2009/08/21: 雑誌の電話取材

「『山城新伍の娘が葬式に出なかった』事に関して心理的にどう考えればよいのか、専門家の意見を聞かせてほしい」と週刊ポストの上原と名乗る記者から電話があった件に関して。

「そもそも山城新伍を大して知らないし、TVニュースも見ないし、いずれにせよ他人のご家庭に興味がありません」
というのが本当のところなんだけど、まあ「雑誌の電話取材ってこーやってされているんだ・・・」という好奇心も少し手伝って、アレコレ応えてみました。

そしてそういう事をがっつりブログで書く事によって、逆切れならぬ逆メディア?的にやっちゃおうかな―とも思いました。


上原記者の言うところによると、山城新伍さんの娘さんが葬式に参加しなかったらしい。
「それについて記事を書きたいんだけど、父親の葬式に出ない娘の心理について教えてほしい」というのが問い合わせの内容。
記者は付け加えて「山城さんと奥さんは離婚して、娘さんとは絶縁状態にあった」とも言った。

それだけの情報からわかる事って、あんまりないような・・・・。

まあとにかく、しばらくは会っていなかったんだとすると、
①会っていた時に”強烈に”嫌な出来事があったので、それが会わなくなって時間が経過しても残っている
②会わなくなってからも、”継続して”嫌な出来事があったので、もうこりごりになっている
の二つが考えられるけど

「①ってまあ、アルコール飲んで暴れるとか、暴力による虐待で殺されかけるとか、性的虐待とか、まあでもそういう事はそんなにたくさんある事ではないし、確率として高いのは②の方じゃないかな」と記者に返事した

そうすると記者は
「娘(元妻?)は市役所から父親について連絡が入った時に、『一切情報を入れてくれるな!』」と抗議したのだけど、そこまで嫌うというのはどういう心理ですか?」
と尋ねてきたので、

「まあ、②だとすれば、そのご家庭に元夫(父)に関する刺激が継続して入り続け、ほとほと嫌気がさしているので、その延長線上に市役所からの連絡があるのかも」と応えた。
また、「例えばそのようにいやな情報を入れ続けた相手が葬儀に出席しているので、その相手に会いたくないから行かないという可能性だってあるし、まあ可能性だけならどれだけでもある。」とも付け加えておいた。

そうすると記者は
「娘は離婚の原因となった山城さんの浮気にショックを受けて、葬儀に行かないのだろうか?」
と訊いてくるので
「うーん・・・、浮気という事態が起こる確率と、親の葬儀に行かないという事が起こる確率は全然前者が多いので、それが原因ならもっと世の中にたくさん『親の葬式に行かない子』がいる気がする」
と答えた。いやまあ私が世間知らずなだけで親の葬儀に出ない子ぐらいザラにいるのかもしれないけど。

しかし、結局のところ、袂を別かった娘が葬儀に行かないぐらいで、集まる香典の額が大きく変わるわけでもないだろうに騒ぐほどの事なのかなと思う。
山城新伍さんが生前どんな人かはわからないけど、関係のあった方々が死者に別れを告げていく葬儀という儀式において、娘が来ていようがいまいが関係ないだろうに。
あるいはそんな細かな他人の家庭事情に頼ってメディアは成り立っているのだとしたら、貧しい事だと思う

まあ、記者に付け加えていったのは
「もし、かつてのそこそこ嫌だった体験というのがひたすら強くこびりついて残っていて、色々行動に移しているのだとしたら、その人は現在の生活において、あまりハッピーでないのかもしれない」
ということだ。

我々は種々雑多なストレスを受けるが、そこそこ幸せな現在を送っていればそれなりに過去の事は水に流せる。
言い変えれば「今めっちゃハッピーだけど、あの事は許せない」みたいなものは、時がたてば「今めっちゃハッピーだから、あの事もまあええか」みたいに風化する。

逆に現在の不幸の原因の帰属を、かつての不幸に求めている場合は悲惨だ。
「私が今不幸なのは、かつてのあの出来事のせいだ」
と思い続けている限り、自分で自分のこころに嫌な刺激を与え続ける事になってしまう。
また、”かつての”、”誰かの”せいで・・・!と思っていればいる程、”現在の”、”自分の”何かを少しずつ変えていくというモチベーションが割り引かれてしまう。

山城さんの娘さんが現在ハッピーかどうかは全然知らないけど、一般的な話。



そういう意味ではあらゆる精神療法やこころの治療に勝るものは、現在の生活の充実とそれを目指す自らの行動だと思う。

あまりに不幸だったり、ヒマだったり、社会的に機能していなかったり、不適応である事を強力に支えてくれる人が居たりすることで、”人生の目的は悩む事”になってしまっているとしたら、そこからどうやって生活を充実させていく方向に進むかをサポートするのが、認知行動療法だと思って施術しています。


記者の上原さんには、そんなこんなで30分ぐらいお話ししたんだけど、残念な事に
「上原さんが書きたい事をちゃんと専門家も述べたかどうかをチェックするばかり」
で、話が通じている感じはなかった。
多分話した事は記事に活かされないか、曲解されたと思う。

私の知る限り、記事を書く事を生業としている人は、判で押したように同様のコミュニケーションと言っても良い。まず結論ありきで話される。

まあ、他人さんのご家庭の事情に踏み込むという点で卑賤なのは記者もカウンセラーも大差はないんですが。
しかし、芸能人の娘というのはつまり素人なわけで、素人のことをあれこれ暴き立てることでお金を設けるメディアや、宣伝を出すスポンサーには、完全に正義がないと思う。

カウンセラーとしてはなるべく邪な気持ちが入り込まないようにそれなりに注意を払って話を聴いているので、その分良い気がしない。
それは、そんな他人の家庭の事情を喜んで観ている視聴者に対しても、いい気はしない。

最後に
「記事内に名前を出して構いませんか?」と訊かれたので
「自分が書いた原稿でない限り、それは不可能です」と応えて、電話取材は終わった。
会いもしないで、勝手に名前出してもイイですかもないもんだけど、そーユーのでもまかり通るんだな・・・。

でも、あまりに取材が嬉しかったりすると、ホイホイ名前出して御用専門家みたいになっていくのかもしれない

まあでも、それなりに面白い体験でした。
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投稿者: 西川公平
2009-08-21 00:26
カテゴリー: 雑談

Comments

こぼり on 2009/08/22 2009-08-22 05:55

西川さんにもメディアの手が伸びてきましたね。ロンドンのフリーペーパーを読んで、娘さんといっても40歳を過ぎた人だと分かったときは、「式に出なかった理由」の仮説が再構築されるような気がしました。

メディアの取材は、Reassurance Seekingと共通点があるように思います。こちらが「はい、そのとおり」と言えば喜ぶし、「どうかなあ」「違うんじゃないかなあ」と言えば、間接的に不満を表明してきます。そして動機づけは確実性を高めることと、Responsibilityの共有あるいは押しつけです。

NHKスペシャルの収録前、野村総一郎先生から「NHKのストーリーに沿った発言しか放送されないよ」と言われたときは、「そんなもんかなあ」と思っていましたが、放送を見たときはビックリでした。1時間の番組のために4時間たっぷり収録するのはこのためなんですね。

gestaltgeseltz on 2009/08/28 2009-08-28 01:16

あれから調べたところ、娘さんは40歳で芸能人だそうですね。
という事は、それらの言説も芸能活動の一環の可能性もあるので、何とも言えないと思いました。

NHKにせよなんにせよ、大型メディアの持つ恣意性についてはいつも危惧を覚えます。

また今度海賊ラジオで「I love OCD」かなんか放送しましょう

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