2014/06/10: CBT Case Camp2014初夏 at 琵琶湖畔 参加記 その1 西川

自分で主催しておいて参加記もないもんですが、私は自分の主催の研修会ではあんまり喋らないことにしているので、あれこれ思ったことをブログに綴ってみます。

まずは手前味噌ながらCBTセンターのスタッフたちはよく働くなあと思います。太田さんオリジナルのリーダーシップ論で、「バカ殿タイプ」であればメンバーは育つということらしいので、きっとそういうことなんだと思います。左様せい左様せい。

あと、まあ色々思ったのは、CBTになっているかどうかという話の前に、当然「CBT以前の問題」が大きく横たわっているわけですが、結局そこを扱う環境がどこにもないわけなので、それを積極的に扱っちゃおうというのが、Case Campの目的の一つとも言えます。

1ケース目、は小松さんと8ケース目の高橋さんは陪席ワークショップにも参加いただき、合宿でも面接話法の発表をされるなど、自らの臨床のおしゃべりをマジで何とかしようという真剣さが感じられました。
逐語や音声など話法を聞いて感じることは、会話をするというのは中々難しいというか、ちょうどSing Like Talkingというのが難しいように、Therapy Like Talkingというのが難しいのだろうなと思いました。
カウンセラーはカウンセラーの中の人と喋り、クライアントはクライアントの中の人と喋る、一方通行×2みたいな会話をするのは切ないことです。できればその4人で喋りたいものです。
またお二人とも、「よくそうなるパターン」が有るらしくて、それはまさに誘導という技法を無自覚に用いているのだと思います。もちろんクライアントさんもセラピストを誘導していて、両者の綱引きの上に会話が成立しているわけです。
クライエントをどんどん人格障害や発達障害にさせていくようなすごいセラピストもいるようですが、そこまでではなくても同じパターンのやりとりというものが持つ意味は、「そういうクライアントさんばっかり来る」「人格障害だらけだ」という意味ではないことは間違いないです。

そしてそれこそが、この合宿における「話法の発表」の持つ一番美味しいところの一つですから、お二人の先生はまさに満喫されたのだと思います。
とはいえ、クセでやっている話し方をちょっとずつ変更していくというのは、ゴルフのフォームを矯正するのにも似て、なかなか難しいところもあります。かなりの混乱と苦痛を伴うことでしょう。
あとは、私が個人的に思うことかもしれませんが、楽しさがあまり感じられない会話というか、セラピストがその会話のどこらへんに楽しさや興味を感じているのかわかるとイイなと思います。
楽しくない会話をしながら、「なにか楽しいことを探してみましょうよ」というのは、なかなかに無茶です。
おしゃべりとは本質的に、楽しむためにすることなので、もうちょっと楽しいと感じられるようなものであればいいのになあと思います。
その件で言えば、高橋さんの発表では、「自分のフォーム矯正とその結果」を時系列に出していて、自分を使った自分の実験という楽しみを見出しているような所が楽しかったです。
私も若い頃はあれこれ試しに言ってみたことがあります。今でも下らない話をしょっちゅうしてしまいます。

私は今の所、会話の文脈がつながっていたら、会話の内容は大してつながってなくても全然OKという感じでやっているので、会話の内容が唐突に変わろうが、会話の文脈がよどみなく流れるという風になってます。
逆に、会話の内容をつないでいるつもりなのに、会話の文脈が咬み合ってないので、会話になっていないというのは、どこにも行けなくてツラい感じです。即時そのようなNo文脈を辞めてしまうためにアレコレ勇気を持って変化するといいと思います。文脈としての意味がないやりとりは、1秒たりとも入れないぞと頑張るのがいいと思うのです。
そういう意味では、私は言葉に飽きっぽいというか、同じ繰り返しになるのがあまり好ましくないと思っているんだろうと思います。一巡でも堂々巡りしたら、巡るに至った理由を考えて、次は巡らないようにするよう、セラピーの中で絶え間なく気遣う必要があります。


さて、大幅に逸れましたが、1ケース目の小松さんの症例発表について。
小松さんは発表そのものが初だとかで、それでしかも音声を出すというのは中々の勇気だと思います。
本人曰く「ぶれぶれ」の面接で、フロアからのディスカッションでも「クライアントさんにいいように振り回されている」ということでした。まあそれはそうですねという感じ。
でもまあ、こういう風になることは会話にコンセプトがないというか、アジェンダがないというか、壊れた羅針盤で海原に漕ぎ出している感というか。
言葉を発するというのは一言一言介入なわけですから、介入の前に、どんなレスポンスがあれば成功で、どんなだと失敗だということは、判ってないといけないわけです、予想外も含めて。
だから、「小松さんがなにかヒトコト発したら、クライアントさんからレスポンスがあった」という時、そのレスポンスは小松さんにとってOKなのかNGなのか、予期なのか予想外なのか、全然わからない会話がただ続いている、そんなことを感じました。
そういう意味では、それがNGだと判断できれば、こちらの行動(つまり言葉)を変えればいいし、OKなら、そういうやりとりを増やせばいいし・・・、というセラピーにおける言葉の収斂は、まさに相手の反応によってナチュラルに為されるものなわけですが、そーゆーのがなさそうだなあという感じでした。


2ケース目は太田さんが学校で無茶振られた研修仕事についてでした。
リーダーになるのが嫌過ぎて保健室に通い詰める10数人の児童を含む学年に、40分ほど話をして、結果全員の保健室登校を無くすという、まあ何というか、いつもの大田節炸裂という感じでした。
パーフェクトに上手くいっているので、特にいうことはないのですが、小学校6年生ということで言えば、不安や緊張という状態そのものに無自覚なこともあり、また心身相関もあやふやですから、そこの部分の心理教育を足しつつおさらい部分を多少割愛ということぐらいでしょうか?
あとは、だいたい小学校は集団登校なので、そこでは6年生が班長をしているはずなのですが、「それとリーダーとは、まあ一緒やで」ぐらいの、すでに出来ている成功に着目するようなことがあっても良かったかもしれません。

いや、まあでも、研修の内容としては何も足さない、何も引かないでいい気がします。
発表の内容としては、アウトカムとしての保健室登校児童数変化が描かれてまでが発表なので、質疑で出てくるようではちょっと残念でした。

いや、そもそも私ならその仕事引き受けるのかな?

基本的にはSSTの心理教育部分みたいなお話だと思うんで、「リーダー=グイグイ引っ張る」という認知をバラけさせたという再構成がメインだとします。
じゃあ、その再構成を「これまで上の学年の人にやってもらって良かったこと、嬉しかったこと」というタイトルで子どもたちにリスト化してもらい、KJ法でボトムアップしていって、そしてリーダータイプを命名する。
でも、リーダータイプというより、マネージメントタイプと言った方が良い。
むしろリーダーという嫌なイメージの付いている言葉を無理して使う必要なんて無い。
「下級生がやりかた判らんとき、先にやったげて教えてあげるお世話係」みたいなリフレームで乗り切ればOKなのかもしれんなあと思ったりしました。

あとは、太田さんの介入が教師の介入に影響していたという線も結構あるんじゃないかなと思いました。
これまで生徒に不安を訴えられたら「6年生なんだから、リーダーなんだから、がんばらんとダメよ」というダメッセージを発し続けていた教師が、そのように子供を害する言葉を発しなくなったというシステムチックな間接介入としての役割はなかろうか、みたいなことも思いました。
そもそものオファーについて考えると、教師主導で関わって子どもたちが変わった感を教師に持ってもらうことがないと、「困ったときには大田に無茶振れ」という流れが作られて行かないかなあ?のび太くんとドラえもん的な。

いずれにせよ、私がどうやった所で、太田さんの見事な研修をできるわけではないので、負け惜しみのような感じです。


さて、3ケース目は岡村さんの割とシンプルな症例報告でした。
母親にスポイルされてスキルが育ってない感じの大学生が、解離チックに無能パニック状態に逃げ込む事を繰り返しつつ、まーまー適応を上げつつあるという感じですかね。
好きなゲームのメタファーを巧みに使った所がキラリと光る発表ですが、それがあるんなら、もうそれでいいじゃんという気もします。
なんというか、介入も、課題も、目標も何もかもそれを使ってガンガンいったらいいのに、本来食べられる部位を食べずに捨てちゃったもったいなさがある感じでしょうか。
事務局仕事と発表の両立は中々死ねる仕事量なので、お疲れ様でした。


4ケース目はまーさんの発表でした。復職支援のケースでした。
何と言えばよいのか、治療にはなっていないのですが、治療になってい無さがどこから来ているのかすらThが分からない感じで、それは多分「客観」という言葉の定義が「データに基づく」という意味になってないからなんだろうなと思いました。

例えば過食のケースフォーミュレーションといえば、どこで、何を、幾らぐらい買って、家のどこにどう保存して、それを何時頃取り出し、どこでどう食べ、その時何を考え、感じ、その後どうなり・・・という一連の連鎖のことを指すのが「客観」というものなのですが、病歴情報が散漫に集まるだけで、それを集める意図も意義も無く、結果ももちろん無いという感じでしょうか。
面接を通して客観が存在せずに推移している感があり、患者さんの訴えはもちろん主観ですが、Thの妄想と混ざり合い、なんともつかない介入と結果になっているという感じでした。
多分行動療法というものの知識がないので、藁で作った家よろしく面接に骨格がない感じなのだと思います。

ディスカッションで某稲垣さんがいつものごとく吠えていて、まあそれはまーさんに言っても仕方ないだろうし、心理としてはもっと他にもツッコむところは山積みだから、そこを強調せんでもいい気がするなあとも思いましたが、まあいつもながらということで。
まーさんはそれなりに博識な方と思いますが、それら知識が上手く臨床に結実しておらず、「筋力があるが運用できずに上手く走れない子」みたいな雰囲気がありますね。


しかし、どの事例発表にしても、「わたし上手くいったから、観て!」というような発表ではなく、「より上手くなりたいから、上手く行っていない面接にアドバイスがほしい」という真摯な姿勢から為されており、それらが伝わったおかげでディスカッションはとても暖かいものになったと思う。


そんな感じで、一日目の発表が終わり、夕食を経て花火大会。
花火は久々に童心に帰って大盛り上がりでした。

そうしてメインの懇親会が始まりました。今年は私が担当しなかったこともあり、適切な分量の食材が揃っていました。
ローストビーフ、鳥の丸焼き、スイカを繰り抜いたフルーツポンチ、ビールサーバー、鯛のアップルパイ、鮒寿司、etc.
美味しい飲み物食べ物を投入することで盛り上がる予定は見事に成功し、皆が舌鼓を打っていたので良かったです。私もダイエットのことなどすっかり忘れて食べまくりました。
ほかにも普段話せない人と普段話せない会話ができて、なかなか楽しかったです。皆さん仲良くなったようでよかった。
もっと色々な人と話したかったのですが、中々手狭で動きにくかったのが残念でした。
第四世代のCBTについて戯言遊びをしたのが印象に残っています。

しかし、電池が切れたので、就寝。二日目に備えました。
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投稿者: 西川公平
2014-06-10 01:59

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