2007/06/14: 【思考の】認知療法・論理療法 2【筋トレ】 について 〜その10

2ちゃんねるの認知行動療法関連スレについてあれこれつぶやく。現在730〜798まで .

Q46,行動の積み重ねが経験となる→経験から指針が見える→その繰り返しが自信になる。 認知が歪んでるとそのプロセスが逆になりがちだよね。やった経験がないから自信がない→どうしていいかわからない→行動できない
A46,仰るとおり認知を変える事で行動を変えることも、行動を変えることで認知を変えることもどちらも可能ですが、臨床的には後者の方がやりにくく、変わりやすいというハイリスクハイリターンのような感じがします。

Q47.「いやな気分よさようなら」買って読んで1回も紙に書かないまま1年が過ぎようとしてる。基本的には「読むだけでも相当面倒だったのに書く気なんか起きない 」です。 もともと日記とか続いたことないしメモとかも取る習慣ないのでめんどくさいです。
でもそれだけじゃなくて、読んでてなるほどなとか思うし頭で中でやってみて、自分の考えに反論して少し気が楽になったりしてたんですけど、日が経つにつれて反論に反論してそっちに納得してしまいます。頭の中でやっても少し効果があったんだから紙に書いたらもっといいかもよって思ったりするけど、すぐ面倒くさいってなって忘れます。単に怠け者というのと今一信用してないってことだと思います。
A47,頭の中であれこれ考える事と紙に書く事は全く違う事ですし、まだ認知療法を進めたいという動機がないんだと思います。たまたま継続してモノを書く習慣がある人はその分楽みたいですが、書く習慣が無いのに書くのは非常に難しいです。
中には歯磨きなど自分の中で習慣になっているものとつなぎ合わせて(例:歯磨きの後はコラムと決める)、うまいこといく人もいます。
しかし、どうやら認知療法を少しやってみたそうな様子なので、気が向いたときにやりたかったら始めてみてください。100%信用してから始めるというのは宗教だけで、治療ではまず無いです。

Q48,病気としての鬱は治ったんだと思いますが、自分や自分をとりまく状況、自分自身の生真面目な性質等、原因が解消されてないので、当然鬱々とした気分がなくなりません。
A48,鬱々とした気分を生じさせるのは必ずしも状況ではなく、自分の考えも大いに影響しています。なかなかそのようなクセを見つけたり、改善する為の行動や反論を思いついていくのは難しいですが、それらを悩みながら模索する事によってこそ、すぐに治っちゃうより再発の少ないタフな回復をもたらしてくれると思います。

Q49,認知の歪みを治したくて面談重視っぽいクリニックに通い始めたのですが、実際には現在は薬物治療がメインで、医師に「とにかく今はいろいろ考えないこと」「治すために焦らないこと」と言われます。しかしそれがとても難しく思えています。
今、認知療法・論理療法を独学で始めると悪化に繋がるでしょうか? そもそもこの療法に興味を持ち、これで認知の歪みを矯正したいと思うこと自体が既に医師の禁ずる「焦り」そのものなのでしょうか? 認知の歪みの矯正は自分でしかできないものなので医師が難色を示しても少しでも早く始めてしまいたいのですが・・・。
A49,面談中心のクリニックというものは存在しません。精神科・心療内科における中心は診断と投薬です。チラシやホームページが面談中心っぽい誤解を与えているとしたら、それはJARO的な問題があると思います。
主治医の意見に従って、「とにかく今はいろいろ考えないこと」のために工夫をしてみてください。認知行動療法では「色々考える療法」と勘違いされがちですが、むしろそれに精通してくればくるほど、「ムダに色々考えなく」なります。
ですから主治医の「今は色々考えない事」というのが認知療法や論理療法の一歩目として間違っているわけでは無いです。逆にいま色々考えようとしている事は,主治医の意見とも違いますし、認知療法や論理療法の「ムダに考えなくする」という方向とも違う、今までどおりの独自の方向じゃ無いかと思います。

Q50, 昔から漠然と思っていたことなんだけどみんなと一緒にいても結局人は一人でいろんなことをしている。いつもそばにいてくれる人がずっと一緒にいるからって言ってくれても、さみしい。
私も自分で自分を認められることが目指すところだって思っててそうなりたいんだけど、さみしい。。そんなときは前に進めないのかな。
A50,人間はだれも寂しさから逃れられません。どんな幸せな家庭で、どんな金持ちで、何にのめりこんでも、どんなモテても無理です。だからといって寂しいだけで、他は何の問題も無いです。
もし「さびしいという事は***ということだ」という考えがあれば、その考えがたださびしい以上の苦痛を引き起こす事はあるだろうと思います。
またさびしさを感じないように、あらゆる時間を何かで埋めつくそうという「さびしさの拒否行動」も、実際たいしてさびしさを紛らわさないでしょう。
「人生とは十中八九さびしいが、たまに残りの一、二で焚き火に立ち寄るように暖を取る事ができる」ぐらいに思っておいてちょうど良いです。それ以上暖かかったら、ぜんぶラッキーで済ませましょう。
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投稿者: 西川公平
2007-06-14 10:04
カテゴリー: 2ちゃんねる

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