2012/09/17: マインドフルネスはいわゆるリラクセーションではない
マインドフルネスとは,「瞬間瞬間立ち現れてくる体験に対して,今の瞬間に,判断をしないで,意図的に注意を払うことよって実現される気づき」注1)などといわれ,ACT(アクト)や認知行動療法のいくつかのタイプでこのマインドフルネスが活用されています。
よく誤解されるのはマインドフルネスという方法は,なにか新しいリラクセーション法のことではないかというということです。
マインドフルネス瞑想は,いわゆる何か心身をすっきりさせたり,気持ちよくさせたり,ほっとさせたりするようなものではありません。
むしろ,自分自身の考え・感情・身体感覚に丁寧に注意を向け,観察することで,ありのままの人生を一瞬一瞬味わう方法です。そうしていると結果的に落ち着いたり,楽になることもあるでしょうがそれを達成することが目的ではないのです。どちらかというと,苦痛に触れ,問題の解決を手放す作業が近いでしょう。
面接のなかでもよく,このマインドフルネスという方法をクライエントさんに紹介します。「ただありのままに感じ,観察するものです」と言う風に。ところが,それから数週間すると「瞑想するとお陰さまですっきりしました」「苦しいときにやってみましたが,全然楽になりませんでした」と感想を聞かせてくれることがあります。
実は,面接中にマインドフルネスを説明するときには,「リラクセーションとはちょっと違います」とお話しているのですが,それでもクライエントさんはマインドフルネスをリラクセーションと混同されることが多いのです。
なぜそんなことが起こるのかというと,もちろん私の説明の仕方の問題もありますが,社会全体が「リラックスしよう」「もっと楽になろう」「悲しいことではなく,楽しいことを考えよう」というメッセージを常識のように訴え続けるからです。当然そんな社会で育ったわたしたちは,「きっとここ(面接室)でも,なにか気持ちが楽になることを教えてくれるのだろう」と期待して,誤解が生まれてしまうわけです。
ですので,面接ではリラクセーションとは異なるこのマインドフルネスを繰り返し体験してもらう機会を提供します。なんども繰り返していくうちにだんだんと自分の身体でマインドフルネスを学習していきます。
注1)
KabatZinn,J.:FullCatastropheLiving.Delta,NewYork,2009.(春木豊訳:マインドフルネスストレス低減法.北大路書房,京都,2007.)
よく誤解されるのはマインドフルネスという方法は,なにか新しいリラクセーション法のことではないかというということです。
マインドフルネス瞑想は,いわゆる何か心身をすっきりさせたり,気持ちよくさせたり,ほっとさせたりするようなものではありません。
むしろ,自分自身の考え・感情・身体感覚に丁寧に注意を向け,観察することで,ありのままの人生を一瞬一瞬味わう方法です。そうしていると結果的に落ち着いたり,楽になることもあるでしょうがそれを達成することが目的ではないのです。どちらかというと,苦痛に触れ,問題の解決を手放す作業が近いでしょう。
面接のなかでもよく,このマインドフルネスという方法をクライエントさんに紹介します。「ただありのままに感じ,観察するものです」と言う風に。ところが,それから数週間すると「瞑想するとお陰さまですっきりしました」「苦しいときにやってみましたが,全然楽になりませんでした」と感想を聞かせてくれることがあります。
実は,面接中にマインドフルネスを説明するときには,「リラクセーションとはちょっと違います」とお話しているのですが,それでもクライエントさんはマインドフルネスをリラクセーションと混同されることが多いのです。
なぜそんなことが起こるのかというと,もちろん私の説明の仕方の問題もありますが,社会全体が「リラックスしよう」「もっと楽になろう」「悲しいことではなく,楽しいことを考えよう」というメッセージを常識のように訴え続けるからです。当然そんな社会で育ったわたしたちは,「きっとここ(面接室)でも,なにか気持ちが楽になることを教えてくれるのだろう」と期待して,誤解が生まれてしまうわけです。
ですので,面接ではリラクセーションとは異なるこのマインドフルネスを繰り返し体験してもらう機会を提供します。なんども繰り返していくうちにだんだんと自分の身体でマインドフルネスを学習していきます。
注1)
KabatZinn,J.:FullCatastropheLiving.Delta,NewYork,2009.(春木豊訳:マインドフルネスストレス低減法.北大路書房,京都,2007.)
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gestaltgeseltz on 2012/09/19 2012-09-19 15:15
西川です。
リラックスできたらできたままに、できなかったらできないままに、ありのままをただ味わい続けるのがマインドフルネスですもんね。
なんなら”良いマインドフルネス”というのも存在しないのかもしれないですね。
「今日は雑念を流せているな」ということをただ感じたり、
「今日は雑念に囚われがちだな」ということをただ感じたりする。
そういうありようがマインドフルネスなんであって。
それゆえに、新種のリラクセーションとして、「ちょっと心が囚われがちだから、干しブドウ使ってマインドフルネスしなきゃ」みたいな使い方は、私の理解するところ本質的ではないと思います。
マインドフルネスに回避するとか、しっぽ喰った蛇みたいですね・・・。
しかし、マインドフルネスの本質は、それゆえに判り難く、取っ付き難いかなという気もしています。