですが。
ただ、再発予防に関しては、本人の生活における「汚い」と感じる場面において、本人が「つまり、ここでいっとかなあかんのやな」という考えを持ち、回避せずむしろ触れるという行動パターンが形成され、そのような行動パターンが本人にとって望ましいと認識される事(つまり汚いと感じたものにわざと触れて、良くやったぞ私、と喜びを感じられる事)によって再発が予防されるのであって、治療過程で何に触れられるか、触れられないかの話は枝葉末節な気がしました。
>べっしさん
アメリカでエクスポージャーに関する訴訟などがあるという話を小耳にはさんだ事がありますから、スタッフのハラスメントには注意するにこしたことはないですね。
OvercorrectionのOverとは絶対的な普通からのOverではなく、あくまで患者さんの価値観からのOverだと考えれば、Exposureは全てOverに決まっているんですが、・・・というか、患者さんの何もかもがOverだという価値観を変更するためにOverな事を試みるのがExposureなので逆か。
とりあえず発表お疲れさまでした。発表もやってりゃそのうち慣れますわ。
>原井先生
Overcorrection全般についての議論って面白いですね。それだけをテーマにシンポジウムしてもマニアックで楽しいような気がします。
しかし、私の見たところ、別司さんの指示にOvercorrectionにあたるようなものが何一つなかったので、その議論をするには若干話がそれてしまうような気がしていました。まあそれも、「なにをOverとみなすか」みたいな、最初の「普通」の話に戻るのかもしれませんが。
こぼり on 2009/10/21 2009-10-21 20:36
ロビーでの「プチ・ラウンドテーブル」に至るまでの経緯が分かりました。超・軽いノリで僕は登場してましたね!便器に手を突っ込むことに関しては、
1. テレビのドキュメンタリーとして放送されたものなので、衝撃的な場面であったこと
2. 日英で不潔感覚に文化差があること
の2点を譲歩したうえで回答する必要がありそうです。実はこの点に関して、ワークショップ中にTOMODA先生が、「そこまでやる必要があるのでしょうか?」とサルコフスキスに質問をしていました。彼の回答は…
腕を骨折した人のギブスに似ている。「腕が普通に動くようになりさえすればいい。どうしてギブスなんかするの?普通の人はつけてないし、恥ずかしいよ」とごねたら、整形外科はどう答えるか?「回復を促進するため、悪化・再発予防するために、一時的につけましょう」と答えるでしょう
といった感じでした。HNさむかけさんの指摘する「再発予防」とも重なります。別司先生が「患者さんとの合意」について触れていますが、サルコフスキスの事例では、患者が「私にはこれが必要だ」と自分自身で設定した課題なんです。
サルコフスキスはさらに、「患者が暴露で体験する気持や苦痛を理解するために、セラピストは何倍も難しい課題(「普通」以上に汚いもの)を体験しクリアしておく必要がある」とも言っていました。この指摘に対する抵抗のようなものが、別司先生に向けられてしまったのかもしれません。
まあワークショップの通訳が下手で、サルコフスキスの真意が伝わりにくかったんでしょうね。
「選手も監督も、記者もミスをする。最もミスが多いのは、通訳だ!」(オシムの言葉)