2009/09/07: 認知行動療法を習い始めたばかり、ということ

認知行動療法を、研修会で習って、始めたばっかりです・・・という件に関して

滋賀県で認知行動療法の勉強会を初めてからもう3年以上が経過し、前回が40回目の勉強会だった。
たまたま縁があって、福井県、大阪府、兵庫県、三重県などでも同じように認知行動療法の勉強会を開催している。
いずれ奈良とか和歌山とかでもやりたいなあと思うが、それはさておき、ここのところ「初めての認知行動療法 〜CBTのイニシャルケース」みたいな発表が多い。
先だっても井上先生のされている京都認知行動療法を学ぶ会にお邪魔してきた時もほとんど初めての人がケースを出されていた。

そもそも認知行動療法に限らず技術というものは使用しなければ熟達しない。
それは患者さんでもそうだけれど、自習本などを読んでいるだけで書いてやらなければそれほど効果は出ない。

付け加えて言えば、認知行動療法は使用する事もさることながら、その使用を誰かに見てもらうことも重要なポイントだ。
認知行動療法は客観的な科学風味の治療法なので、自分自身がどこまで客観的に状態を捉えられているかについて他者の判断を仰ぐことが望ましい。

それは治療者でもそうで、自分がやっている施術が果たして認知行動療法の施術として方向性を間違っていないのかどうかについては、学会や勉強会など何かの場で出すなり、スーパーバイズを受けるなりして修正していくのが望ましい。

というわけで、学会があるわけだけど、年に一回どこか遠くで、というスタイルはおそらく認知行動療法の普及スピードに対して完全にタイミングを逸している。

じゃあ、大学で臨床をみっちり習うと言う事が出来るかと言うと、これは難しい。大学臨床というのは何というかアマチュアボクシングの採点のようなもので論文ポイントを取るために臨床があるのであって、それはプロボクシングの相手を倒してナンボというのがなく、つまり治すか治さないかはあまり意味がない世界のようだ。
極端に言えば大学教員として生きていくためには臨床をする必要がない。技術を磨くほど臨床することはどちらかと言えば研究の妨げになるぐらいだ。

まあそんなこんなもあって、現職の臨床家にとって、近くて行きやすく、それなりに敷居が低く、初めてでも発表しやすい場を提供しようということでCBTを学ぶ会は各地で運営されている。

しかし、そういう「認知行動療法はこれが初めて」という人たちの発表には、更に付け加えられる”初めて”が加算されている場合がある。
それは「臨床のケースを持つのが、ほとんど初めてに近い(これまで100ケースも面談していない)」という初めてと、
「他所で臨床のケースを発表するのが、ほとんど初めてに近い(そのケースの事を知っているなど施設内でしか発表した事がない)」という初めてだ。

これに「CBTは初めて」が加わった発表が、集まった聴衆にとって時間の無駄にならないようにするには、それなりに時間をかけた事前ディスカッションが必要だと思う。
しかし逆に言えば、それなりに事前ディスカッションをやりとりさえしておけば、発表下手は下手なりに、CBT判らないは判らないなりに、何を、どう考えて、どうしました、という話にはなり、勉強会でのディスカッションは盛り上がる。

ただ、「臨床が初めて」については、なかなかディスカッションそのものが難しい所があって、うむむ・・・となってしまう。
何をどうコメント返せば分かってもらえるのだろうかなあ・・・とか、この辺は判ってもらうのが何というか伝わらないな・・・あとか、当日のディスカッションにゆだねようかなあ・・・、とか結構苦労しながらディスカッションをしている。

逆に「臨床は長年しているけどCBTは初めて」という人とディスカッションするのは楽しい。私が言わば「臨床歴はそんなにがなくないけどCBTばっかりしている」という人なので、お互いが足りないところが補えて、こちらの知識も増えるしCBTの介入についても何というか含蓄があり、工夫がある。
しかし、誰しも初めてはそうするんですが、悲しいかな”インスタントCBT”みたいな理解とセオリーに沿って介入した事が、その人のそれなりの経験をすっかり台無しにしている場合がある。

何が言いたいのかというと、もし別の枠組みで治療をしていたけど認知行動療法を取り入れたいと言う場合は、その別の枠組みを十分に生かす形でそこに認知行動療法を自然な形で組み込んでいくのが、もっとも良いやり方だと言う事です。
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投稿者: 西川公平
2009-09-07 00:57

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