2015/07/24: 日本ブリーフサイコセラピー学会 第25回札幌大会参加記

今年はブリーフサイコセラピー学会に呼ばれたこともあり、森先生の事もあり、認知療法学会をさぼって北海道に行ってきました。
ブリーフサイコセラピー学会に参加するのも、これで4回目で、ビミョウに知った顔が増えて会釈なんかもされちゃったりなんかして、そろそろ潮時かなとも思わなくもないです。


行き路は関西に台風が直撃したさ中にあり、「これって飛行機飛ぶのだろうか?」と危ぶんでいましたが、何とか30分遅れぐらいで北海道に付くことが出来ました。
さて学会に先立って、いつもお世話になっているこころSofaの太田先生に「第一線で活躍する実践家から学ぶ認知療法・行動療法の基本」というタイトルの北海道ミニ研修会を開催してもらいました。なんというか、気恥ずかしいタイトルですね。

私は今回のブリーフサイコセラピーにて、ナラティブについて話をする予定だったので、個人的には「認知療法や行動療法ではどんなナラティブが交わされるか」について語りながら、聴衆と触れ合いつつディスコースを発生させる気満々でいましたので、影のタイトルは「世にも奇妙なナラティブベイスドCBT」としていました。
どうもパワーポイントスライドを使ってしまうと、上手くディスコースが生成できない気がしていたので、ホワイトボードだけ使って、あとは口先三寸で乗り切るという作戦でありましたが、まあ何とかつつがなく終えられました。
その後は魚介の美味しいお店で歓談。海の幸っていいですね。滋賀県は海が無いもので。
そんな感じで札幌の一日目が終わる。


さて、学会初日は研修会でした。
ちゃっかり受付に陣取っている遠見書房の山内さんとあれこれしゃべりつつ、森田療法について学ぶ研修に参加。

森田療法と言えば「くさみ」と言えるぐらい、明治から昭和にかけての日本語を現代社会に伝えている療法で、かつての日本では森田の言語体系でダイアログが作れたのかもしれないけど、現代日本だとモノローグしか作れないだろうなと思いつつ聞いてました。
今回の講師の先生はそこまでくさくない感じ。副題も「お題目にしないために」となっているのは、その辺りに気を付けての事だと思う。

いわゆるアダルトチルドレンみたいな、誰にでもあてはまる森田神経症の症状群が説明されていたが、講師の先生曰く、「森田神経症とはクライアントの自認であって、他者がそれを指摘するような診断概念ではない」との事でした。

ところが、研修が進むと「森田神経症であることの気付きを促すような声かけ」の例が徐々に増えてきて、どうも森田正馬も「気づけ、気づけ」とやってるらしく、自認というのもまたお題目だったという感じ。

1、セラピストがクライアントの事を「この人森田神経症っぽい」と認知する。2、その人に森田療法の説明。3、私まさにそう!などとクライアントが乗ってくる。4、森田療法の導入。さらに自認を促す。という形でセラピーが展開しているようなんだけど、永遠にエビデンスを得る事がなさそうと思った。まあ、別に得んでもエエけど。
それは別にして、やまとことばで症状について言及されるのっていいですね。キュンと来る。


研修が終わって他の参加者と懇親会に行こうという事になったけど、あまりにもCBTっぽい人々との飲み会になりそうで抵抗してたら、うまく大所帯に合流することが出来て良かった。
飲み会メンバーに疼痛持ちがいたので、みんなして冗談でセラピーをかけ続けると、「ずいぶんマシになった」と。
私も「今までの痛みがウソだったぐらいの激痛」による痛みの緩和を申し出るが、やんわり断られる。残念。

錚々たるメンバーの末席に加われた栄誉ついでに、前々からオープンダイアログについでに感じてた違和感を白木先生にぶつけてみた。
「オープンとダイアログは被って無いですか?もしオープンでないなら、それは単にモノローグなわけで。」
そこから、オープンなダイアログ、クローズなダイアログ、オープンなモノローグ、クローズなモノローグの話に展開した。アネクドートなんかはオープンなモノローグらしいかもしれません。

じゃあ、私の発表はオープンなダイアログ風モノローグになりそうだなと思った。
そんな感じで札幌の二日目が終わる。


大会二日目は、朝から一日目の研修会場に間違って行ってしまうという失態のせいで、最初のプログラムには参加できませんでした。
スタッフの発表を聞き逃してしまった、残念。

気を取り直して、その後「夫婦の対立構造が逆説的に機能した事例」、「受験勉強を認知行動療法に取り入れた実践報告」、「暴力行為を行う不登校男児と母親との面接」という三演題を聴いてみた。

「夫婦の対立構造が逆説的に機能した事例」は、なんか陪席者(兼発表者)がセラピストのやったことを解釈して発表している?みたいな構造で、逆説という言葉の定義も変だし、陪席者は面接内で実際起こった事柄をほぼ理解できていないというか、なんというか、指導をまともに受けてないか見放されているか、どっちかという感じでした。

「受験勉強を認知行動療法に取り入れた実践報告」は、あらゆる意味において認知行動療法ではないけど、まあ普通に良い環境調整だと思うので、むしろ「環境調整さえすればセラピーみたいなことをする必要なんてないのだ」と堂々と言い放ったらいいのにと思った。

「暴力行為を行う不登校男児と母親との面接」は、システムズアプローチのダメなところが如実に出た好例で、セラピストは感覚的に個人療法の枠組みでセラピーを行い、わりとゆっくり奏功しているが、システムズアプローチの軛が邪魔をして上手くそのことが掴めず、結果として時間を長引かせたという感じだった。

三題共に言えることは、「セラピストが自分自身の事でそんなに忙しそうだと、面接中にクライアントさんの事を観る暇が無さそう」って事でした。


昼食を終えてシンポジウム1「発達と改善・回復をもたらすもの」に参加。
シンポジストが共通して企画の不備をグチるところからスタートするのが流儀の様子。
指定討論の先生もどこに向けて収束させていけばいいのかわからず、でもまあ、それぞれがそれなりにお話上手な方なので、何とか時間は持ったという感じ。

その後はフリー企画という事で、ナラティブセラピーに参加。
おそらくこれが私がナラティブセラピーについて学ぶ最初で最後の機会になると思って気合を入れて話を聴く。
感想としては、ナラティブに殉ずるという事はセラピーを捨てるという事なので、ナラティブセラピーとは尻尾を喰った蛇みたいなものだと思った。


その後は大会シンポジウムで「サイコセラピーとスピリチュアリティー」というお話を、東豊先生と芦沢健先生がそれぞれ話した後、対談っぽく進めて行く。どちらの先生も話し上手で、対談も盛り上がる。
指定討論の中島央先生がオープンなモノローグを貫くのでちょっと面白かった。


さて、大会の懇親会という事で、蟹パーティーが始まる。蟹を食べつつ、明日の私が座長を務めることになる発表者を探すものの、来ていないと判る。

気を取り直して、私の発表について、開業されている諸先輩方にアドバイスを貰う。
というか、ぶっちゃけどんな節税対策をしているかについて、入念なリサーチをする機会となった。

色々な先生からアドバイスなどを貰い、明日何を話すことになるかが徐々に固まり始める。この時は気が付いていなかったが、結局この時交わされた会話が、本大会で一番訊きたかった話かもしれない。節税に対するディスコースの発生と言えよう。
私の発表の座長の先生にも訊いてみると「何にもしてないから判らない」と言われた。


そんなこんなで、メインの三日目。朝早いので昨夜はあまり飲めませんでした(恨。

私が座長の発表は「移精変気の法を応用した短期精神療法」という発表でした。
移精変気とは「黄帝内経」の中の「素問」に収められている方法でありながら、現在は散逸しており、解釈本の解釈本みたいなものしか残っていない。
まあ曖昧だからこそ後世の人が何とでもできるわけで、まさか作者も2200年後ブリーフサイコセラピー学会で発表されるとは思ってもいまい。
演者の先生は「クライアントの好きにさせた」風の事をおっしゃっていたが、むしろセラピストの好きさの方が勝っていたかもしれないとすら思ったノリノリのセラピーだった。

さて、私の発表。
【「ゼイ」の諸問題に対するナラティブアプローチ 〜開業による物語の生成と開放】
訳判らんタイトルだねと皆に言われた。

今回私は、パワーポイントなどを使わずに、手元のメモ程度の準備で学会発表するという、割と初めての試みでした。
パワポ使うとクローズなモノローグになっちゃうしね。

まあかいつまんで言えば、我々は国からドミナントを受けており、その手段として正しく納税があるわけなんだけれど、よくよく紐解いていけばそれらは全てナラティブなものに行きつく。
というか、むしろフーコーの言うとおり、すべての権力は上から支配しているのではなく、我々のディスコースそのものが権力を構築する術であり、全てであるという事が言いたい発表でした。
まさに好き勝手言いたい。

納税の仕組みというものや節税の仕組みというものは、これぞ正しくかっちりしたもの(ナラティブ非ざるモノ)と認識されがちなんだけど、それもまたドミナントストーリーに過ぎなくて、CBTセンターの歴史的に述べてみたり、ダイアログ風モノローグ(つまり独り芝居)風に述べてみた事で発生させたオルタナティブストーリーを用いて、結局のところ税もナラティブに基づいているのだと示した。
そこから導き出して言いたかったのは、「いわんやセラピーをや」って事でした。

まあ、あまり伝わってる感はなかったけど。


前日あれこれインタヴューさせてもらった諸先輩方が聴衆として来てくれて、朝早くというのに総勢20名近くあつまり、ノリノリでディスカッションしてくれたのには感謝。
インタヴューというダイアログに始まり、NOスライド発表というオープンなモノローグを経て、ディスカッションというオープンなダイアログに行きつく。
どんな気分化質問されたけど、なかなかに晴れ晴れとした気持ちでした。


発表してみて多少はウケたんで良かったんだけど、去年の夏に家族療法学会で岡田隆介先生のトークを聴いた身としては、まるで及びもつかない。というか、どうすればあのように話術が上達するのだろうか、見当もつかない。
岡田先生そのものになる事はできそうにないが、西川が西川として良い話者になるために、これからも精進を重ねるとしよう。


その後はシンポジウム2「マインドフルネスとブリーフセラピー」に参加。
んー、なんだろう、このむず痒さ・・・と思っていたら、結構司会者が攻め込む。
指定討論の吉川悟先生が、ずいぶんやんわりと、苦言を呈していた。やんわり過ぎて誰にも届かないぐらいだったので、ざっくり意訳すると
「ブリーフサイコセラピー学会は、セラピーの種別を問わず、クライアントのために、より効率的・効果的であり続けるために設立した。しかし、『マインドフルネスが良いよ』みたいな発表が無批判にシンポジウムで流されて、しかもこれまでのやり方から見て新規性が無い方法で、それが例えばどう効率的・効果的なのかについて吟味もされず、かつブリーフと言えないパッケージを提出したところで、何になるの?」
みたいな感じでしょうか。

まあ、マインドフルネスを引き出しに入れておいたら、2000回に4回ぐらいは引き出しから出す事もある気がするので、入れておいて別に損はないと思いますけどね。


ブリーフサイコセラピー学会総会は弁当が出るという事で参加する。
毎度のことながらそーゆーのはちゃんとしていると感心する。

その後、森俊夫先生追悼の企画があり、故人の早すぎる死を悼む。
姦しい三人があれこれ話すのを聴きながら、ぼんやりと物思いに耽っていた。

森俊夫先生とは知り合って短い間柄なんだけど、新しいCBTセンターを作る時に相談に乗ってもらったりなんかもしながら、お互いの事例なんかも見たり見せたりしながら、なんというかとてもウマが合う人で、自分で言うのもなんだけど、森先生とは友達だった。
そんな私がこれだけ悲しいのだから、長い付き合いの人々はその喪失感を何をもっても埋められやしないだろうなと思う。


その後は、「スピリチュアルケア」の市民講座があったけど、妖気が漂う雰囲気を感じたので、参加せずに終わった。


全日程を終えて、いよいよジンギスカンの飲み会。北海道には色々美味しいものがあるなあ。。。


翌日は、オフだったので、なんとなく北海道医療大学の坂野雄二先生の所に遊びに行ってみた。
超思いつきな電撃訪問だったけど、すんなりアポも取れ、気さくに応じて頂いて感謝。

坂野先生からはサイコセラピー系の学会の歴史というか、趨勢というか、1980年前後にどうして学会がめっちゃ増えたのか、あれこれ秘話を聴く。
今年で退官らしいので、挨拶ができて良かった。
なぜかついでにゼミとかに参加することになったので、テキトウな事をくっちゃべっておく。

そんなこんなで北海道でした。
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投稿者: 西川公平
2015-07-24 03:12

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