2014/06/11: CBT Case Camp2014初夏 at 琵琶湖畔 参加記 その2 西川

前回からの続きです。

ケース5は稲垣さんの精神科面接における10min CBTの話でした。
太田さんのもそうですが、タイムリミティッドであることは、中々に緊迫感があります。
グループディスカッションでアレコレonする意見が出て、それはそれでいい意見かもしれませんが、タイムリミットがあるということは、何かを引かなければいけません。
「それを足すのは良いかもだけど、じゃあ代わりに何を引くの?」という世界です。
前半はパシッと出された課題が程よくフィットして、まあまあの回復っぷりでしたが、後半ちょっとダレて、おそらくケースフォーミュレーションのやり直しを必要としている感じなんだろうなと思いながら聞いていました。
でもこういう回復のプロセスって、何だか問題解決療法のもつ、「最初いいけど、後で中折れする」感じとよく似ているなあと思っていました。
多分精神疾患における回復とは、問題解決とはどこか違うんだろうなという感じでしょうか。
ぜんぜん違うわけじゃないから、ある程度は良くなるんだけど。

あとは稲垣さんは作用機序を「感情暴露」と説明されていて、本来暴露は“くっつく”ぐらいの意味しかない単なる状態/プロセスを指す言葉なわけなので、少なくとも行動療法ではそれを作用機序とは呼ばないなあと思いました。じゃあ暴露の作用機序はなんだよと言われると、それはまあレスポンデント消去に他ならないわけで、今回の介入によってレスポンデント消去が起こっている気配は皆無なので、感情暴露にはなっていないだろうというのが感想です。
じゃあ、何が起こっていたのだろうということを考えてみると、とりあえずプロセスとしては本人のモニタリングとセラピストのリスト化指示という課題割付による、認知再構成が起こっていたというのがなんとなくそれっぽいです。なんとなくですけど、要するに「問題は茫漠としており、どうしようもない」という認知が本人のオペラント生起確率を下げていた所、「困り事は**で、何らか工夫のしようもある」という認知に誘導されたことで、生起するようになったという感じでしょうか?
しかし、むしろ問題を茫漠としたままにしていた事そのものが、いわゆる思考の回避だったという考えもなくもないので、そうであればリスト化が認知的暴露(いわゆる直面化)として作用しているのかもしれません。
いずれにせよプラクティスなわけですから、何が効いたのかはちょっとさておき、関係しそうな何かがどう動いているかを別のアセスメントで担保しつつ、その変化などから類推していくという探索的なアセスメントがよりいっそう必要な事柄じゃないかなと思います。


ケース6は佐藤さんの頭の中の6部衆についての発表で、中々に可愛らしいスライドを作られる方だと思います。
佐藤さんは懇親会前に発表があればもう少し弄られただろうに残念なことです。
佐藤さんも大きめの事例報告は初めてで、しかも強迫をするのが初めてと、中々チャレンジングな感じでのご発表で良きことかなと思います。
さて、佐藤さんの発表はフロアの岡本さんのご指摘にもありましたが、基本的にオペラントの修正を軸としており、それだと治療はいつしか頭打ちになってしまうという感じでした。
これはOCD治療初心者がよく勘違いすることで、強迫行為をやめさせることは治療のメインではないのです。
恐怖突入こそが治療のメインです。

有り体に言えばメモを落とすことが怖くて確認している人に、確認をしないように指示するのではなく、メモに重要事項を記入して落とすように指示するのが治療です。
この「恐怖をより煽る事をもって良しとする」アプローチは行動療法に特徴的で、中々に侵襲的であり、根強い反対意見も耳にします。

初めてクライアントさんに恐怖突入させることは、ある意味セラピストにとって恐怖突入です。恐怖突入は、つまり危険を犯しに行くことなのです。
まあ、修行としては、クライアントさんの呈した全ての強迫症状について、暴露をするとどんな課題で、反応妨害をするとどんな課題になるのかについて、とりあえず全通り考えてみるってのがいいでしょう。可能か不可能かさておき。
私の思うCBTのセラピストとは認知再構成法と曝露反応妨害法が使いこなせて、初めて一人前なので、今後とも頑張って欲しいと思います。


ケース7は、岡本さんの発表で、何年か前に問題解決っぽくやって上手くいった人が再び来たので、今度は集団でACTやってみたらもうちょっと早く良くなったって感じの発表でした。発表はスムーズにまとまっていてわかりやすかったです。
ケースAにセラピストBが介入Cをやった時と、同じケースAに同じセラピストBが介入Dをやった時の比較、という構図ですが、やはり数年後のケースAはA’になってるだろうし、セラピストBもB’になっているだろうから、果たして介入の差なんだろうか?という疑問は拭い去れない気がする。
むしろケースAにセラピストBが介入Dをやっても上手く行かなくて、ケースA’にセラピストB’が介入Cをやっても上手くいくんじゃないの?なんてことを考えてしまいます。
ケースは介入C当時まとまりのない人だったので、セラピーがすごく長引いたと述べられていました。しかし、セラピーとは二人でするものなので、きっとまとまりのない二人がまとまりのない会話をしていた数年前と、そうではなくなった数年後という感じなのではないでしょうか?


ケース8は、高橋さんがセラピストの面接行動をクライアントに見立てて発表するというもので、映像があって面白いし、さらに聴衆を楽しませる工夫なども盛りだくさんで、皆さん4ケース+宴会+3ケース終わって疲れている頭でもすんなり入ってくるような、まさに締めに相応しい報告でした。
音声データを出す→SVであれこれ言われる→映像を撮って注意されたことを確認→自分なりに修正→映像を撮るという、まさにスモールステップを地で行くプロセスには、中々感心させられました。
しかしまあ、例えばセラピストが「うん」と頷くとすると、それは「うん」の後の行動に何かが起こって強化されているというような随伴関係があるわけです。
それが随伴性形成行動ってもんですが、どうもセラピストの頷きも含めた非言語も含めたあらゆるストロークがクライアントとの相互随伴関係によっては形成されていないような印象がありました。いわゆる一つのルール支配行動的な。
SVが言ったから、**を変えてみた・・・。ん-、それもルール支配。
まあでも最初はそれでいいんでしょう。
そういう風に変えてみたら、クライアントさんが変わったという体験をしていけば、いつしか目の前にクライアントさんが座っていることに気がついて、会話が始まる日が来るかもしれません。

そういう意味では、某事例検討会の「フロアの皆さん、発言して下さい」という言語反応に随伴しているは、その後のシーンとした感じであって、その沈黙に強化されて発言がなされているわけです。
シーンとした感じが正の強化というのは、つまり沈黙が望ましいってことなんでしょうねえ。桑原桑原。

はてさて、事例検討会というものは、事例を出したもん勝ちです。
最も臨床能力を向上させるチャンスを得るのは事例報告者であることは間違いありません。でも、結局事例を出そうという人はそんなにいないわけです。いつも同じ人ばかりが出している。
事例を出すというのが一つの目標行動であるとすれば、検討会で提供できるそれより軽い課題は「事例について自分の意見を述べて、やりとりする」だと思うのです。実際交わされる言葉は圧倒的に多い事例検討会となっています。
あと、「初めて事例検討に出す」という人が多いのも、嬉しい事です。
その人達が触発されるのは決まって、「上手くないけどそんな自分の臨床を何とかしたいから出す」という勇気のある発表に対してなのです。そういった良い連鎖が起こってきているのを感じます。
逆に、すごくお上手な方の発表は、その実「私なんかが出す場じゃない」と萎縮させてしまいます。

いつしかグループディスカッションに慣れてくれば、ミニ事例報告を各グループでそれぞれが出来るようにとも思うのですが、なかなかそのような手筈までは整いません。
そのような企画を今度はするといいのかなと思いました。

今の所、それらは懇親会などに任されています。
んー、まあ懇親会でまで事例の話している人が、どこまでいたかは謎ですが・・・。

そんな感じで、合宿はみんなで楽しく終えることが出来ました。
来年もがんばるぞー。その前に今年は研修をたくさんするぞー。
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投稿者: 西川公平
2014-06-11 02:29

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