2007/06/14: 自己受容または合理的思考

自己受容または合理的思考の書き方について

2ちゃんねるの認知行動療法スレッドにこんな質問がありました。すこししっかり書こうと思ったので別立てします。

****以下抜粋****

最近、思いついたときや寝る前に思ったことをノートに書き出しています。
鬱気味なので、当然毎日不快や不安がことが多いのですがノートに書くときはつい、「○○ができた、やればできる」とか「こう考えると楽」とか良いことばかり書いてしまいます。
誰に見られるわけでもないのですが、否定的な事を文字にしてしまうとそれをはっきり意識させられる様な気がして、恐くてかけません。
後でそれを読んで、自分で良い見方を再確認させられる時もありますがなんだかテンションが高い別人の話にも見えます。
「いい自分」が「だめな自分」にアドバイスしている感じです。受容ではない。この「自己受容文章」の書き方について、もう少し教えていただけませんか?一応過去ログと本2冊は読んだのですが、カラム法に踏み切れない一因に内容的な意味で、書き方が今ひとつわからない、というのがあるんです。

****以上抜粋****

左に批判的な事を書き、右に受容的な事を書くという自己擁護の二つのコラムをやってもらう時、右にもアドバイスを書いちゃう人が多いです。
つまり左に「朝起きられない」と書いて、右に「目覚まし時計を使えば良い」みたいな感じになってしまう。
これだと批判ゲームみたいに、批判⇒批判の批判⇒・・・という風で、全然うまくいかない。

これは5つのコラムで自動思考⇒反論⇒合理的思考といく時に、自動思考と反論を混ぜて書けずに、合理的思考に反論と同じ事を書くパターンも同じことです。
実は「自動思考⇔反論の行ったり来たり」はそもそもコラムなんかをやる前から、頭の中で無限の反復が行われている事が多くて、殊更治療として価値のあるものでは無いです。

例えばパニック障害の人が、「ひょっとしたらパニック発作が起こるかも」と一方で考えながら、そう考えるとそれが実現しちゃうと思って怖くなり、「大丈夫!大丈夫!」なんてあわてて打ち消してるのもそれと似たようなもんだと思う。

それは単線の思考の路線を行ったりきたりしているだけで、その実同一直線状に思える。「ひょっとしたらパニックが起こるかもしれない」と湧き出した考えを必死になって打ち消す時、それがゆえにまさに不安がどんどん上昇していくのは、皮肉な事だ。

そーゆー時患者さんたちに良く言ってるのは、「へなちょこな自分の言い分を合理的思考の中に加味してください」という事です。

例えばうつ病の方で
自動思考「だるくて外出する気が起こらない」、
反論「動かないからやる気が起こらないんだ。動けば良い」
と書いたとしたら、合理的思考としては
「動く事ができればマシになるとはわかっているが、誰しもやる気の沸かない時に行動するのはすごく難しい」、
または
「このやる気の無さで動くのは不可能に近いが、なけなしのやる気でほんの少し動いてみたら、どうなるか試してみよう」
になると思う。
前者がどっちかというと自動思考優位型で、後者がより反論優位型ではあるが、どちらも両方の意見が入っている。

とても重要なのは、認知療法とは「反論優位型に作らなければいけない」というものではないということ。合理的思考は自動思考と反論のハーフである事が唯一必要な事で、ポジティブシンキングであることを絶対必要とはしていない。
もしそんな事をしたら、自分の気持ちに全然フィットしない合理的思考ばかりができて、苦しいばかりで気持ちの変化など臨むべくも無い。


もちろん、反論までの展開で動きが取れるなら、それはそれで全然OK。たまに「その考えに疑問を抱いた事が無かった!」なんて事があって、目から鱗的にざくっと認知再構成が行われる事もありますが、・・・、治りが早くて良かったね。

自分が自動的に思った事をさらに自動的に否定する事によって、ますますスパイラルにはまっている時は、おそらく「自動思考=認知の歪み=変えるべき・無くすべき悪いところ」みたいなルールが厳しくなりすぎているんだろうなあと思う。
患者さんにも、治療者さんにも、そーゆー勘違いが多い。ゆがみを矯正すべし!みたいな。

ゆえに私は「認知の歪み」という表現にとても慎重です。「歪み」という表現はある自分のへなちょこな考えを受容する上でマイナスな意味合いが強すぎる。しかしそれを受容するところは、臨床的に最も重要な部分の1つです。
つまり「歪みの内包」が先にあって、「歪みの矯正」は必要なら後でするという優先順位なんです。

そう思っているところに、新潟大の神村先生が同じことを発表されてたので、ちょっと嬉しかった。ちなみに神村語録では「不都合な考え」と言ってました。

つまり受容とは「へなちょこな自分でもまあええやん」という路線。「イケてる**という自分だけは認める。そうでなければ認めない」というような、条件付受容ではない。
まあ、一番難しいところなのですけどね。
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投稿者: 西川公平
2007-06-14 10:11
カテゴリー: テクニック

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