2014/03/21: 行動療法コロキウム参加記2014 西川

今年も行動療法コロキウムに参加してきました。
徳島大学の堺先生から、「合宿はコロキウムとどう違うんだよ?!」と4,5回聞かれたので、私自身もどう違うんだろうなあ・・・と思いながら参加していました。

若干の感想を覚えたので、考察を加えて報告してみたいと思います。

第1セッションは、「ERP導入面接におけるセラピスト役割」についての発表でした。
このセッションのテーマはセラピスト行動がターゲットだったので、ある意味合宿とガチでかぶるテーマです。
それゆえに、合宿におけるディスカッションとの差がよく出たような気がします。
簡単にいえば、コロキウムではあくまで主がクライアントの変容であり、従がカウンセラーの行動なのに比して、合宿はどちらも50/50ぐらいの重みでディスカッションされるということです。
そんなわけでコロキウムではT先生の発表の思惑から外れて、クライアントの機能分析ばかりにディスカッションされており、残念な感じでした。


第2セッションは、失声のケースでした。
私は何度か観たことあるケースなので、コメントは控えめにしておきましたが、緘黙に比べて失声はストーリーなので、その文脈にいかに乗りつつ反って行くかというバランスに依るのですが、T先生はとてもうまく乗っておられて、私の好みからすると反るのはやや遅いけど、でもまあ十分なケース展開だったように思います。
コメンテーターの先生が、いつもながら予想を上回ってイイ事を言う人なのですが、多分に漏れずいいこと言ってました。


第3セッションは、どうやら辞退者が出たようで、ピンチヒッター的に事務局サイドの方が発表されてました。
しかし私的にはコロキウム全発表の中で一番ぐっとくる発表だったと思います。
「自閉症の男性に対する行動療法」で計画的無視を病院内で統制した後、他機関に般化するというかなり難しいテーマでした。
まず、すばらしいin vitroとも言うべき治療で、いわゆる強度行動障害が短期間で改善していっていました。
一方で他機関に行くと、再燃しました。
まあ、余談を許さぬ行動障害であったことは言を俟たないのですが、少々インテンシブ過ぎたかなと思います。
逆に私は環境上そんなにできないので、つねづねルーズなセッティングになってしまいますが、その分消去抵抗が強くなってくれるところもあります。
あとは、むしろ逆にセラピスト行動の般化における機能分析を中心に表現されたほうが、タイトルの発表に近くなるだろうなと思って聞いていました。
何にせよ治療環境である嶺南病院および発表者の治療者としてのポテンシャルを感じさせる非常に素晴らしい発表でした。

そして、メインの懇親会です。
懇親会では事務局の嶺南病院チームが素晴らしいレクリエーションを行ってくれて、感動しました。
70余名の人数を1時間近く飽きさせることなく全員参加させて、楽しみを切らさないというのは、中々できることではありません。
ココにも一つの技があると思いました。

その後はグダグダ飲み会をしながら、テキトウな人とあれこれ喋っていました。
私は一日目の発表を踏まえて、印刷しないつもりでいた資料を印刷する決心で印刷用を作っていました。

翌朝、第4セッションは、「Skypeなどを使った遠隔指示のERP」についてでした。
なんというか、30分に盛り込むにしては発表が施設のあり方やSkype使用について話したいのか、Skypeを使ったERPの中身について話をしたいのか、ちょっと散逸している感じでした。
しかし意欲的な試みであることは間違いなかったです。

後で発表者とも話していたのですが、このSkypeを使ったERPはまさしく教育にとっては非常にいいものなんじゃないかと思いました。
ERPをやっている人たちの中で、他人のERPを観たことがある人は稀です。
他人にERPを見せている人はもっと少ないわけですから、Skypeという陪席者がほとんど邪魔にならないシステムを利用して、少なくとも一度は観てからやってみれば、「始めたばかりの治療者の根本的な勘違い」がもうちょっと減るのかもなと思いました。
通常それらの犠牲者はクライアントさんなわけですから。


第5セッションは、早稲田の早稲田のための発表で、とても早稲田らしい結末を迎えたのだと思います。
私自身は次の発表に備えて、ゴニョゴニョ資料を直していましたが、結局のところローデータも無しに機能分析するというのは、治療者の妄想にすぎないので、セラピストとクライアントの妄想押し付け合戦みたいでした。


その後、誰得シンポジウム?のようなものがあったらしいのですが、私はちょっと資料印刷に出ておりまして、聞いていません。
聞いていませんが、後から漏れ聞いた話では、私の想像通りの感じだったので、参加しなくてよかったと思いました。
もし予測と制御というものが・・・(略


第6セッションは、性加害をテーマとするOCDみたいな発表でした。
まあなんというか、クライアントがどんな人で、困り事が何なのかについてのアセスメントをトチるか手抜きして、介入がうまく行ってなくても、アセスメントも介入も見直さず、そのまま続けてたら自然治癒したみたいな経過でした。
統計解析も繰り返せばエラーが出るように、当たってない治療も繰り返せば”良くなるというエラー”が出ちゃうことってあるよね、と思いつつ、でもそんな偶然を巧みに拾っていくこともまた臨床的だなあと思いつつ聞いてました。


さて、第7セッションは私の発表でした。1〜6までの方が、かなり早口で、それなりに時間オーバーしていてくれたし、自分としては紙の回収資料も作ったので、心の余裕を持って莫大な資料を早口で読みまくろうと決心していました。
壇上に立ってみると、聴衆は疲れきった顔です。
朝の9:00-17:00まで真剣に事例検討して、しかもその前のシンポの(略)だったら、なおさらですね。
ということで、寝させないように、音を入れて定位反射をそそったり、黙読してもらったりと、入り口参加型にして眠気を吹き飛ばしてみました。

で、つらつらと発表を終えて、ディスカッション。
なんというか、時間の関係で一度は取り下げたけど、時間とか気にしない事にして復活させた叙情的スライドが、随分評判よくて驚きました。
いつもは叙事的ばかりにしてるので、何か変な感じがしましたが、まあいいやって思いました。

精神分析畑の人から、まさかのイマジナリーコンパニオンについてのコメントが有ったので、「サバイバルコンパニオン」とか造語を適当に作って返してドヤ顔しておきました。

今回私は事例の説明に、阻止の随伴性に次いで大嫌いな「ルール支配行動」という概念を使わざるを得なくて、それってどうなんよ?ということを問うてみたかったのですが、どちらかと言えば完全にスルーでした。
え、嘘、なかったコトにされたレベル?アニメーション頑張ったのに・・・

「ABAとしても矛盾少なく、かつルール支配としても矛盾少ない介入の二重性をどのように構築するべきか」というのがひとつの裏テーマだったんですが、ABAの方には反応あったものの残念ながら二重性に対してはスルーでした。

今回のケースで主張したかったことのもう一つは、「非学習性の精神疾患を学習心理に基づくBTが治療云々いうのは違うだろ」ということなのですが、例によって議論になることもなく終了。
まあ、いずれの疾患にせよ認知行動療法がターゲットとしているのは疾患そのものではなく、その余波ってことで。

最後に締めの言葉をと言われて、特に準備していた言葉もなかったけど、
「肝臓にいいからゴルフをするわけじゃない。ゴルフは楽しいからするんだ」
という昔の格言をもじって、
「臨床は楽しいからするんだ。事例報告もそうだ。」
ってなことをテキトウに皮肉って終わりました。

どんなハードなケースでもそれなりの楽しみ方はあると思いませんか?
セラピストが勝手な妄想で勝手に苦しむのにクライアントを突き合わせるは、何だそのナラティブ?って思います。

コメンテーターの先生は、諸般の事情でコメントを事前に用意しておかれなかったようで、控えめに言ってもかなりしどろもどろでした。
しかし、大会長の谷先生が凄くいい感じに臨床的なコメントをくれて、やはり嶺南病院という臨床的なパートナーを得た先生は違うなと思っていました。
谷先生の臨床能力は大学相談室とか学生相手とかには勿体無いので、嶺南病院の臨床家相手に実地で教えていく方が張り合いあって楽しかろうと思いました。

そういう嶺南病院は、ただ今看護師募集中だそうです。
正に実地で認知行動療法を学びたい、身につけたい看護師はどしどし応募して下さい。
たった今入った情報によると、看護師だけでなく、PSWも、OTも募集中だそうです。つまり心理士だけは募集ではないです。

嶺南病院のホームページhttp://www.reinan.jp/index.htmlはこちら


コマーシャルを挟んで、メインの懇親会の話。
私はついさっき事例報告を終えたので、結構モテモテというか、沢山の人からコメントを頂きました。
順番って大事ですね。
もし朝一だったら、私の発表はすっかり忘れられていたことと思います。

なんだかんだで話をしつつ、結局のところあまりにLowFunctionに陥ってしまうと疾病特異性はかえってなくなり、ピュアなABAに近い方法しかなくなるが、回復してくると疾患特異性の困り事が出てくるので、応用を効かさないといけないという所に落ち着きました。
しかし、私自身の臨床のキレの悪さを振り返るいい機会になりました。

気兼ねなく飲んで、次の日。
気兼ねなく飲んだ分、岡嶋先生のご発表に対するコメントスライドが全然できていないということで、第8セッションは自己休養して、スライドを作っていました。
噂を聞くと、それなりに良かったっぽいので、聞き逃して残念です。


そんなわけで第9セッション。
盗撮・盗癖に対する刺身のツマとしての条件反射制御療法の発表。
お・ま・じ・な・いは治療にかける“ふりかけ”にしてはいい味出している感があり、「あってもなくてもいいけど、ちょっと使ってみたいよね」と思わせるに十分な魅力が伝わってきました。

しかし、コメンテーターをするとなると、コメンテーターってなんだろうと思います。
事例について私なりにまとめればいいのか、指定討論みたいに疑問を呈すればいいのか、はたまたフロアを沸き立たせればいいのか・・・。
微妙に悩んだ挙句、最初の1/3はコロキウムで事例発表することにおける大いなる勘違いがあるだろうという話を、1/3は発表の技法や事例を私なりに解釈したまとめで、1/3は疑問を呈して終わってみました。
資料を拝見した時にはマジパブロフ的に色々話しようかとも思ったのですが、時間もないし、俄だし、誰得か判らないので止めました。

しかし、この発表において司会が、「皆さん、ここで発言しないと、発言なくコロキウムを終えた問事になりますよ」と一方で振り、もう一方でバキバキの専門用語で発表者を挑発するという、それなんてダブルバインドみたいな展開があって、ちょっと笑けました。
そんな中で琉球大の院生さんが果敢に発言されていた勇気と、その発言を強化するでも般化するでもなくスルーしたのがなんとも言えない感じでした。


さて、コロキウムを終えて感じたこと。それは合宿との違いです。

コロキウムという環境は自由な発言を抑制し、消去していく環境です。
コロキウムでは臨床解釈業の偉い先生の発言をメモすることが奨励されている、トップダウンと言ってもいいし、ディスクリートというか、宗教的価値を大事にした集まりです。
それを目指しているため、そのような工夫が随所にあります。

一方で合宿は、自由な発言が強化される環境です。
ガンガン皆が臨床について話し合い、または自分の臨床について語ります。
ボトムアップと言ってもいいし、フリーオペラントと言ってもいいでしょう。
それを目指しているため、そのような工夫が随所にあります。

コロキウムに参加した場合と、合宿に参加した場合では、参加者が1日のうちに発話量が圧倒的な違いになるでしょう。
そんなわけで、ボトムアップ方式の学ぶ場である合宿というものを作ったのは、手前味噌ながらその甲斐があったなあと思った次第です。
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投稿者: 西川公平
2014-03-21 00:13

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