2013/08/26: 日本行動療法学会、日本認知療法学会大会参加記 西川

同日開催された両学会に参加してきました。いつもの誰得感想文を書いてみたいと思います。

今回は、とっても忙しかったです。神村先生のワークショップのお手伝い、認知療法学会でケーススタディー、行動療法士会でシンポジウム、行動療法学会でポスター発表、と四本立てでした。

四本のクオリティーを落とさないようにキープできるのか、できればスタッフの発表のクオリティーも、という欲張りな感じで臨んだために、中々疲れました。
発表する時は、自分でまとめて、フロアのディスカッションを想定して直して、CBTセンターのスタッフ等のチェックを受け客観的な意見をもらい、再び直して、全体的な戦略と戦術を決定し、再び直して、と安全確保に余念がないですが、いつもギリギリになってしまいます。ましてや数が多いと大変ですね。


でも、まあ、認知療法学会、行動療法学会共に3日間の中にぴっしりとプログラムが組まれていたので、皆さん忙しそうでした。
特に行動療法学会は解散と社団化と改名と、それに反対する人々への牽制で大変に忙しかったのだろうと思います。
忙しさのあまり旧交を温める時間もそれほどなく、他の発表を聞く余裕もなく、資料作り、発表に追われまくってました。
亜細亜のポスター発表を観に行ったけど、興味をひく発表がなくて、すぐに撤退。よく考えたらポスター発表ってあんまり興味を引かれません。

まず前日の晩に行動療法士会のシンポジウム「スーパーバイザーとスーパーバイジー」の打ち合わせがありました。
中村菜々子先生、高橋史先生、杉山雅彦先生、尾形明子先生、別司ちさと先生、私で打ち合わせも一応しましたが、実際のところ
「この与太話をUstreamか何かで流したほうが、よっぽど視聴率取れるわ」
と思うぐらいに、本音飛び交う抱腹絶倒、楽しい飲み会でした。


さて、第一日目朝一の出番、と思ってホテルからタクシーに乗ったら、びっくりするぐらい違う所に連れて行かれて、かなり焦りました。着いた頃には始まってるぐらいでした。

神村先生のWSのお手伝いは、中々に楽しかったです。
3時間枠のうち、二人でせいぜいが90分ぐらいしか資料を作っていなくて、あとはその場のノリでやっちゃおうぜという出たとこ勝負で臨みました。
でも、ちょっとだけ安全確保として、岡嶋美代子先生と田中恒彦先生にロールプレイのお願いをしておきました。
ちょっとだけというか、その二人をして安全確保をしたら、どこに危険があるのだろうか、いやない的な安全確保です。
私はプロのプレゼンテーターではないので、何というか人前に経つと上手く喋ることができないのですが、プロの臨床家ではあるので、説明するより実際やってみせる方が何倍も楽に思います。
ですから、今回のWS後半ではステージ上のびのびと振る舞えて楽しかったです。
特に田中先生模擬患者v.s.岡嶋先生模擬セラピストのやりとりは完全に奇跡感出まくりでした。
あれを見逃した人は惜しいと思います。
私はセラピスト役とか難しいことはせずに、お仕事を振る役に徹していました。

私の出番はそれだけで、海外から招聘した人の話とか合ったのですが、海外の話は基本的な話ばかりでハズレが多いのでパスして、ひたすら翌日の資料を作っていました。

二日目はセンタースタッフの木内が発表するとのことで聴きに行きました。
何というか、木内は木内として変なことせずに安定した介入をするなあと思いつつ、自分の殻を破れるんだろうかといらん心配しているうちに無事に終了しました。
その次の発表も行きがかり上聞きましたが、日本語が滅裂し過ぎてちょっとやばい感じでした。
ちょっと時間が合ったので認知療法学会のポスターを見に行きました。
1つだけ名古屋市立のめまいの発表にコメントして色々教えてもらったぐらいで、後はそんなに食指が動かなかったです。
10年ぐらい尺度研究を禁止にすればいいのになあと思いました。

2日目の最初の出番は認知療法学会のケーススタディーでした。
ここでも全く打ち合わせをしてなかったので、ちょっと早めに会場について座長の原田誠一先生、コメンテーターの久村正樹先生と簡単なディレクションを行いました。
原田先生は何度かグループSVを受けたことがあるので、盤石の安心感です。
久村先生は今回はじめてお会いして、仲良くなりました。

じつは私は行動療法学会のケーススタディーに3時間かけて抄録を作り、締め切り1時間前に応募して、1時間余ったから認知療法学会のケーススタディーに30分かけて抄録を作り、応募したのですが、前者は落ちて、後者は通りました。
人生そんなもんですね。

今回のケースは純粋な認知療法のケースで、コラム法からスキーマ、そしてSSTという何の変哲もない、なにか新しいことは一つもない発表でした。
原田先生には、
「疾患特異性などを扱ったというより、ごく一般的な底上げをして、それでよくなったという感じですね」
とコメント頂き、まさに我が意を得たりという感じです。

なんか最近学会を散見すると、「**障害のCBT」とか有りもしないものの第一人者になってみたり、普通のCBTの下手さを棚に上げて従来療法の不備のせいにして、新療法を始めるバカさ加減に辟易します。
今回のケース報告は原田先生の計らいで90分枠という時間に余裕がある感じだったので、結構ゆったりと発表でき、ゆったりとディスカッションできました。
フロアの方々も非常に熱心で、かつ鋭いコメントを頂いて、いろいろ考えさせられました。
行きがかり上、もう一つのケーススタディーを見る事になりましたが、これはなんともユニークな感じでした。
なかなか難しいケースかもしれないのですが、律儀というか丁寧というか、素人ながら贅沢に時間を費やし患者さんにペースを合わせて、きちんと反応を見ては手立てを選ぶというごく基本的なことが為されている認知療法の発表でした。
データに基づいて、介入を選び、というプロセスにおいて妙な仮説概念が無いところや、私心なく患者さんのためにあれこれ工夫されるところに誠実さを感じました。
その後間なしに行動療法士会のシンポジウムがありました。
「スーパーバイザー(SV)側として発表して下さい」
と依頼されたので、こんな若輩者が・・・と思いましたが、まあ杉山先生が相方なので、ピンからキリまで用意しようということなのでしょう。
私は個人SVを受けたことがないので、結局のところ自分自身の修行をそのまま相手に強いるようなSVになる事になります。
SVは結局間接的な行為なので、直接ThとPtがやりとりしていることは本当のところ良く分からないのですが、まあ岡目八目という感じでアレコレ口出しします。
結局SVの役割は、まずそのPtが治ることがあり、その治療を理解できるように促すことがあり、その理解を他のPtにも応用出来るようになることまで導くことかと思います。
ちょうどポスター発表で陪席について取り組んでいたので、その紹介もしてみました。
「誰の陪席をしてみたい?」という質問の回答を、さすがにポスターで出すのははばかられていたので、発表できたのは良かったです。

最近は新しいスタッフも入ったこともあり、またもう1人ぐらいスタッフ募集中でもあるので、認知行動療法の技術を伝えていくということに興味を持ち始めています。
技術というのは7割方は非言語なので中々に伝えづらいものです。
そういう意味では神村先生のWSで岡嶋先生が上手なTh役をやっていた時の細かな身振り手振り、トーン、間合い、タイミング、雰囲気など、見れば判るものでも、伝えるに難しいというのを示せたのは良かったです。無論ヒトノチカラで。
よくよく考えると、そういった7割の部分を学会が全く伝えないとしたら、それは技術のための学会ではないのだろうと思います。
まあよく考えたら学会は学術のためですが。

手前味噌ですが、11月の事例検討合宿は純然たる技術を扱うための集まりにしようと始めたものですが、中々どうなっていくのか楽しみです。
学会や懇親会で、恥ずかしげもなく宣伝しまくってました。

終わって懇親会。発表のメインはこの二日目だったので、明日のポスターはもう刷り上がっているし、もう準備する必要もないし、気楽な気持ちで懇親会に臨みました。
やはりWSが好評だったらしく、WSに肝要なのは人のふんどしで相撲を取ることかと得心しました。
あとは茶道の先生と「へうげもの」について話したぐらい。


さて、最終日三日目は、朝からスタッフのポスター発表があり、それなりにまとまっている手堅い感じがありつつも、もう少し行動分析がぴりっとしない。
近くにいる温泉先生にご助言を仰ぐようスタッフに支持し、ぴりっとしてきました。
でも、当時機能分析していなかったことは否めないなあ。後付説明。


昼からも別のスタッフのケーススタディーと自分自身のポスター発表。
スタッフの発表は脱中心化という流行りの発表ですが、まあ何とか無事に終了。
もうちょっと脱中心化を促した実際の手続きを示せるといいのだけれど。

その後「距離を置く」シンポジウムに参加。
ACT、メタ認知療法、マインドフルネスの夫々の先生が「距離を置く」概念について述べられていました。熊野先生が「距離を置くことと俯瞰の違い」について述べられていて、非常にわかりやすいお話だったのが印象的でした。私もちょうど前の日に全く同じことを尋ねられて、あまりうまく答えられなかったので。

「言葉や思考から距離を置きましょう」という流行りの話は、まあなんというか「距離を置くとはどんな概念で、それはどんな意味があるのか」についての議論は、得てして鉛筆の削りカスのような話にも思えなくない。
「どんな操作でそれを簡便に行うか」、「どんな測定でそれを簡便に測るか」の議論なら、まだ判るのですが。
何したって距離なんか置けるしね。
2,3分喋ってもおけるし、肩の力抜いても置けるし、特殊な方法で距離を置くことに特化する事を取り沙汰する価値が有ることなのか、未だに見いだせないままにいます。

私のポスター発表は、CBTの陪席に関するもので、福井義一先生が寄ってくれて「陪席で寝ちゃう行為」について貴重なアドバイスを頂きました。
ソマティック・エクスペリエンス(SE)の概念からすると、陪席で寝てしまうのは、面接が眠い≒面接が動いていないからであって、むしろ面接で起こっていることを身体で拾っている証拠だから悪くないんだそうな。
言われてみると全くその通りですね。面白い面接は寝ない。
その他にも若手からシニアまで色々な人々が聞きに来てくれて、なかなか良かったです。陪席というと「自分の施設に人が居ない=無理」という自動思考の人が多いのが、1/4は他の施設で陪席しているというデータを示せたことで、陪席はやるといいなあと思います。
CBTセンターでも陪席というサービスは行っています。有料ですが、下記のとおりです。ご興味があるかたは是非。
http://cbtcenter.jp/cbt/study/supervise002.php

今回初の試みとしてポスターをPDF化してDL出来る資料にしました。スマートフォンさえあればいつでも見れる・・・って、あまり見てる人居なさそうでしたが、QRコードも付けばよかった。コレってしかし、論文にするんかな・・・。
まあ、無事にポスター発表も終わり、後なんだっけと思ったら、田中先生の肝入り企画「自動思考とは何ぞや」シンポジウムが有りました。
澤先生というパブロビアンの連合学習理論に基づく自動思考の理解という、ある種の、なんというか、変態的な無双ぶりを堪能しました。


終わった後は、急いで行動療法士会研修に参加。
丁度間の休憩時間だったらしく、レジメを観ながら急いで議論に追いつこうとしてました。
走行してるうちに後半が始まって、始まった?アレ?何この空気??
ちょっとワケわかんないんですけど…(汗
一応暫く様子を見る。15分はお任せしようルールだし。
15分後には本格的に埒があかない事を把握。

とりあえず、居心地が悪過ぎるんで、破壊させてもらってもイイんかな?
まずは…死に体の司会者にアシスト?良手かわかんないけど、スジとしてはそこだろうし、その後の反応を探るための一手を打ってみる。
んーと、…司会は半死であっても、完全死に体じゃないのね?
後は、えーっと…フロア的にも、何かこう、払拭して欲しくはあるけど、疲れ果てているか、ケツを持つほどの漢気が無いか、処理する器量がないか、どれかなのね…
しかし、それにしても他所から呼んでる津川先生に対して失礼千万だわ。って、神村先生がうまくつないだし、尻馬に乗る一手だな。てな具合で、終わって喋って、お開きが20:30。
はー、めんどくさかった。何の我慢大会かと思った。
行動療法士のマクロに対する無能力さが遺憾なく発揮された。

士会研修は「行きしぶり」のケースで、津川先生は見事にブリーフセラピーを展開されていたのだが、それを行動療法から観てどう見る?というのがお題だった様子。
行動療法から見れば、60秒ルールに従って行動近接の結果事象を探るところなので、前段で行き渋り行動の連鎖をひたすら記述するところから始まり、正反応(つまり、どうであれば適切な行動か。この場合は玄関を出るなど)を探る。

行き渋っているということは正反応の生起しているわけだから、その正反応との随伴性を類推し、操作し、上手くいったらおなぐさみといったところだろうか。
もちろん行動の連鎖において、誤反応(めそめそしたり、暴れたり)と随伴しているような刺激を同定し、除去することによって、誤反応が出てこないように務めることも可能だ。2ndの方法としてはよくある。
例えば、行き渋れば渋るほどに車で送ってくれる(強化子)が出現するのであれば、「**分以内に玄関を出れば車で送る、それ以降は歩く」というルールを形成してみるとかも、一例だ。
でも、取りも直さず強化子が何なのかがわからないと、治療しづらい。母親の接近なのか、休んでもいいよという話なのか、送迎なのか、行動の後に起こっていることで、その行動に寄与していると類推されるものは複数あり、選ぶにセンスが問われる。

「うまくいく」そのものの定義としては、正反応が出るまでの反応潜時、つまり時間がどれだけ短縮されたかによって問題が解決したかを決定するアウトカムにする。

ただ、この反応潜時を測る手続きに(いわゆるモニタリング)においてベースラインを置くことをするか、しないかは倫理的に微妙。
ベースラインをおかない場合、認知療法的な変容を起こしうることは十分にありえる。
認知療法としては、むしろこのモニタリングを核にして、両親と子供それぞれに前の晩に「明日の朝はどれぐらい行き渋るか」についての予測時間をたててもらい、実際の行き渋り時間とのフィットを見るような操作で再構成を行う。
ま、そんなところかと思う。

逆に、津川先生が為されたことを行動療法の言葉で言えば、パブロビアンコンディショニングの連合学習で説明できる。
すなわち先生の怖いお説教の際に、落書きをすることを時空間的に接近させることで、怖さそのものが生起した時に同時に面白みが発生するような連合形成が為されている。指定された落書きする内容も、およそ脳内で真面目なものとは連合してないであろうネタなので、いい感じに釣り合いが取れる。
要するに、「学校で食べる飴ちゃんはダメだからこそ美味しい」という連合を作っている。これは中々に頑健だ。
先生のお説教のたびにあのネタが浮かぶようになってしまったら、まじめに聞けるはずもない。

同じく行き渋りにおいても、行き渋る場面自体を戯化することによって、同様の連合形成をなしている。
教師にタッチするというのもまさしく時空間的な接近そのままなので、その接近行動の般化が次の学期で学級委員になるという、より一層の時空間的接近行動を招いたのではなかろうかと思う。

そんなわけで行きがかり上、津川先生たちと飲みに行くことにする。どうやら滋賀県に帰る電車はもう行ってしまったみたいだし。

しばしブリーフセラピーについて談義。楽しいなあ。
しかし、飲んでいるうちに、夜行バスに乗ればなんとかなるのでは?と思いはじめ、調べてみると池袋発のバスが20分後に出る。コレに乗らない手はない!
そんなわけで、この大会参加期は深夜バスの中で書きました。

色々あって充実した3日間を過ごせました。
また来週もブリーフサイコセラピー学会ということで東京に行きます。
CBTの学会に比べると、ブリーフの学会はしがらみも、政治も、縁もゆかりもない分、ただ純粋に学べて、ただ純粋に楽しめると思って、癒されに行きます。
一応発表もすることになっているので、ご参加される方は見に来て頂けると幸いです。
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投稿者: 西川公平
2013-08-26 11:16

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