2013/08/01: 選ぶ前に出る症状

今日は「選ぶ前に出る症状」について書いてみます。
こないだ患者さんと喋ってて「選択偏向症状」とか新語創作してみましたが、きっと古い精神病理か応用行動分析あたりに似たようなことが書いてあるだろうけど、不勉強かつ調べるの面倒くさいので、自分で書いて考えてみます。

古典で言えば「To be or not to be, that is the question」ってことですね

昔パニック障害の人で、特徴的なことを言う人がいました。
「電車に乗っていて、駅に着いてプシューとドアが開くと
『ああ、今なら降りられるんだけど、降りようかな、どうしようかな』
と思って凄く不安で焦る。
でも悩んでいるうちにプシューッとドアが閉まると、その不安や焦りは消えて、なんというか諦めがつく。
でもまた、次の駅について、ドアが開くと、同じ迷いが生じて、焦って、でまた閉まると諦めがつく。
それを繰り返している感じです。」
この人の一風変わったところは、電車に乗り続けているところです。
そうやって駅毎に不安になって、駅毎に降りて、駅毎に安心するというのは、通常パニック障害の人によくあるパターン。この人は乗り続けているが、駅毎に不安になる。

実際のところ「選択の余地」がある時に、「正しい選択をしなければいけない」という認知とともに、不安が起こることがある。
逆に言えば、選択の余地がなくなれば、電車を降りようが、乗り続けようが選択前にあった症状はなくなる。
【症状あり→選択の余地をなくす行動→症状なし】
みたいな感じです
しかし、常に電車を降りる形で選択の余地をなくしていると、本当は選択の余地がなくなったことで下がっている不安が、電車に乗り続けることの不安に置き代わってしまって、結局電車の脅威が増してしまう。
【ドキドキする→電車を降りる→ドキドキが収まる】
=電車を降りたから、ドキドキが収まった。
=電車を降りないと、ドキドキは収まらなかった。
みたいな感じです。

何というか、それはしょっちゅうある。精神科疾患にも全然限らない。

例えば、保育園児で、朝母親と離れる時に「ギャー!!!」と泣いて大変な子が、お母さんと別れて教室に入るとびっくりするぐらい普通のテンションに戻っているのとかもこれと同じだ。
あるいは、中華にするかイタリアンにするか散々店を迷い、パスタにするかピッツァにするかも散々迷った挙句、注文が届いて食べ始めてみると迷っていたことすら全然忘れてしまっているとかも、多分そう。
とにかく言いたいことは、選ぶ前に一山あって、選んだ後には綺麗サッパリなくなっている。そういう症状があるってことです。

もちろん、精神科疾患なんかに罹ると、一層頭のなかがごちゃごちゃするものなので、AかBか、AかBか、AB、AB、ABABABABABABABAB・・・と選択肢を頭のなかで往復ビンタし続けないといけない状態が続く。
特にうつ病などに罹患すると、何が大事なのか大事でないのかの判断もちょっと怪しくなってくるもので、日常のありとあらゆる動作に「そうするorそうしない」という往復を持ってきてしまい、ひたすら苦しい人がいる。
それこそ、ベッドがから起きるか、起きないか、ごはんを食べるか食べないか、パジャマを着替えるか着替えないか、・・・etc.
あらゆるものが選択肢になってしまい、また決められなくなるのがウツの一つのあり方です。これは優柔不断な性格とかとはひと味違う。

でもまあ、我々でも、元気が無くなるとメールの返事とか、物を捨てるとか、選択を要することが中々しにくくなりますよね。況や鬱をやって感じです。

例えば主婦の方で鬱の方だと、まずもって夕飯の献立が選べない。選べないままぼーっと反芻していると、いつしか買い物に行かなくちゃいけない時間になって、仕方なく買い物に行く。
じゃあまあもう作ってる時間も余力もないし惣菜でいいかと。
ところが、惣菜コーナーにも山のように惣菜があり、これまた選べない・・・てな感じです。
選べないから全部買っちゃう的なびっくりの行動を取る人だっています。
極端に言えば、曖昧さへの耐性が落ちているとすれば、ある意味それは精神科疾患かもですね。

さて、話を戻すと、新語創作した「選択偏向症状」ですが、偏向ってのはつまり、回避の方向に偏るんですね。
選択の余地があって、症状が出て、たいてい「〜しない」という方向に進み、症状が消える。
【選択の余地あり→レスポンデントな症状出現→選択消失オペラント(≒回避)→症状消褪】
このセットで、バリバリと負の強化が巻き起こってる時が結構ある。
これは認知的に言えば、「こんなに具合が悪いんだから、止めた方が良い」となる。
【外出を促すきっかけあり→頭痛と吐き気→認知「ひどい状態だし、このまま外出してもろくなことはない」→行動「外出を断る発言」→頭痛と吐き気がマシに】
という感じです。

その昔、伊藤絵美先生が、確か気分変調性障害に対するCBTの研修で「気分や具合の悪さにだまされない事が肝要」と述べられていたのは、まさにそういうことだろうと思う。
どのみち我々は自分の認知か行動しか変えられないわけなので、まあ認知か行動かを変えていくわけなんだけど、このあたりの行動した時としなかった時の両方でSUDをモニタリングして、丁寧に拾っていくというのは、CBTの一つのスタンダードだろうと思う。
このエントリーをはてなブックマークに追加
投稿者: 西川公平
2013-08-01 00:59
カテゴリー: 様々な困りごと

Comments

コメントはまだありません。

Add Comment

TrackBack

トラックバック

トラックバッックはありません。