2009/10/21: 認知療法学会 行動療法学会 2日目 その3

第35回行動療法学会&第9回認知療法学会に参加してきました。
2日目の感想その3です。

ちなみに色々な先生の名前を出すことで、コメントを誘い出そうと画策しています。

2日目 その3

さて、専門行動療法士の面接試験を終えて、残るはケーススタディーのみとなった。それなりに万全の態勢で臨んだ、はずだったが・・・・

午前中使用できていたUSBスティックが、ケーススタディーの会場では動かない。
その場にあった2台ぐらいのパソコンに接続してみるも、うんともすんとも言わない。

・・・いやー、困ったなあ・・・。少し会場と遠い所に宿取ってるしなあ。もし宿まで行ってパソコン持って帰ってきたら、それこそ間に合うかどうかが微妙だ。

それにしても会場係のスタッフが全然役に立たない。USBスティックが反応しないのに「困りましたねえ」と言ってたたずむばかりで、何もしてくれない。新しいパソコンを色々試すとか、宿までの時間を計算するとか、全然する気が無い。いやー、こんなに頼れず役に立たないスタッフには参った。
もうそのスタッフと話してもらちが明かないと判断できたので、とりあえずUSBを預けて、ダッシュで駅まで走って、ホテルに行ってパソコンを取って、タクシーに飛び乗って、会場に戻ってきた。15分前に着だ。

しかもその後調べてみたら、結局USBスティックは壊れてなくて、ただ会場のパソコンとの相性が悪かっただけみたいで、あの時にスタッフがまともに対応してくれていたら無駄な苦労は要らなかったのにと改めてムカっとした。

まあ、ギリギリな感じでデータを提出している私にもまずい所があるのかなと思うけど。

それはそれとして、ちょうどそのバタバタしている間、CBTセンターで手伝って頂いている別司先生がケーススタディーで発表されてた。戻ったあたりで大体質疑応答が始まっていた。

なんかこう、質疑は若干明後日の方向に向かい、前日のサルコフスキスの講義に対する違和感などをフロアからぶつけられ、若干戸惑いつつ別司先生が応え、それにまた別の人が異を唱え、・・・みたいなカオス模様になっていた。
テキトウな時間を見計らって、ばくっとコメントを言ってまとめておいた。

んー、小堀さんも見てるかもしれないからリアルに描けば、フロアからの質問は以下の通りでした。
前日のサルコフスキスが「便所に手を突っ込む」勢いでエクスポージャーを設定しているのが、普通の人間でも汚いという感じの事をさせている気がする。我々治療者は患者さんに“普通の感覚”を取り戻してもらうために治療するのであって、普通の人が汚いと思うような事をしてもらうのはいささか行きすぎじゃないか?というのが意見だった。

あー、それは前日サルコフスキスにぶつける質問だと思うけどなあ・・・、なんでエキスパートに聞かずイニシャルケースの人に聞くかなあ。まあ別司先生の応答を眺めるか。

・・・別司先生は、やや混乱しつつも「患者さんとの同意に基づいて行えばそれで良いのでは?」みたいな類の事を応えていた。

そこにHNさかむけさんから更にコメントがあり、この方は元(現?)OCD患者さんだそうだが、「OCD治療は普通100%汚いと思う事でも、もっと120%も150%も汚い事に曝露していかなければ治らないし再発する。私は患者だから良くわかる」的な話をされていた。

うーん、シンポでも「反精神医学」風のコメントがあったけど、往年の臨床心理学会みたいになっとるなあ。

ここは座長の井上先生の出番?とか思ってたけど、微妙そうだし、しゃーない私が発言しておくか、とその場をまとめておいた。
たしか「OCDのエクスポージャーはまさに本人が汚いと感じるその感じに触れさせることが肝要であって、その際便器は汚さを感じるためのただの1手段であり便器か便器でないかは取り立てて重要ではない」的な事を言ったと思う。

小堀さんならどうまとめるんだろ?

******

まあ、そんなこんなでかなりの閑話休題があった後で、私のケーススタディーが開始された。これさえ終われば懇親会で飲めるのだと思って、力を振り絞ってました。
今回助っ人を阪本病院の久保田先生に頼んでおいて、逐語を読み合わせて頂いた。感謝しています。

ケーススタディーは逐語で出すには時間がタイトだけど、行動療法学会はあまり逐語発表というものが無いので、それはそれで中々良いんじゃないかと思って去年に引き続き2回目の逐語だ。
事前に座長の原井先生とやり取りした時には、10分ほどしかディスカッションの時間が無いということだったけど、もう10分ほどタイトに絞って20分ぐらいのディスカッションを用意した。


なんというかケースをまとめればまとめるほど抽象性と一般性が高まる半面、現場で起こっている事を判らなくさせてしまう。
逆に言えば上手にまとめて臨床上手に見せる事はそれなりに容易い。

そういうまとめすぎへのアンチテーゼとして、という言い訳をしつつ、ぶっちぎりまとめていない発表をしてみた。作用機序どころか目的もなく、考察すらない。ただの逐語とその後だ。

まあ、例によって個人情報なので内容は書けないんだけど、着眼点(狙い)を提示されず、まとめ(考察)を提示されないという、言わば”投影法的発表”で皆さんの胸の内にはどのようなものが渦巻いただろうか?

今回のケースは2年ほど前ということもあってか、今自分で見ても我ながら下手クソな言葉遣いだなあと思う部分も非常に多く、若干恥をさらすつもりで臨んだ。まあカウンセリングはおしゃべりなので、打率10割というわけにもいかない。
こーゆー下手で滑ったトークが随所にちりばめられているのも、ある意味反面教師としてみて頂ければと思う。

しかしさすがに座長の原井先生は動機付け面接で「患者さんとの言葉のやり取りそのもの」をコード化したりしているだけあって、温かくも的確なコメントをくれた。
治療者の妄想や欲望に患者さんをつき合わせるのは、大きなお世話というか非常に害だと思う。
きちんと言葉のやり取りを分析する手段があれば、どこが下手かをはっきり指摘できる。
まあ、原井先生を真似て発表したってのは若干言い過ぎだけど、しかし前もって原井先生や門下の小畔先生のモチベーショナルインタビューの情報をゲットしておいてよかった。ケーススタディーにおけるマクロな指針変更はMI非準拠⇒準拠への変化と言っても過言ではない。

まあ、ケーススタディーの1つの着眼点は、ケースフォーミュレーションを作っては壊し、作っては壊しするところだと思う。巷で「ケースフォーミュレーションの作り方」的な発表があるが、そこでは添え物のように『適宜情報収集に基づいて変更していく』ということが言われている。その実地的な発表と言える。つまり「カウンセラーが勝手に作り上げた妄想としてのケースフォーミュレーションの壊し方」が言いたかったことの一つだった。カウンセラーが自分の考えや世間一般のモデルに従って患者さんをあれこれ定義するのは実にたやすく、そしてそれはたいてい間違っている。しかしそれを捨てるのはそれなりに難しい。

ただ、MIにせよ、フォーミュレート破壊にせよ、そういっちゃうとそうだとしか解釈されないまさに催眠的な視野狭窄が発生してしまって、それが自分で発表する分にはちょっと嫌な感じだったんです。シンポジウムとかでガリガリ方向性を出すのは好きなんだけど。

20分のディスカッションはそれなりに盛り上がって、その後もフロアであれこれ質問されたりディスカッションしたりした。

特にケースの都合上、法曹関係とか、看護関係にモテてた雰囲気。

岐阜の仁藤先生からは「発表する意味が無い」的に手厳しくやり込められたが、よくよく話を聞いてみると自分自身も発表する意味があるほどの事が見つからず、しばらく学会発表から遠ざかっているとのこと。さすが奥田先生の弟子というか、武士(もののふ)的な発想だ。
まあ、私はカウンセリングも学会発表もともにおしゃべりであるので、中々そんなに発言が意図にはまってぴったりという事はなく、放たれた言葉は患者さんなり聴衆なりが自由に解釈しても良い事になるので、それに合ってるとか間違ってるとかいうのはあんまりなあと思う。私の学会発表は名刺のように軽い。
それゆえ意図を放棄したような発表になったのだが、その事は逆に仁藤先生にはまさにその点こそがこだわりポイントなので納得のいかなかったようだ。

そこへ今回の学会のMVPの一人であるサルコフスキス通訳者小堀先生がさっそうと登場。小堀先生は「学会発表は楽しい。自己表現であり出会い。常にマニアックな小ネタを用意している」などと学会をEnjoyしている話をひとしきりされた。
まあ学会発表は臨床家にとってみれば、ポイントためてアカデミックポストを狙うのでない限り純然たる残業であって、「学会発表行動」が強化されるのはどんな利得によってか、みたいな話で色々話しをしていた。逆に言えば仁藤先生の発表行動はこれまで消去されてきたと言える。
小堀先生が「若さゆえ、未熟ゆえに発表できるというのもある。振り返って馬鹿な事を書いているなと思うものもあるけど、それを振り返れる自分が成長したという証でもある」という超前向き発言をされていて印象深かった。

まあ、なんというか私にとって発表は聴衆をかき立てられればそれでいいんじゃないかなというのが、実際のところです。そそられない発表はさすがに意味が無いと思うが、聴衆側もそれを面白いと思うフックがどれだけあるかで、楽しめる/楽しめないが違ってくるから、結局演者と聴衆のコラボレーションで成り立ってると思う。

そのあたりで緊張の糸がほどけてきて、記憶があいまいに・・・

タバコを吸いながら横浜の千田先生に「目的が無いのが目的なら、それを目的と書け」と言われたような・・・
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投稿者: 西川公平
2009-10-21 13:50

Comments

こぼり on 2009/10/21 2009-10-21 20:36

USBのことは大変でしたね!僕も会場のスタッフに、「データを移したいので、USBメモリを貸してもらえますか」と言われて、一時的に貸していました…

ロビーでの「プチ・ラウンドテーブル」に至るまでの経緯が分かりました。超・軽いノリで僕は登場してましたね!便器に手を突っ込むことに関しては、

1. テレビのドキュメンタリーとして放送されたものなので、衝撃的な場面であったこと
2. 日英で不潔感覚に文化差があること

の2点を譲歩したうえで回答する必要がありそうです。実はこの点に関して、ワークショップ中にTOMODA先生が、「そこまでやる必要があるのでしょうか?」とサルコフスキスに質問をしていました。彼の回答は…

腕を骨折した人のギブスに似ている。「腕が普通に動くようになりさえすればいい。どうしてギブスなんかするの?普通の人はつけてないし、恥ずかしいよ」とごねたら、整形外科はどう答えるか?「回復を促進するため、悪化・再発予防するために、一時的につけましょう」と答えるでしょう

といった感じでした。HNさむかけさんの指摘する「再発予防」とも重なります。別司先生が「患者さんとの合意」について触れていますが、サルコフスキスの事例では、患者が「私にはこれが必要だ」と自分自身で設定した課題なんです。

サルコフスキスはさらに、「患者が暴露で体験する気持や苦痛を理解するために、セラピストは何倍も難しい課題(「普通」以上に汚いもの)を体験しクリアしておく必要がある」とも言っていました。この指摘に対する抵抗のようなものが、別司先生に向けられてしまったのかもしれません。

まあワークショップの通訳が下手で、サルコフスキスの真意が伝わりにくかったんでしょうね。

「選手も監督も、記者もミスをする。最もミスが多いのは、通訳だ!」(オシムの言葉)

べっし on 2009/10/22 2009-10-22 03:22

なんとまた、長文を。 しかも名前出されて、参戦しないわけにはいかず。策にはまるのもなんだか悔しいですが。

えっと_________________
◆戻ってこられる前に、発表前半の質疑応答が終えていて。その中で、エクスポージャーの実施は『原則、自宅』で『本人がやると決めた時』に行ってもらっていると、説明終えていました。
それを踏まえ、治療手段の選択についてあのご指摘を頂きました。私としては、

①“普通”以上のことをさせるのは治療手段として適切か否かの議論よりも…患者さんが「“普通”以上のことでも試してみたい!」と自ら判断し実施できるよう、如何に治療を運んでいくかの議論のほうが有益だよなぁ
②“患者さんが自らエクスポージャーに取り組み易くなるよう、治療者はいろんな工夫を取り入れてみました!”という点が今回の発表のメインなんだけど。伝えきれていなかったんだな。。
③課題実行に対する達成感や実行後の良い変化を患者さんから報告もらい、その後も自分で課題を進めてこられてる状況で、何がダメなのか分からん
と考えていたけど、質問とはズレてるわけで。

また、“普通以上のことをさせない”象徴としてあげられた某先生の治療方針を、私は不勉強で知らんしな(汗)と、困っていました。次の枠に食い込むわけにいかず。次第にカオスと化したこの場の回答、むしろ私が教えて欲しい!!次にのケーススタディにむけ原井先生も見えられ、もうどなたでもいいから、ヘルプミ〜(・_・;)ってな状態でした。
⇒⇒⇒“手段が目的化しており、治療の本質は異なる”という旨伝えて頂き、助かりました。そう回答できなかった自分に、凹んでもいました。。
__________________

幕張を離れ数日後、ケーススタディーに参加されていた知人から、「TVの中の若者・芸人は、人前でわざとあらゆることをして笑いを取るなど、日本も今では欧米化している。今の若者には、欧米化したモデルが身近にあるから、恥かきエクスポージャーや、ありえないと一見思う治療もok。臨床は変化して良い。と耳にしたことあるよ」と言われ、少しホッとしていました。それをあのケーススタディーの場で、教えて欲しかった。。

夜の飲み屋でも、サルコフスキス先生の進め方に対し「治療者自身をそこまで犠牲にする必要が本当にあるのか」と議論が諸先生方で交わされましたね。今後、同じ質問を受けた際に応えられるよう、自分の言葉で整理しておきます。
◆私にとって発表は、ケースをじっくり振り返ることができ、棚に眠たままの本をめくることができる良い機会です。学会発表をEnjoy……いつかそんな日が私にも来るといいな、です。

原井 on 2009/10/23 2009-10-23 00:19

>便器に手を突っ込むこと
どれだけ必要性や合理性があったとしても,できない治療者には絶対にできません。
そういう治療者が敢えて行う必要性も合理性もないでしょう。
他にも治療法はあるのですから。

一方,できないことを言い訳する方,さらにできる人に対して患者の利害とは別の次元,例えば,権威者の意見やモラル上の理由から非難する方もあります。これはこれで人間的なことです。

しかし,行動療法学会という場であれば,臨床試験のエビデンスや実験心理学による実験的根拠にたって議論すべきであり,権威者の意見やモラル上の理由は議論の対象ではありません。本来はOvercorrection全般についてどのようなエビデンスがあるのかについて議論すべきでした。

gestaltgeseltz on 2009/10/30 2009-10-30 01:08

>こぼりさん
私も臆病なので、時々自分でひるむような事にチャレンジしつつ、ああ、恐怖の元におかれた人間はつまりこのように考え、行動するんだなと実感しています。まあ、便器に手を突っ込んだりは別に怖くないですが。

ただ、再発予防に関しては、本人の生活における「汚い」と感じる場面において、本人が「つまり、ここでいっとかなあかんのやな」という考えを持ち、回避せずむしろ触れるという行動パターンが形成され、そのような行動パターンが本人にとって望ましいと認識される事(つまり汚いと感じたものにわざと触れて、良くやったぞ私、と喜びを感じられる事)によって再発が予防されるのであって、治療過程で何に触れられるか、触れられないかの話は枝葉末節な気がしました。

>べっしさん
アメリカでエクスポージャーに関する訴訟などがあるという話を小耳にはさんだ事がありますから、スタッフのハラスメントには注意するにこしたことはないですね。
OvercorrectionのOverとは絶対的な普通からのOverではなく、あくまで患者さんの価値観からのOverだと考えれば、Exposureは全てOverに決まっているんですが、・・・というか、患者さんの何もかもがOverだという価値観を変更するためにOverな事を試みるのがExposureなので逆か。
とりあえず発表お疲れさまでした。発表もやってりゃそのうち慣れますわ。

>原井先生
Overcorrection全般についての議論って面白いですね。それだけをテーマにシンポジウムしてもマニアックで楽しいような気がします。
しかし、私の見たところ、別司さんの指示にOvercorrectionにあたるようなものが何一つなかったので、その議論をするには若干話がそれてしまうような気がしていました。まあそれも、「なにをOverとみなすか」みたいな、最初の「普通」の話に戻るのかもしれませんが。

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