セルフモニタリングはCBTの肝です。モニタリングの無いCBTは無い。No Monitoring No CBT !
モニタリングはすなわち客観視であり外在化でもある。
測っている行為そのものが測られている行為に対するアンチテーゼになっている。
良くできてると思うよ。
おそらく上手な人というのは、その患者さんの話を総合して、「ではこれをモニタリングしてください」と提示するモノが、ピタッとその患者さんにフィットしているんだと思う。
私もたまにピタッと合う奴を出せる時もあり、合ってたら10年来の悩みであろうが、本当にそれだけで解決する。
なかなかそう上手いばかりではないけどね。
実際ありとあらゆるものを測ってもらっている。
・OCDなら手洗いの回数、トイレに行った数、強迫観念の強さ、その時考えていたこと、症状の酷さ、これまでの症状の推移、外に散歩できた数、嫌なものが気にならなかった日の出来事、etc.
・うつなら、小さな小さな良かった出来事、外出のきっかけ/引き金、今日やったこと、パッと思いつくやりたいこと、落ち込みの持続期間、毎週何回落ち込むか、今までやってきたまだマシだった対処法、etc.
・パニックなら、発作の頻度/程度、辛い/辛くない交差点、一番乗りやすい電車の条件、始まってから終わるまでの身体反応の推移、予期不安やその顛末、etc.
本質的に疾患名別に測られるべきものがあるわけではなく、あくまで個人別に測られるべきものがある。
だからパッケージとかはソレを見過ごさせる意味で副作用がある。
さすがに不安とかウツかとか、基本的なことは押さえておくにせよね。
何を測ってもらうと現在最も良いのか?について、ほとんどの場合、その日喋ってもらうまではさっぱり判らない。
どんなものを測る事になっても対応できるように、行列自在の白紙コラムが山ほどある。何人か似たようなものを測る羽目になったら、そのうち自作コラムが出来上がる。
測るという行為が行動だとか、測っているものが認知だとか、そういう議論があるとすれば完全にナンセンスだ。認知の変化の無い行動の変化もありえないし、行動の変化の無い認知の変化もありえない。認知と行動は並列的なものであっても、因果的なものではない。スキーマが原因で行動が結果だとか、どこかで心理学を誤解している。
名著「いやな気分よさようなら」は、いろんなコラムが載っているという意味で便利なのではなく、色んなコラムの作り方とその必然性が載っている上でとても優れているんだなあと、改めて思う。