今日はスーパーバイズについて思うよしなしごとを書いてみようと思います。
まあ、どっちかといえば、スーパーバイザーに向いているわけでも、経験が多いわけでもないですが。
ていうより、今の日本にスーパーバイザーと名乗れるほどの人って、ほぼいないですけどね。私も含めて。
私自身は師匠というほどの人もおらず、個人SVというのをきちんと受けたこともなく、集団SVにてちょろちょろ事例を報告する程度なので、個人SVというとどーしていいかわからない所も正直あります。
しかし、大抵のSVに来られる方は、それ以前の問題で「CBTとは何か」良く判ってない状態で来られているので、まあそれなりに何とかなっています。
時々、「え?あなたはもうそれなりにできてるんじゃないの?」レベルの人がSV申し込んでくると、それなりにキアイが入ります。
また、「え?それでCBTのSV受けてたの?いったい誰に?」というパターンもある。大体スーパーバイザーの名前を訊くと、「あー・・・なるほど」となる。
戯言はさておき“「CBTとは何か」良く判ってない状態“を解消するために、本を読んだり、研修に出たりすることは、ほとんど意味がありません。まったく勘違いした状態で、勘違いを土台に知識を入れても、どこを訊くのかが分からないからです。一輪車に乗る時に、「一輪車の構造と機能」という本を熟読したからといって、永遠に乗れるようにはならない。
多少なりとも何とか理解するためにはどうすればいいかというと、それは取りも直さず「やってみる事」に尽きる。そうすれば何が分かっていないかが多少見えてくると思う。
自分なりに2,30回こけてみて、創意工夫をしつつどういうパターンでこけるか判ってきたところで、一輪車に乗れる人にアドバイスを受けたり、本を読んだりして、それなりに乗れるようになってくる。
それに付け加えて、できるだけたくさんケースをまとめて事例発表をすると、少しずつ技術が洗練されてくると思う。洗練されるというのは、自分が何をやっているのかがわかるという事だ。
「陪席する」という方法も、私はあまり経験が無いが、百聞は一見にしかずというから、それなりにいい方法かもしれない。それぞれの先生にそれぞれのCBTがあるから、自分に合ったスタイルなどを見つけられて、視野が広がるかもしれないし、何より患者さんに迷惑かけないのがいい。
そういや昔私の面接を十数回、50人ぐらいの患者さんについて陪席していた看護師さんがいたけど、陪席前に比べて「面接の構造や機能、面接中のこころのありよう、事後の処理など」について、形がつけられるようになってきていた様子だった。
心理面接という場面におけるこころの援助職員の信念やルールが各心理療法の派閥ごとにあり、その信念やルールを書き換える際にあらかじめCBTによる面接の信念やルールを明らかにしておいた方がいいのではないかとも思う。
CBTによる面接の信念やルール
・面接は時間の区切りを持って、構造的に執り行う
・面接中は治療のごく一部であり、治療の大半は患者さんが自宅で日常的に行う。そのため自宅で作業しやすいように課題を出す。
・患者さんと治療者は共通認識の下で治療を行う。もしずれていた場合はお互い誠意をもってすりあわせを図る
・良くなったか否かが判りやすいように、各種標準的なアセスメントや行動・思考・感情などの観察記録をとり続ける
・なるべく現時点で起こっている認知や行動を介入の軸に、その人の日常生活がより過ごしやすくなるよう介入する
・過去の出来事について、そこまで根掘り葉掘り訊くことに、当初時間を割かれ過ぎない
・・・うーん、「あたりまえ過ぎて書くほどの事ではない」という感じだけれど、意外や意外この辺で別の派閥の心理療法の人たちは最初結構引っかかる気がする。
結局このルールに従って、SVをしていくしかないんだろうなと思う。SVについてどこかで発表しないとなあ・・・
mitamura on 2012/04/20 2012-04-20 16:31
ところで,CBTの実践というのは「一輪車に乗ること」というよりも,「飛行機を操縦すること」の方がもっと近いんではないでしょうか?
飛行機を操縦するには,(あっちこっちのレバーを押したり,引いたり,ボタンを押したり,ハンドルを動かしたり)高度な技術が必要とされます。そういう意味では,飛行機の操縦もCBTの実践も経験だけで身に着けるのは難しいと思います。
本を読むだけでは不十分で,操縦席にきちっと乗って実践することは必須ですが,有能なパイロットは飛行機を安全に正しく操縦するための理論も抑えているはずです。
ちなみに私は,飛行機の操縦の実際についてはさっぱり知りませんが・・・。