2013/09/03: 第23回ブリーフサイコセラピー学会大会 参加記

先週のCBT学会から二週連続東京に行って、ブリーフサイコセラピー学会に参加してきました。
大会テーマは「最前線での配慮と工夫を分かち合う」ということでした。
参加記などを綴ってみます。

ちなみに二つの学会の間には心理臨床学会が横たわっており、それも合わせて三立てされた先生達は、くたびれ果てておられました。

さて、私もそれなりにCBTの学会で忙しくも疲れきっていたのもあり、ブリーフサイコセラピー学会でのケーススタディーは正直一週間でやり切らないといけない状態でした。
もっと正確に言えば、一つ学会に行くとその間仕事が溜まるので、結局2,3日ぐらいしかまとめる時間がないというか、まあでも、まとめるのもブリーフでいいかって感じで臨みました。

大会は配慮と工夫を副題にしているだけあって、様々な配慮と工夫が為されています。
例えばポップな抄録集であったり、託児であったり、誓約書であったり、ポイントであったり、できうる限りの配慮が配られているという、おもてなしの心で満たされているのを感じました。
素晴らしいと思ったのは、総会にお弁当が付くこと。
不安なんちゃらとかがめつい学会だと薬屋さんから金巻き上げてランチョンセミナー開いたりするけど、そんな薬屋さんの影もなく、きちんと大会費から弁当代を取り、しかも美味しい弁当を出して総会に来てもらうという、よく考えると当たり前だけれど真っ当な、なかなか出来ないことなのかもしれないなと思います。
そう考えると、ブリーフの学会はあんまり権力とか金とかが絡まない感じで好感が持てる気がしてきました。
CBTとかは、以下略。

実際のところ大学の先生という立場からしたら、臨床を沢山するということは、ある意味出世を捨てるということなので、臨床ラブ!であればあるほど出世はしないというか。
実際CBTの先生方のほうが国公立ないし有名私立ぐらいの先生が多く、ブリーフの先生のほうが市立または臨床現場の先生が多い感じがします。
CBTの先生は臨床をしないか、しても学生相談か、良くてクリニック勤めなのに対し、ブリーフの先生は大学+開業という形式で臨床をしているのも、そういった差かもしれないなあ・・・そんなことをぼんやり考えていました。

一日目は並列で9本のプログラムが走っているという状態で、しかし一つ一つは30~60分時間が取られているという仕掛けでした。
口演10分とかポスターとか全くなく、せせこましい感じは全然ないのですが、いくつかは間延びしていた気もします。

まずは「カウンセリング利用者からアンケートをもらう」という中川先生の発表を聴きに行きました。
途中からだったのですが、んー、なんというかアウトカムって何なのかわかりませんでした。

「自我状態療法の臨床実践における配慮と工夫」で講師の福井先生が、ちょっとうまくいかない時はこんな風にしましょう的なノリでHowToをご発表されていて、私も自我状態療法を全然しないということはないので、ちょっと質問したりなんかしてました。
しかし、なんというか、ゆるいです。

その次は「千葉認知行動療法脂溶性研修から学んだこと」という村上先生の発表を聞きました。
千葉はCBT頑張ってるなーと感心しながら聞いてましたが、コレもまたゆるゆるな感じでした。

午前中を経て思い出したのですが、ブリーフの発表は「こんな人が居たので、こんなことしてみたら、こんな風になりました」というたまたま上手い事いった発表で、効果指標も最終“笑顔が見られました”レベルにすげー適当なので、何だか良くなったんだか何を持って良くなったとするんだか分からない発表が多いんだったなと思いました。

反面、どんな文脈で、どんな間合いで、どんな声掛けでみたいな治療室でのやりとりを詳細に記述して表現しようという技術に関する表現熱意が強い感じで、まあそれは特色としていいなと思いました。

ランチタイムは条件反射制御療法という絶滅危惧種パブロビアンの先生たちとカレーを食いつつ、不可思議な第一信号系、第二信号系理論についてディスカッションしてました。
要するに条件反射制御療法ってのは、問題行動にエナジーを注入している第一信号系を切断しておいて、その間に第二信号系に第一信号系をくっつけて作っておいて、拮抗させるみたいな感じです。
書いてて自分でもわからん理屈ですが、まあそんな理論です。
今度大阪で研究会があるらしいので行ってみようと思います。


昼からは旨い蕎麦屋と寿司屋を招いて「配慮と工夫の匠に聴く」という変わった対談がありました。
セラピスト以外の職業人を招いて話を聞くというのは中々斬新な発想で、過去には陰陽師を呼んだこともあるらしいですが、そういうエキセントリックな所もこの学会の魅力なんだろうと思います。
しかし、両職人とも話す職人ではないので、美味しい写真をたくさん見せてもらいました。

あとは、ソーシャルワーク現場におけるブリーフサイコセラピー活用のコツという露天によってみたりしました。
内容は、要するにソーシャルワーク界隈では利用者への態度として愛とか真心がキーワードとして重要視されるレベルで、どうにもならないから、ソリューションで実地の戦略を伝えると良いんじゃないかな、って発表でした。
演者の1人である長沼先生の浴衣姿も相まって、ゆるゆるゆるな感じです。

そうこうしている内になぜか神村先生に捕まることになり、出版社の方と合わせて飲みに行くことに。
資料はまだできていないのに・・・と思いつつも、出版業界あるあるネタや心理業界裏話を話しながら、一次会で引き上げて、資料作成。スタッフにもアレコレ助言頂きました。

この「ケースをまとめて発表する」という行動は、ロートルになってくれば来るほどサボる傾向があるけど、それを辞めた時が臨床家として死ぬ時だと思うので、年に3,4本はまとめて出すようにしてます。

ケースをまとめる時にまずすることは、ケース発表の許可をくれたクライアントさんに再び電話をかけて、再び許可をとることです。
「カウンセリング終了時はそれなりに気分も良くてOKしちゃったけど、実際後から考えて後悔してる」なんてこともゼロではないでしょうし。
発表の同意というのは、常に撤回できるということが前提でないと、そもそも同意の意味を成しません。

ついでに、今どうしているか、カウンセリングってなんだったかなど感想をインタビューしてます。
既にセラピーが終わった人に連絡をとれる貴重な機会なので、いつもドキドキします。

それが終わったら資料に日毎の番号を振って、エクセルで毎回クライアントはどんな状態で、何がテーマで、どう介入して、どうアセスメントしたか、課題は何だったかをまとめていきます。
CBTは、200回とか面接するヘンテコ療法では全くないので、こういうのはしやすいです。

表からなんとなく中程度の戦略とか、大戦略が何だったのかをイイ感じの言葉にまとめて、使用されたケースフォーミュレーションを書いたり、戦略ごとにまとめたりします。

自分なりに発表で強調したい所は戦術的な記載を増やします。ト書きにしてみたり、アニメを入れてみたり。
で、結局のところ本発表の美味しいところ、つまり他の発表などにないユニークな点をクリアにまとめて、ディスカッションポイントを提示して、一応終了。
その後で、実はこんなことが言ってやりたいというリバーステーマを盛り込みます。

それが終わったら、知り合いの臨床家何人かに見せて、意見を聞いて、指摘してもらったことを全て取り入れて修正します。
可能なら余演することもしばしば。
どのみち自分では完全に客観的にもなれないし、フロアの聴衆の気持ちもなりきれないので、他人の意見ならなんでも歓迎。

それらが終わってから、デザインをします。でもあんまり時間が残っていないことがしばしば。本当はカッコイイ背景とかワンポイントの画像とか使いたいんだけど・・・。

これがケース報告のごく標準的なやり方だと思うんだけど、どうなんでしょう?



さて、そんなこんなで2日目の発表は朝一。朝一の発表はそんなに人が居ません。去年の発表は1日目1番目の発表だったのでガラガラだったけど、今回は2日目の朝一だから、去年の倍は人が居ました。
それでも、・・・プログラムが10本走っている内の一つてことは、なかなか裏番組が多い。

発表に先立って急遽座長になった豊田先生がいい感じにNot Knowing Positonで、私の発表の判り難い所を気づかせていただきました。感謝してます。

フロアにはブリーフの東豊先生とか、森俊夫先生とか、そうそうたるメンツで、緊張しておしっこチビリそうでしたが、CBTの岡嶋先生、神村先生を始め、仲いい中川さんとか長沼さんとか来ててくれたので頑張りました。
その甲斐あってそれなりにウケておりました。
ふう、一段落。


その後は、セラピストの部屋へようこそコーナー「俊夫の部屋」でインタビュアーとして登録していたので、それに参加しました。
事前に森先生に「何を訊こうと思っているの?」と訊かれて、全然想定していなかったので焦って、「・・・セラピーとは何か、みたいな」とかゴニョゴニョ言ってました。
しかし、前のインタビュアーが「セラピーってなんですか?」と全く同じことを聞いたので、頭を捻って「精神科疾患は実存か」という質問にしてみました。

森先生は「疾患はあるし、障害もある。障害は疾患からも、社会構成からもどちらからでも起こりえる」ということをおっしゃって、コレは非常に納得の行く回答に感じました。

要するに認知行動療法も含むサイコセラピーは、別に疾患を治しているわけではなく、障害を治しているんだと思う。
CBTでよく早々に良くなる人がいるけど、結局のところそれらの人は、既に疾患としては良くなっている(もしくは最初から疾患ではない)にもかかわらず、障害が残存している人だったに過ぎません。

ただ、ココロの困り事において障害のない疾患は稀であるし、障害と疾患は互いを悪く修飾し合うわけだから、疾患があったとしてそれには届かないにせよ、なおその方の障害を取り除いていくことによって悪化を防ぐことは最重要な事だと思う。

そうすれば障害が悪化させていた分の疾患は良くなると言えなくもない。

(続く)
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投稿者: 西川公平
2013-09-03 01:30

Comments

takashi on 2013/09/03 2013-09-03 02:58

>過去には陰陽師を呼んだこともあるらしいですが

いやいや、陰陽師を取り上げたシンポジウムをやったということで、陰陽師を呼んだわけではないよ。映画のワンシーンを流して、それをもとにディスカッション。

gestaltgeseltz on 2013/10/07 2013-10-07 10:09

おっと、取り上げただけなんだ。失礼

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