2012/03/05: SUDsについて

SUDとはSubjective Units of Disturbanceの略で、Disturbanceとは[uncountable] a medical condition in which someone is mentally ill and does not behave normallyとあるから、まあ、個人の中で精神的にちょっとぱっとしない状態になっていることです。
Disturbanceはuncountableなんだけど、それをUnitにして数えちゃおうというのが認知行動療法の発想でSUDとか、SUDsとか言われます。
読み方はエスユーディーって言う人もいれば、サッズと言う人もいる。

で、認知行動療法でこのSUDsをどういう風に使っているかと言うと、情動や身体反応など普通測定できないものを量的にカウントする時に使う。
説明するとめんどくさいけど、会話で言うとこんな感じ。

Th「その時のあなたの怒りは100点満点で言うと何点ぐらいでしたか?」
Cl「うーん、85点ぐらいです」
てな調子です。

こう言う風に主観的な感覚を数値に置き換えようというのは心理学関係ではよく行われることでなじみ深い。
似たようなものでVAS(Visual analog scale)というのもある。これはSUDsのビジュアル版で、痛みなどの測定につかわれる。
一本線を引いて左右に0と100を書いて、

Th「今のあなたの腰の痛みはこの線で言うとどのあたりですか?
Cl「うーん、この辺ですね」
てな調子です。

単発的に「今何点?」と訊くこともできるし、何かをする前とした後にそれぞれ聞いておいて、「何点ぐらい下がった」と使う事もできるし、なにか避けていた対象に触れている最中に1分毎に「今何点?・・・・・今何点?」と経時的に訊いていくこともできる。
まあ、便利なものです。

便利さゆえにある意味批判の対象にもなる。
当たり前だけど、怒りや痛みというものを85点とか表す事はそもそもそれで合ってるのか判らない。
まあでも、ばくっと何点ぐらいですかねーと訊いたりする。

ブリーフセラピーなんかだと、この数字を訊くことに特化したアプローチがあって、その名も「スケーリングクエスチョン」と言うのだが、
Th「最悪だったころを100だとすると、それに比べて今はどれぐらいよくなっていますか?」みたいな質問に続けて、
もしそれがちょっとでもマシになっていたら、
Th「85点と言うのは、マイナス15点ですが、15点分どこが良くなりましたかね?」
などとつないでいって、ポジティブな認知を引っ張り出したりすることが出来る。
さすが解決強要の力技。



さて、長すぎる前置きが終わって今回はそんなSUDsの話です。

先日行われた行動療法コロキウムで出された事例において、「恐怖のSUDs得点がエクスポージャーするにつれて下がっていく」というのがあった。
しかし、事例で示されたSUDs得点変化は、まあ確かに下がってるっちゃ、下がってるんだけど、そーゆー下がり方するかな・・・?ってものだった。

大体の所、刺激というものはどんなものであれ、すべからく与え続ければ馴化すべきものである。馴化とは刺激の感度が自然と下がることを意味する。
例えば、おならをすると、最初臭いがだんだん慣れて臭くなくなっていく。
太陽の眩しい外に出れば、最初ホワイトアウトして見えづらいが、そのうち慣れて見えるようになる。
明るい所から暗い所でもそうだし、
うるさい所に居続けてもやがて耳がボリュームを調節してくれるようになる。
こういうのは順化(ハビチュエーション)とよんで、人間が持っている調節機能の働きによるところが大きい。

その前にちょっと話がそれるけど、順化(ハビチュエーション)は学習ではないので、刺激の感度が下がることはただの自然現象で特に何も意味しない。
すごく怒っていたがその後段々収まってきたからといって次から怒らなくなったりしないし、すごく臭いおならに慣れたからといって、この先おならが臭くなくなる事は無い。
しかし、その収まっていく事態に無関係なポジティブな意味をくっつけることで、別の意味を生成することが出来る。
例えば、犬が怖くてたまらない人に、ずーっと犬を抱いていてもらって、だんだん怖さが下がって行ったとする。怖さが下がる事には別に意味はないが、その時に「最初怖いけどしばらくすると慣れて怖くなくなるよ。犬って怖くなくなったんだよ」というポジティブなルールをくっつけると、「なるほどそんなものかな」と思って、『犬に合うと怖くなる』と思っていた気持ちが少し和らぐことがある。

で、今日書きたかったことはここからなんだけど、似たようなの刺激に対していったん馴化してしまうと、その後しばらく上がりにくくなる。この現象を「飽和」という。
飽和とは「ある条件下で、一定量に達すると外部から増大させる要因が働いても、それ以上には増えない状態」の事です。
理科で習ったと思うけど、水に砂糖を加えていくと最初溶けるけど、どんどん加えていくと、これ以上溶けなくなるのが飽和。

おうちのトイレを素手で洗っていることを想像してほしい。洗い始めは「うわー汚いなー」と思ってなるべく雑巾も指でつまむみたいにして触れないように気を付けながらいやいややっているけど、やっているうちに汚いなーという感じが減ってくる。
この減ってくるのが馴化。
馴化しきってしまえば、それ以上汚い刺激が加わっても汚く感じなくなる。だから、便所掃除の後は台所の三角コーナーもついでにきれいにするかと掃除しても同じようにあんまり汚いとか感じなくなる。
この一定期間同類の刺激を感じなくなるのが飽和。

先の学会のケースで言えば、SUDsは減っているけど、飽和してなかった。
つまり次の刺激に対する反応が最初の刺激に対する反応と似たようなものだったし、三つ目の刺激に対する反応も前の二つと似たようなもんだった。
通常は一つ目の刺激に対するSUDs上昇および馴化の山なりカーブより、二つ目、三つ目と山の大きさや高さが減っていくもんなのに、それが成り立っていない。
もし馴化や飽和が成り立っていれば起こるはずの現象がおこっていないとすれば、我々は「何か予想と違ったことが起こっている」可能性を考えなければならない

可能性はいろいろある。
・SUDsが間違っている。上手く数字で表せない
・刺激が間違っている(それは刺激ではないとか、弱すぎるとか)
・回避している

うーんどれだろう・・・と思いながら、様子を伺ったり、質問したり、実験してみたりしながら、自分の中のケースフォーミュレーションを書き直して、クライアントさんにフィードバックしてみる。
もちろん、すぐに判って解決といつもうまくいくわけではないが、そこに違和感がある事だけは判る。

そういった保留された違和感をケースフォーミュレーションの欄外にペタペタくっつけておくことが重要だと思う。
なぜならクライアントもカウンセラーも、お互いがお互いの事を知らずにいる状態で最初に作ったフォーミュレーションは、必ず間違っているから。

結局の所、字義通り作った見目麗しいケースフォーミュレーションより、むしろそういった違和感の側に正解が潜んでいることが多いと思う。
だから綺麗にケースフォーミュレーションを作ってしまったあかつきには、
Th「ここに含まれていないなにかモヤっとしたものがないですか?もしあるとすれば、それはどの辺ですかね?」
などと、どこかの部分に影をつけて汚しておくといいと思う。
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投稿者: 西川公平
2012-03-05 22:06
カテゴリー: 雑談

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