2008/03/06: 臨床心理の技法

原田誠一先生に「精神療法の工夫と楽しみ」という本を頂きました。
その本のタイトルから連想したことをつらつら書いてみます。
まだ10ページぐらいしか読んでないので、本の内容とは無関係です。あしからず。

勉強会やその他でケース報告をすることがときどきあるが、その際参加者に「その技法を思いついた/もちいた理由」のような事を聞かれることがある。
平たく言えばなぜそうしたかと聞かれてるわけだ。

われわれは基本的に自分の行動の理由をそれほど分かっていない。たとえばこの文章を書きながら、少し膝に手をおいたが、その理由とかは特にない。
特にない理由をあれこれ推測するのが哲学者で会ったり、心理士であったり、要はヒマな人間なのだと思う。

心理技法はおしゃべりのように自然なインタラクションの中で発生するものだと思う。その場でその人に合わせて、ちょうど良いのを使えば良い。そういう意味では、患者さんが自分のニーズに合わせて私から心理技法なるものをひっぱり出しているのだと思う。

たとえて言えば、心理技法とは爪楊枝みたいなもので、歯に何かが挟まっている時に使って、使い終わったら捨てるのが良いと思う。

逆にその場でその人に合わせていない心理技法というものは、コラムであれ、マインドフルネスであれ、最も重要な必然性という意味を持たない。たとえ続ければ、「この爪楊枝はよく歯に挟まったごみを取るんです」と使い古しの爪楊枝を押し付けられるような気持ち悪さがある。

大学の心理の先生などで、そういう心理技法の第一人者と称する人がいるが、つまるところそれは枝葉末節の最先端だと思う。
このエントリーをはてなブックマークに追加
投稿者: 西川公平
2008-03-06 12:45
カテゴリー: 雑談

Comments

コメントはまだありません。

Add Comment

TrackBack

トラックバック

トラックバッックはありません。