2020/02/23: 【Family Based Treatment研修参加記 1日目】

今日から三日間Family Based Treatmentについて、ガッツリ習ってきたので、備忘録とか、感想とかを書いてみます。

現状走り書きなので、まとまっておらず、すこぶる長いです。

講師の言ったことと、通訳者の言ったことと、私の考えたことの区別が判り難いと思いますが、根本的には全部私の感想程度なものだと思ってください。
むしろ詳しくは、専門書を買って読んで下さい。
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会場のノートルダム女子大学に入ってわかった事は、「男子トイレが無い」という事です。
向かいの喫茶店のおっちゃんいわく、昔々はアメリカからシスターがいっぱい来てて、門をくぐったら英語しか喋るな、みたいな厳しさで有名だったらしい。
「実践的な英語を学ぶならノートルダム女子!」と定評があったそうな。

さて、Family Based TreatmentはJ. LockおよびD. LeGrangeによって2000年始めにマニュアルが開発された、児童思春期の摂食障害のための家族療法です。数多くの研究エビデンスに基づき、欧米各国の専門団体のガイドラインにおいて子ども・思春期の神経性やせ症治療の第一選択肢として推奨されています。by資料

要するに、神経性やせ症の治療においては、認知行動療法よりも、このFamily Based Treatmentの方が、エビデンスとして良いということなのです。
(そもそもCBTは神経性やせ症の治療成績がそんなにパッとしない)
そんな訳で、前から勉強したいと熱望していたので、ついに夢が叶いました。

事務局から、コロナウイルス対策についてアナウンス。
換気するよ、ドアも窓も開けっ放し。
席は、離れているよ。
マスクはしてね。持ってない人は前においてるよ。
アルコールジェルあるよ。
お茶は無し。お菓子は個包装だよ。
グループディスカッションはなくしたよ。
マイクも差し出して持たないよ

などと、親切に述べられる。
マスクしない派で、すんません。

オーストラリアはメルボルンで、思春期の摂食障害を専門とするCP&PSWとCPの二人で300万ドルの寄付金を元に作られたプログラムらしい。
1000人以上の摂食障害のクライアントに使用されて、国際的には11のエビデンスがある。

Family Based Treatmentは病歴3年未満,及び年齢19歳未満の若いAN患者に最適な治療。若ければ若いほど、発症から時間が経ってなければないほど、治療成績が良い。
非定形ANにも用いられる。過食症などにも用いられる。

講師いわく、非定形ANは見た目普通で、これまで見つけられてなかった。高い体重から一気に体重が減る。考え方、ボディーイメージ、摂食恐怖などはANと一緒。
ただ、現在の体重は一緒。でも、一気に体重減少しているので、医療的な問題は多い。放置するとANになるので、そうならない内に介入するのが大事だとか。

でも、フロアの小児科医から「日本ではそういうのは非定形ANとは言わない」という物言いが出た。まあ、別に日本じゃなくともDSM5的にはそりゃそうだ。大うつ病小うつ病ならわかるけど、定形に満たないものを非定形とは呼ばない。講師の言っているのは単にクライテリアを十分満たさないANだろう。

さてFBTそのものは外来治療を目的としたマニュアルで、今日本語に翻訳されている最中らしい。
BN用のマニュアルもある(未翻訳)

FBTの原型はモーズレイ病院の家族療法。そこで学んだダニエル?がアメリカでマニュ洗頭したのが発端。
マニュアル化で、その後の研究や検証が一気に広がった。

重症度や強迫性とも関係していて、より重症な患者さんほど、よりFBTが有効であるということが分かっている。

小児科医がチームに入って、子供の正確な体重を始め、血圧、心拍、その他バイオロジカルな測定を行い、バイオロジカルに必要な目標体重帯を定める。
帯というのは、思春期でもあって、成長曲線に応じて多少ずれがあるから。
しかし小児科医は、家族や本人にそれらを伝えず、FBTセラピストにのみ伝える。
飲水や嘔吐などで仮初の体重増加が想定される場合も、FBTセラピストから小児科医に通告があり、それが事実バイオロジックに起こっているかを調べるのは小児科医の仕事。

ターゲットとすべき体重領域は、小児科からFBTセラピストに伝えられるが、本人や家族にはふんわりとしか伝えられない。

一方でFBTセッション内でも着衣のまま体重がはかられ、その体重が治療で用いられる。

そのような厳密な体重と、セラピールームでの体重のギャップも考慮される。
体重を”水増し”したクライアントが体重測定後に「トイレ行っていいですか?」と言ってきたら、トイレ後に体重測定し直す。

じゃあ精神科医の仕事って、何なの?となると、それは、不安症やその他に関するマネージメントのために要る。ときにはそちらをターゲットとした投薬治療も行う。(おそらくバイオロジカルなマネージメントは行わない)
食べる前にパニックを起こすクライアントに少量(12.5mg以下)のオランザピンを出してもらうこともある。

精神科的な併存疾患(例えばOCDとか)があるか、それらに投薬が必要かどうかも含めて、精神科医の判断。OCDがある場合、多くはクエチアピンが使われる。
オランザピンは2.5mgぐらいから初めて、様子見ながらドーズを上げていったりする。
家族や本人には「この薬は治療のためではなく、食事への不安を和らげるため」と説明している。

OCDあるならSRI生きそうなもんだけど、ピン系は食欲増加甚だしいからかな、、、、とか思った。

オーストラリアでは、心拍50以下、立位座位の血圧差や、血液検査の結果も入院の対象になる。
入院は平均13日で身体的安全が確保され次第、すぐに退院となる。
入院はあくまでリフィーディング症候群に気をつけながら最低限の再栄養をするためだけのもので、なんらANの治療ではない。

FBTの肝は「両親が、一貫して同じメッセージを子供に伝える」ことにあるので、そのような両親を支えるためにも、「専門家(小児科医、栄養指導員、精神科医、FBTst)が、一貫して同じメッセージを両親に伝える」必要がある。
スプリッティングが起こらないようにする。しかしそれには時間がかかる。

「両親が子供の看護師であるかのように、再栄養を手伝ってもらう」というのがFBTの肝
両親が自分たちの権威を使って、子供の再栄養に取り組んでいく。それも嘘のない直接的なコミュニケーションを用いる。

そのような家族関係の構造的な変化を起こすことANを打破するのがFBTだ。
セラピストは家族の指導者ではなく、家族に問いかける形で示唆するポジションを取る。

1,FBTではANの原因は「判らない」という立場を取る。とりわけ「家族のせい」にはしない。
子供のために親が行動を起こすことをためらわせるような罪悪感や自責感から、解放することをめざす。
一方で子供の摂食・体重の回復の責任は親が負う。

FBTでは両親にかなりインテンシブにやってもらう治療だから、両親の罪悪感・自責感を十分に取り除いて置かないと、「また私が子供を傷つけてしまった」などと罪悪感や恐怖感を抱いてしまう。それゆえANが誰のせいという立場を取らないようにする。

FBTでは、クライエント本人には、病識や洞察などは「無いもの」として考える。そこが病気によって侵されているので、本人の理解をターゲットとして治療はしない。

FBTでは「家族こそがANを克服し、子供を健康に戻すためのスキルと資源を有している」とみなしている。
そこには、家族のことを治療者として「病的に楽観主義」で思ってかないといけない。そうでないと、家族との信頼関係が築けない。

両親が離婚していても、なんならそれぞれが再婚していても、なお、両親が結託・連携して本人に再栄養を迫っていく。
そうでないと、父方に行ったときと、母方に行ったときで、対応が異なってしまう。

とにかくは、子供が再び食べられるようになるためだけに、「体重回復を妨げる、家族の構造的要素」にのみ介入する。
父親(実質)不在の家庭において、どのように両親の協力を得ていくかは、日本特有の課題かもしれない

FBTでは「思春期のAN患者は、自分の力でANをコントロールする力を殆ど持っていない」とみなす。
ANを外在化して本人と切り離した上で、両親が外在化を通じて子供ではなく病気に対して毅然とした態度で取り組んでいく。

FBTでは、とてもインテンシブなことを家族にやってもらいながら、一方で、非指示的立場をとる。
つまり、両親が再栄養をどのように行うべきかについては、指示を出さない。
治療者は、両親にただ問うだけである。その質問に導き出されて、
両親は子供の健康を回復するための最適な選択できる。

家族のレベルなどによっては、「他の家族ではこんなことしてみてうまくいったみたいですけれど、そういった実践はあなたの家族では役に立ちそうですか?」などと促すことぐらいはある。

FBT外来では週に500g増加するようなペースでインテンシブな治療がなされる。FBT入院プログラムでは週に1.5kg増やすレベルで、しかも20分で食べ切らなければ経管で入れられる。リフィーディングシンドロームに留意して。
かなりタフにやっていく。

病院がタフにガンガンやることで、「家族に対してタフにガンガンしても良いんだよ」というメッセージを伝えることができる。本人にも「全然回避する方法はない」ということを分かってもらえる。

そして、ANであることが、あらゆる環境において「とっても居心地が悪い」ように整えていく。
そのような環境調整を行って、クライエントが「もうそれだったら食べたほうが良い」と思えるまでガンガンやる。

両親がハッキリと「病気と戦う」という態度を示し続けることは、結局の所子供の抱く恐怖や不安を軽減してくれる。
専門家がはっきりした態度を取ることも、両親の不安を軽減してくれる。
何時間でも食べるまで、粘り続けてもらう。

治療が終わった後、回復した全てのANの子は、「あんなことされて嫌だった」とは言わない。
「あの時両親に助けてもらった」という。
両親が覚悟を決めてガッチリ守ってくれる。病気から回復させてくれる。という安心感が、本人の恐怖を和らげてくれる。

ここで、質疑応答。

両親連合はミニューチンから、ソクラテスの質問は認知療法から、ANを逃さないシフトを引くのはゼロ・トレランスからそれぞれきているっぽいよね、と質問してみたら、まあそうだよと言われた。

特に、戦略派とか、ナラティブとか、あのへんの家族療法の系譜も受け継いでいるんだよ、みたいなことも言ってはった。

「家庭で家族がガッツリ行動制限かけるって事なの?」と聞いてみたら、「違う」と。
何が違うって、「説明が違う」と。

説明だけ違ってもなぁ、、、

まあでも、ANの子らは正の強化よりは負の強化で動くから、そういったセッティングは大事、みたいな雰囲気の説明をされる。この辺は、通訳者が行動療法詳しくなさそうで、これ以上のディスカッションは無理かもしれない。

まあでも、午前中の話によると、親は親で暴露し、子は子で暴露する、それぞれのセッティングを整えるって話かもしれない。

いずれにせよ、FBTはCBT使いにとっては、とても馴染む治療法だと思うな。

雰囲気だけど、「食べるか、食べないか」という選択の余地がなく、「食べるしかない」という状況に持っていかれて初めて、逆に子供は安心して、自分の摂食行動に無責任に、食べることができるのかも知れないなと思った。


そんなところで、お昼休憩。近くの中華でランチを食う。
昼を食いながら、おさらいがてら考えた。
「親の行動を盛り上げていく」というのは分かるものの、子供のドロップアウトをどうにかするためには、どういった工夫をしているんだろうか?
行動制限や好子の遮断化かと思いきや、それがメインでもなさそうだし。その辺りが家族療法をうまく使っている所以なんだろうか?
うーん、もうちょっと話を聞いてみないとわからないな。

さて午後が始まった。
FBTには三段階の治療がある。家族段階、本人段階、再発防止段階だ。

第1段階の家族段階は「親が体重回復の責任を担う」。最初の10週間で12回のセッションが行われる。
1回目・2回目は間なしに行われ、2回目から「ミールセッション」、すなわち食べ物を持ってきて、家族が一緒に食事をするin vivoセッションがスタートする。
この間は、全ての摂食が親の管理下のもとで行われる。食事を選ぶとか、カロリーを選ぶとか、そういう権利は本人にない。(そういったチョイスが正常にできる状態にないものとみなされている)。
したがって、とにかく第1段階は親のエンパワーメントに終始する段階らしい。

ANに対して、全20回で治療を終了させる、インテンシブな治療。
長くかければかけるほど、両親のバーンアウトの危険性が高まる。両親がANである現状を受け入れてしまう。病気が問題だと思わなくなってしまう。

そうすると親は子供の病気を「治そう」と思わず、「ちょっとは食べてるし、生命の危機でもないし、まあいいか。この子は一生こんな感じなんだ」と親が諦めて適応してしまう。
そうなると、「治る」「病気のなかった思春期への復帰」を諦めてしまう。

だから、親にも「FBTは短距離走なんです」と説明しているらしい。

オーストラリアでは、三食を食べ、三回間食をするのが正常な摂食なので、それを目指すことになる。
ここには文化差があるが、摂食回数が多いことによって、一回の摂食量は減るので、その点は楽だったりもする。
日本の食事文化にどう入れていくのかは、今後の課題。

親に対するに三時間ぐらいのセッションで、子供に食べさせようとする時の、子供の逆上や抵抗、回避などについて心理教育がなされ、ANで起こる一般的な体重を減らすための過剰な運動、子供が体重をごまかすためどんなことをしでかすのかについても心理教育を行われる。

第一段階は、三食の食事と三度の間食その全てを親の管理管轄下において行う。必要体重の90%まで回復すれば、第2段階。
このコストが凄いなと思う。

両親の不安が低い(危機感が低い)ときは、不安を煽りながらやっていく。逆に不安が高い(危機感が高い)ときは、不安を下げ安心させながらセラピーをやっていく。

家族全体にとって、ANという病気がどのように影響を与えているのか、家族メンバーそれぞれに聞いていく。
家族内に円環的な質問を行いながら繋がりや力関係をアセスメントしてい

円環的な質問というのは、
「お父さんに**と聞いたら、なんて答えると思いますか?」
とお母さんに聞いたり、
「**というお兄さんの答えを聞いて、どう思いましたか?」
とお父さんに聞いたりすることで、家族成因同士がどのようにお互いを理解しているか、どう思っているかアセスメントを行う。

それは家族のお互いに対する関係性や理解度合いのアセスメントのためにするのであって、治療のためではない。一方で偶然「あなたそんな事を考えていたの?!」という新たな発見があることもあるが、それは目的そのものではない。

一通りのアセスメントが終わったら、「ANについてどの程度知ってますか?」という質問を家族全員に行っていくで、家族の中に緊迫感を作っていく。
専門家からの裁定として「ANとは、・・・」と、リスクについてガッツリ喋っていく。

まあ、その辺は、ごく普通の「摂食障害がもたらす害」のお話をする。話をしながら、親にも感想を聞いていく。つまり危機感を煽っていく。
そして、本人の「危機感の無さ」そのもの「ANに乗っ取られたことから来ている症状」として、「できるだけ早く自分を取り戻そう」と持っていく。
この、取り戻すというのは、本来病気でなければ味わえているはずの普通の思春期の生活そのもので、ANを寛解させることを前提としている。おお、勇ましい。ANと気長に付き合っていきましょう、などという発想はFBTにはないのだ。

しかしこの辺りのやりとりの下りは、OCDの家族巻き込みや引きこもりなんかの心理教育にもいくらか似ていて、面白いな。あたかもエクソシストみたいで、色々含蓄が深い。

クライアントの内どれぐらいが「病気に乗っ取られているのか」について、家族それぞれに聞いていく。何割ぐらい健康な元の本人が残っているか聴く。そういった問いかけで、外在化を進めていく。前はできてたけど、今できてない事とかを具体的に明らかにしている。最後に本人にも聴く。

クライアントが「私はヴィーガンだから!」とか述べても、「それもANの影響だから、食事をマネージメントすることに関して、クライアントの選択は受け入れない」ということを宣言する。
全ての問題を解決する唯一の薬は、「食べること」だ。入院も薬も関係ない。「食べる」だけだ。と押す。

父親が「わたしと食事をするのは娘が嫌がるから、いないほうが良いですか?」などと聞いてきても、あくまで娘からANを外在化した上で「ANという病気が嫌がるようなこと、例えば両親と同席しての食事などは、ぜひやってほしい。なぜならクライアントさんは病気と戦う力を現状持っていないからだ」と、父親を励ますらしい。

次のミール(家族同席食事の)セッションにおいて、ピクニックみたいな感じで、家族全員が食べるものを持ってきてと頼む。

大事なことは、両親に「自分たちがやらないといけないことなんだ。自分たちにはできるんだ」と思ってもらうこと。その関わりのシフトチェンジが行われることが、第一回目で一番重要。
それら全部を50分で、か。・・・まあまあむずいな。90分ぐらい取りたい所なんだけど、甘えやな。

あ、でも、3時間ぐらいの親教育セッションがぶっ込まれてからの、2回目「ここで一緒に食べましょう」セッションが実際は行われるらしいですが。

しかも、FBTを始める前に、既に病院(小児科・精神科)にはかかっていて、丸一日かけてあらゆる検査、アセスメントを受けて、FBTについても説明を受けて、家庭としてFBT受け入れている状態で、セッションがスタートしている。
別の言い方をすれば、オーストラリア的にはもう治療の選択肢はない状態でスタートしている。

オーストラリアの医療システムの中では、ANに対してFBTがファーストチョイスで、唯一の選択肢で、パブリックに提供される。
オーストラリアの精神科医療では医療従事者がFBTを強く支持しているらしい。ANに対してFBTを導入してから、ANの入院率も、再入院率も半減したという実績がある。

正味、日本の精神科医療でFBTを強く支持する基盤は、ほぼ無いで。というよりエビデンスに基づいて医療する基盤すら無いで。摂食障害学会もあんなやし・・・。いや、最近は知らんのやけど。とか思った。

FBTを日本で今やっている人の意見としては、診断と重症度が判定された後、「体重を回復させるために家族療法でやりますか?入院でやりますか?」と聞くが、前者を選ぶのは、家族機能がそもそも良いから、ではでは、それで、とFBTを心理士に任せていく。
後者の場合は、入院で整えてから、退院前からミールセッションを入れていくことで、退院後につなぐ。

あるいは、外来で、毎回体重を計測しながら、本人が「自分で頑張るからFBTはしない」というのにいったん乗ったふりをしつつ、結局の所体重増えてないしFBTするしかないよね、というところにナチュラルに誘導してく形もあるらしい。

FBTやってく上での、困難、直面する問題など。
FBTはインテンシブな治療法だけあって、まあスーッと簡単に行くわけではない。実際、色々難しくもある。
例えば、第一セッションにすら来ない。車から降りない。トイレに閉じこもる。待合で騒ぐ。なんかは全然ある話だ。
しかし、一貫して治療者は「眼の前に要るのは、とても怯えた/混乱した人なのだ」とみなすのが大事だ。

車から降りなければ、迎えに行けば良いわけだし。
車に籠城されたことは沢山あるけれど、車から出てこなかったケースはない。
まあ、それは、「より悪い結果(病院で更にインテンシブな治療を受けること)」を示して比較して選んでもらうからってのもある。
FBTより、治療より、何より大事なことは「命を守る」ということなので、そのリスクについては常に気遣う。
「こんなことやるぐらいなら、死ぬほうがマシ!」と言われた時も、不安から言ってるのか、希死念慮があるのか、きちんと査定する必要がある。

なにより治療者自身がANを怖がっていないと毅然と示す必要がある。
治療者は毅然と、自傷他害を禁止し、物を壊したり万引したりしてはいけないと告げる。
両親にも決して無理やり押さえつけたり、口に食べ物を突っ込んだり、怒りを爆発させたり意地悪したりそういうことをしてはいけないと伝えていく。
FBTの治療者は、結構きっぱりしているみたいだ。

実際の所6割ぐらいのANは併存した疾患や自傷行為を持っている。
問題が長引けば長引くほど自傷などは多くなってくるので、自傷があるからといって、FBTをしないということはない。
通常の自傷に対する環境調整などは家族とともに考えてもらう。
そして、FBTが終了し、低体重、食べない、食べさせられない問題が全て片付いた後も、残存する問題を解決するために、別のセラピーを受けるということはままある。

そこはまあ、それで良いのだと思う。とにかく低体重&拒食だと、あらゆるセラピーを受け付けないわけだから、その植物機能をまず持って回復させていく必要性は大きいと感じた。

儀式的な摂食がある場合(たくさん噛むとか、一定噛まないと飲めないとか、チューイングの一部とか)がある場合は、精神科医に強迫症について査定してもらう。
いずれにせよ、時間がかかりすぎる場合は、望ましい時間になるまで、段階的に目標設定して取り組む。

治療者に対する敵対的な態度については、多く見られることだけれど、病気が長すぎるとすごく抵抗も強くなってしまう。
ミールセッションでどうにもならない時、それは一旦入院になるが、その「どうにもならなさ」を家族を含むチームで共有することが、とても治療上有益になる。

セラピストが両親の苦悩を分かち合える存在としていられるためにも、共に食べるセッションは重要
なんなら、親からしても「やっとこの子に食べさすということがいかに困難を実際分かってもらえた!」と感謝してくることさえある。
治療者の前でも、変わらずそのように摂食に拒否的であったことが、返って親としては嬉しいらしい。

文化的にも、宗教的にも、食事というのは本当に色々特徴があり、実際それらは家族とともに食べるミールセションを通じてしか、想像が及ばない場合もある。
それらを実際観てアセスメントしておくことはとても重要なこと。

家族全員が、ANという病気がどのようなものか、どれぐらい強いかをまざまざと見せつけられるように、ミールセションを通じてむしろ病気が出てくるように誘導したりして、一層家族の介入が必要だね、という風に持っていく。
そうして最終的に、家族が勇気を持てるように持っていくのがミールセションの目標の一つだ。

両親が「病院で治療してくれますよね」「お薬飲めばなんとかなりますよね」「入院したら良いんですよね」みたいな、他人事として捉えている限り、AN治療は全然うまくいかない。
両親がこれは「まさに親としてのわたしの仕事なのだ」、「私達が食べさせないといけないのだ」として捉えられるように計らわないといけない。
一般的な言い方をすれば、「親の肝を座らせる治療」みたいな感じだろうか。

さてここからは、ミールセッションの動画を見せてもらう。

動画を見た感想としては、
・「食べる」というむっちゃ怖いことを試みる本人を支えて励ます両親
・「食べさせる」というむっちゃ怖いことを試みる両親を支える治療者
という二重構造の曝露反応妨害法に見える。

なにか質問は?と言われたので、そう聞いてみたら「That's Right!」みたいな感じで言ってた。これはエクスポージャーセラピーなのだ。もっと言えばフラッディングに属するものなのだ!と強く同意された。

行動療法から観たら、本人の拒絶は即時の罰として両親の食べさせる行動を減弱させる訳だから、そういった随伴性に鈍くなるために、親がFBTというルール支配行動に一旦身を委ねてるんだろう。
それで、親がブレなくなると、子供もほんの少し安心して摂食できるようになる、みたいな。

親は食事を優しくコーチングし、忍耐強く待ち、励まし、乖離したらこの場に引き戻し、ずっと摂食プロンプトを出し続ける。
そして、自分の働きかけで子供が食べてくれることが、親の「食べさせる」という行動にとって何よりの強化子になる。

そこには、無理強いはない。口に食べ物を突っ込むことはない。
「頑張って!」「もう一口!」などと本人を勇気づけて、コンテインしていくというのがFBTだ。
それを入院中からやっていくことは、退院後もスムーズに摂食量が増えていく。

家族のHighEEがある場合などで、FBTが難しいことがある。あるいは家族が本人に対して虐待的な場合や支配的な場合も、FBTは一層支配を深めてしまって却ってやりにくい。
そういった場合は、本人と家族を別々に取り扱うことになる。

ただ病院で本人を治療しても、家族側のエクスポージャーがなされていないと、結局うまくいかないので、入院治療はANに対して有効ではない。

両親の文化レベル、知識、人種に関わらず、「両親こそが、子供を一番愛している。一番関われる」ということに立脚している限り、FBTが通用する。
「お子さんに良くなって欲しいからこそ、ここに来ているんですよね」とそこを度々確認し、強調していく。

「親が我が子を助けたい」という気持ちを遺憾なく発揮できるために、不安や罪悪感を取り除いてやる。そうして子供の不安をコンテインできるようにするというのが、シンプルなFBTの理論。
そのために、親の不安をコンテインするのが治療者の仕事。

RCTの都合上では、低年齢とか、BMIとか、インクルード条件があったけれど、現実臨床でFBTをしていく上では、身体的に安定していることだけが条件で、BMIとか、年齢とかの条件は存在しない。
低体重であれば、第一段階のセッション数・期間が増えるだけの話。

そんな訳で1日目が終わった。
いやはや念願の初Family Based Treatmentだわ。
まさしく家族療法と認知行動療法のハイブリッドで、楽しかった。

もっともっと日本に広まれば良いのに、と思うな。

コレが邦訳されてるFBTの本らしい。
後ろに置いてたし、また明日にでも買おう。

2日目の感想に続く
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投稿者: 西川公平
2020-02-23 20:43
カテゴリー: 様々な困りごと

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