「反応妨害法」と「安全確保行動阻止」の違いとは?
オンラインの回避と、オフラインの回避について
私にとっては今のところ「遅い朝飯」と「早い昼飯」ぐらいの違いしかないと思っていますが・・・
やり取りの都合上、ちょくちょく修正を加えています。
先日YouTubeを使ったエクスポージャーについて書いたところ、日本有数の行動療法施術者で仲良しのPさんからメールが届きました。
その往復書簡が面白かったのでWeb上にアップします。
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Pです。
音恐怖症(鈴虫の声,キレイな音でも大きな音はダメ)の小学生を治療したときには,とにかく大きな音で歌ったり拍手したりしました。歌うときに歌詞カードをネットでとりました。
目が飛び出すんじゃないかという恐怖を持っているOCDにはやっぱりYoutubeでpop eyesというものでエクスポージャーをしました。
手術場面が怖い人には外科手術のビデオを借りてきてみせました。
最近は本当にこの手のアイテムには困らない。アイデアが出せるかどうかだけですね。
ただ,SpesficPhobiaにどんな強迫行為があるの?
ERPじゃなくって,エクスポージャーでしょう。
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Pさんへ
××恐怖の人だったんで、特定恐怖というよりパニック障害に近いのかもしれないけど、エクスポージャーをやってみたらとにかく不安を下げるための反応が多くて、仕方ないのでんどん反応妨害していく風になったわ〜。
「この写真は別の何かだ」とか、「きっと変わった”何か”に違いない(恐れる"何か"ではない)」みたいな思考の回避が主たる反応で、エクスポージャーを無意味にしようとしてはりました。
コメントは載せてみます。
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Pです。
パニック障害の安全確保行動と強迫性障害の強迫行為との違いはオフラインの回避かどうかだと言われています。
その意味では,ERPは反応妨害でも儀式妨害でもいいですが,オフラインの回避行動がない安全確保行動には使わない言葉です。
こんな小さなことにこだわると強迫の人みたいだけど。
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Pさんへ
ちょうど昨日も中京大学の勉強会で、社会不安障害の安全確保行動を統制していくことがより良いエクスポージャーにつながるみたいな話をされていて、暴露反応妨害法とどう違うのか疑問に思っていました。
教示の方法や手続き、技法の背景理論、心理教育の内容が異なっており、普通の暴露反応妨害法より上手く出来るやり方があれば、教えてください。
けど実際のところ暴露反応妨害法も人によって大概いろんな教示するし、やり方するから幅広いけど。
オフラインの回避行動って何?知らない用語だわ。
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Pです
師匠が先にコメントしましたが,遅い朝食の例でたとえますと,OCDの人はどんなに遅くてもいいから朝食をとりますし,パニックやSADだったら朝食の時間が過ぎたらとりあえず空腹感は通り過ぎてOKで,次の食事の時間に食べられるかどうかを気にしてる・・・という感じでしょうか。今日一日の汚れをまとめて洗ったり,仕事中に忙しくてできなかった儀式を帰宅してからやっちまおうって感じがオフラインの回避ができるOCD。反応を妨害するという言葉を使うと混同しやすいと思いますが,パニック発作にはあとであの時のあの場所は大丈夫だったという思い返し(儀式)はありません。その場(オンライン)のキューンとかドキドキとなる身体感覚に反応してその瞬間だけ避けようとするもので,これに対する治療を行動療法では反応妨害とは言わないというお約束事です。
治ったら疾患名も使った技法も何でもかまわないという方もいるでしょうけれど,専門行動療法士になろうとする人は行動療法のことばで語れるようにしようと,私は教えられました。ただ患者さんへの説明はわかりやすい方がよいと思うので,楽しくおおざっぱに行っています。
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Pさん
なるほど、何がオンラインで、何がオフラインかはわかりました。
しかし、ゲームなので、もうちょっと色々考えてみました。
SADの方なんかは、あの時あのコミュニケーションは大丈夫だったという思い返しをすると思うのですが、それはオフラインの回避ですかね?たとえばその瞬間ちょっと気になるコミュニケーション上の行き違いがあったんだけど、その場では忙しいので、後であの人が言った事は何だったのか(というか、自分を嫌っているという趣旨の発言ではなかったか)じっくり考えてみようとすること、etc.は十分あり得るような。
しかし、パニックにはきっとそういうのは無いですね。今その場で感覚をごまかすために携帯をごちゃごちゃいじるなんてことはあるだろうけど。もうちょっと考えてみます。
いずれにせよ過去とか未来とかはサイエンスフィクションのテーマであって、OCDの方が「後で洗えるからいいや」と”今”思うことで不安を下げているのであれば、それはオンラインの回避だし、また別の時点で「あの時汚かったかも」と”今”思うことで不安が上がって、手洗いしているのであれば、それもオンラインの回避だと思います。
前者に対する反応妨害は「後では決して洗えないし、その間にどんどん汚れが広がり拡大する。この汚れや広がってしまった汚れを落とす機会はもう二度とない」でしょうし、後者に関するそれは「手を洗わない」ということだと思います。
なぜなら「後で洗えるからいいや」とその時オンラインで回避して、実は後では洗わなかったという反応遅延がそのまま気にならなくなるパターンもあるし、今その場で洗浄を行ったんだけど、後でももう一回汚かったかも知れないとさらに丁寧に洗うこともあるし、それらは全然別の時点の別の強迫であって、そこに連続性を見出すのは解釈ということではないでしょうか?
知識だけで技術のない専門行動療法士ってのも考えモノですけどね。
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Pです
オフラインを説明するには,その場を回避するのは不安障害には全部見られますが,OCDに限っては数十年後に襲ってくるかもしれないリスクも回避しようとしていること。これがホントの説明。朝食にこだわったので,違いが鮮明にならず,ぐちゃぐちゃになりました。
実際のSADの人を見てて思うことは,今,目の前で起こっている,起こりつつある状況は自分の社会的評価を落とすようなことになるが,今はそれを考えずに振舞っておいて,あとで「評価は落ちてない」と思い返して安心させる・・・なんていうのは現実的じゃないし,SADだったらあとで落ち込む方向へ反省するとか,思い悩んで外出を控える,対人場面を避けるが一般的じゃないですか。それでも数十年後までは避けていない。いつかは自分は認められる人になりたいという潜在的な欲求がある人がSADだと思っています。そこまえ避けたら二軸の該当者だと思います。
オンラインの回避は特定の恐怖症から不安障害にはなんでもよくあるけれど,オフラインはOCDに特徴的という進化心理学領域での仮説です。すべてを説明できるとは思いませんが,OCDに対する興味深い視点だと思います。
儀式が明確にあるかどうかで,特定の恐怖症かOCDか,あるいはGADかOCDかと悩んで治療した事例がありますが,前者は回避行為はあるけれどはっきりとした儀式がなくオフラインの回避がなかったことから特定の恐怖症と診断し,後者はやっぱり特定の儀式が見られずちょっと先の未来に対する不安の回避はあったのですが,そんなに数十年後までは及んでいなかったので,GADかなあと診断してそれぞれ恐怖対象や心配に対するエクスポージャーだけで儀式妨害はしませんでした。思い返しが儀式化しているかどうかと,どの程度先の将来のリスク回避があるかもポイントだと考えます。
何でご飯を是が非でも食べとくとこだわるかというところが,ここで食べとかないとあとからとんでもない(知らず知らず胃に小さな穴があいて何年後かに死んで家族が路頭に迷う)ことを回避するというところまで説明しないとオフラインの回避を説明できなかったです。あくまで例えです。こんなOCDの人,聞いたことないですが・・・遊んで,すみません。
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Pさん
オンラインの回避=今その場で不安を感じて回避する
オフラインの回避=今その場で長期にわたる予見的見地を思うゆえに回避する
ということであってますかね?
そしてその予見的見地を長期にわたって考える発想はOCDの人たちだけに起こるというのが仮説でしょうか?進化心理学は判りませんが。
「数十年後」というものが現実に存在するとすれば、オフラインという見解はあるのでしょうが、それは単に”今”言っているだけで、今の不安を表現する一つの表現方法にすぎないと思います。
SADやGADでも、隣近所や職場の同僚ともめたとき、「この人との関係がこじれてしまうと、この先もずっと気まずいままになってしまう」という予見的見地からの不安を”今”覚えられる事はありますし、それが高じて帰ってからメールで「あの時は変なこと言っちゃったとしたらごめんよ。あれは実は・・・」と釈明するとか、家族や別の友人などに「今日これこれこういうことがあったんだけど、それって大丈夫かな?嫌われてるってことじゃないかな?」と聞いたりするとかいう感じで不安を下げる行為(説明・言い訳)を行う事はよくあることだと思います。
したがって「手を洗わないと不安が落ちない/釈明しないと不安が落ちない」は、両方その文章の頭に「後で思い出して」をつけても成り立ちうると思います。
パニック障害におけるそのようなオフライン(予見的見地から)の回避に相当するものについても考えてみましたが、それは彼らが良く口にする「もしパニックが一回起こってしまったら、それをきっかけにどんどん悪くなってしまう。だから絶対にパニック発作が起こらない様にしている」という発想がそれじゃないかなと思います。つまりパニック障害の人は「この先の人生において病状が悪くなること」という予見的見地からも回避しているのであって、純粋なオンラインの回避ばかりではないと言えるでしょう。
文章を読んでいてPさんは少し「認知療法」的に、「数十年後の予見が彼をして不安を生じせしめている」という不安に対する認知の先行性について信じておられるようですが、私は「現時点で不安だから色々考えている」、「現時点で不快だからそれを何とかするための行為をとったり、その行為の正当化をしている」というベクトルも捨てがたいと思っています。
今ある悪い事が発展したら、ああなって、そうするとこうなって、そうだとこうなって・・・というイマジネーションの広がりは、個人の持っている知的な能力の一部である空想力があるかないかで、何々病かどうか診断の基準になりえないと思います。
ああでも、特定恐怖と強迫性障害の違いは、まさにその生活全般にわたって病気のイマジネーションを広げられるかどうかの違いだといわれると、・・・・・そうかもって気もしますね。
とりあえず、病名などは心理士の考えるところではないので、不安障害に暴露を行い、それだけで有効でないようであれば反応妨害(OCD以外なら安全確保行動の阻止ですかね?)を行う。
でももし安全確保行動が明白で、阻止する事が可能なら、当然阻止した方が治りは良いと思います。
もうすこし行動っぽく書けば、何かをしない事で不安を下げたり、何かをする事で不安を下げたりしている時、それらの「しない事」や「する事」が不安を維持悪化させていると仮定できるので、しないでいた事をわざとするようにして、いつもすることをわざとしないようにすれば、不安は維持悪化せずに落ちて行く。ただし時として不安は一時的に悪化するので注意。
と言ったところでしょうか?ABAなら「不安」という言葉は使わないでしょうが。
むしろ私が思う違いは、今その場で感じている嫌な気分を、「後で・・・すればいいや(遅延)」と考えるという対処方法によって打ち消せる/幾分マシにできるか・できないかの違いかなと思います。
あれ?同じ事を言っている?
あと無理に分ければ、儀式はどちらかというと今ないし後からそれをすると気分がマシになる行動だし、安全確保行動はどちらかと言えばこれから、ないし今それをすると気分がマシになる行動なんでしょうかねぇ。
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Pです
> > 「数十年後」というものが現実に存在するとすれば、
OCDの人に何を怖れていますかと尋ねると,話がどんどんそんな未来の不幸まで避けようとする最悪のストーリーを話してくださいます。でも,GADやSADではちょっと先くらいはあっても,そーんなに先まで心配していないようです。
私が信じているのではなく,患者さんがそうおっしゃるから,そういう違いがあるのかなあと思っているだけ。妄想かと思うほど,強固な観念に支配されているところは見極めが難しいです。
> > とりあえず、病名などは心理士の考えるところではないので、
私はSCIDのトレーニングを受けました。パラメディカルも知っておくと色々研究するのに重宝しますし,精神科臨床で仕事をするなら診断なんて知らなくていいとは思いません。ちなみに私の病院の認知症の検査をする心理士はその検査(3種くらい)から診断名を言えないと検査の精度を認めてもらえないという厳しさです。もちろん私にはできませんが。
「○○しない」という行動契約よりも,エクスポージャーしましょの方がいいので,○○と考える暇がないくらい,次々にエクスポージャーできたらいいですねとSADの人には言って,ある人に出した課題は本屋で立ち読み,手に取る本は「へ〜お前ってこんな本読んでるんだ〜」と思われたくないような本というものでした。安全確保行動妨害なんてしたことないですが,しなくてもエクスポージャーさえ,カチっと的にハマればそれですっきりと治まるようです。不安を下げるという考えは持っておらず,"今のそのレベルの不安に慣れる"とか,そんな考えがあってもするべき行動を計画的に行う・・を患者さんには目指してもらっています。
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Pさん
私が見たことのある人は、ご近所の家ともめると先祖代々つながっていた近所との関係を私の代で壊してしまい、村八分にされたりこの先子どもたちもうまくいかなくなると思って怯えていますが、そういった不安をGADやSAD的と解釈すれば、GADやSADの人でもあれこれこの先にずっとまずい事が起こると考えている人もいるんじゃないかなと思います。
逆にOCDの人でも、この先どうなるとかを明確に持っていなくて、単に「汚れちゃうからいや」みたいな感じで言う人もいます。あれこれ聞いても「そんな先の事とか、責任の事とか深くは考えない」と言われます。
というより、私の周りのOCDの人で「この先何十年も・・・」という発言を積極的にされる方って、そうそういない気がします。あえて引き出していないからかもしれませんけどね。
なんにせよ「今起こっている悪い事は今だけの事ではなく、先につながる悪いことだ」と思っているのは病名とは別のスキーマのようなもので、その方向性がOCD,PD, SAD,GADで多少違えど大差がないのではないでしょうか?
差があるとすれば、OCDの人の中にはその破滅的な災厄を避けるための行為を後に回しても大丈夫と考えて今の不安を下げるという対処を持っている人がいるという部分でしょう。
安全確保行動については、たとえばある会社員はプレゼンテーションで話す内容のほとんどを毎回家で書いていないと失敗しちゃうんじゃないかと、ひたすらしゃべるセリフを書き続けていました。
とうぜんセリフの段取りなしで発表する(安全確保行動を阻止して暴露する)ということが意味のあるエクスポージャーになります。
仕事や誘いを断るときに、本当は手伝いたいんだけどどうしてもできないとか、あれやこれや断る理由を長々と述べたり、自分の忙しい状況を微に入り細に入り説明したり、という安全確保行動を取ってからでないと断れない人には、「理由を言わずに断る」という練習をしてもらいました。
いずれにせよ、人前で発表することや、仕事や誘いを断ること自体は可能なんだけど、それらにずっと不安や苦痛を感じ続けている。
SCIDが出たのでDSM-TRにおけるSADの記述で言えば「恐怖している社会的状況または行為状況は回避されているか、またはそうでなければ、”強い不安または苦痛を感じながら耐え忍んでいる”こともある」の””でくくった後半の部分で、その後半の部分を中心に症状を持っているSADの人には暴露をどれだけしてもうまくいかない気がします。
あるいは暴露のセッティングが耐え忍ぶことを無意味にさせるようなものである必要があるんじゃないでしょうか?
そういう意味では暴露反応妨害法は「わざと**して、その後++しない」という行動契約ですが、安全確保行動阻止+暴露法は、「先に++せずに、その後**する」みたいな感じで時系列が違っているかもしれません。E/RPとRP/Eみたいな違いがある気がしてきました。
なんとなく書いていて思ったんですが、私が話題にしているSADの方は大方社会で仕事を持って、対人場面も十分にあるんだけどいつまでたっても対人不安が消えない(つまりこれまで暴露の機会は十分にあるのに、さまざまな安全確保行動で不安に直面できておらず慣れてきていない)方々で、Pさんが話題にしているSADの方は、引きこもりに近いぐらい社会に出ていない(つまり暴露の機会がそもそも乏しい)人なんじゃないかなと思いました。
暴露の機会がそもそも乏しい方は、とりあえず暴露でじゃんじゃんやっていってOKで、安全確保がどうとかはあれこれ丁寧にセッティングする必要をそれほど感じないというか、オーバーな治療になることは確かです。
あるいは現在の生活の中にある自然な暴露が不安を馴化させる役に立っていないという状況で、私なら馴化していかない理由を安全確保行動に求めて「あれこれ準備したり回避したりしている事を止めて臨みましょう」という風に持っていくし、Pさんなら「その系統でもうちょっとファンキーな暴露をがりっとやる」ことで汎化させてこうとするってことでしょうか?
安全確保行動の阻止については、私も最近やり始めたばかりです。どちらかと言えば昔は暴露をがっつりやってました。
思いだしてみれば、お昼の弁当を道の縁石に腰かけて食べながら道行く人に挨拶してもらったり、信号が青になっても進まずに後ろの車にプップーとクラクションを鳴らされるようにしてもらったり、秋なのにアロハシャツで出歩いてもらったりと、ファンキーな暴露に関しては人の事を言えないかもです。
まあでは、良いお年をお過ごしください。
原井 on 2007/12/26 2007-12-26 17:54
Off-lineです。