2009/01/25: 報告行動の強化

先日京都行動療法勉強会に参加してきて、素敵心理士の宮先生が行動分析の基礎について話題提供してくれていた。

その時につれづれと思ったことについて。

我々カウンセラーという職種のメインは実際のところ来談した人との言葉のやり取りをしている。
つまり、職業としては「しゃべること」で、扱うものも「会話」だ。
一部の例外をのぞいて、このようなおしゃべりがカウンセリングのメインになっていることは間違いない。

以前宮崎の行動療法コロキウムで、フリーオペラントに関する報告を行った時、ディスカッションの末に「このケースでは”報告行動”を扱った」という事になった。
ザクっと書くと、摂食障害がある子どもの摂食行動が増加したケースだが、「その強化子は何だったのか?」という質問に対して「摂食」と答えたわけだが、その事が今一つピンとこなかったらしい。
臨床的に、「良くなったから、良くなった」みたいな事はざらにあると思うんだけど。

じゃあそういうフリーなオペラントに対してカウンセラーが何をやっているかと言うと、「報告行動を強化(や分化や弱化など)」している、となる。

しかし、よくよく考えてみると、報告行動を扱わないカウンセリングがあるだろうか?

最近このあたりに微妙なズレを感じる。

行動分析の研究発表や論文などでよくみられるのだが、本当のところはカウンセリングルームで母親と会話して、母親の報告行動やルール支配行動を直接扱っているのに、それであたかも間接的に子どもの行動を強化したり消去したりしている風に発表している場合がある。不登校とか引きこもりなどで、直接ルームに来ない子の場合は特にそれが酷い。

逆に言えば素晴らしき行動分析が、いつまでたっても”マニア受け”の範疇を出ないのはこの辺りの手抜きにあるのかもしれない。つまり「行動を扱う人間は認知や思考を扱わない」というのは誤解で、「単に下手だから扱えない」のではないだろうかという疑惑がある。

なぜなら、会話は行動分析するにはあまりに移ろいやすく、あいまいで、データに基づかず、客観的でない。

もし会話を分析しようとすると面接時間中に延々と連なる、来談者の刺激に対するカウンセラーの反応=刺激に対する来談者の反応=刺激に対する・・・という行動連鎖を扱うはめになり、結局どの行動がどの変容を招いたか、何が強化で何が弱化か、分化強化をかけるとして、それが分化強化になり得るという根拠は何かなどという問いに科学的にはほとんど答えられない。
つまり「センスです」、「経験です」という心的概念に自分の場合は逃げる。

ケース報告というものはその言語にしがたい「センスや経験」を言語に変えて発表するから意味があるのであって、そうでないのならほとんど意味がない。

結果として、行動分析の発表は面接全体の中でほとんど瑣末といっても良いような部分(つまり三項随伴性の部分)しかデータとしてはっきりせず、ディスカッション上に載せない事になる。

実際どんなやり取り(プロセス)か不明⇒判りにくい&間違っている⇒意味不明の図が乗る⇒臨床上使用に堪えない

という流れになってしまう。
もったいないことだ。
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投稿者: 西川公平
2009-01-25 00:31

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