2007/06/14: 【不安・抑うつ】認知行動療法 3【自己治療】について その6

2ちゃんねるの認知行動療法関連スレについてあれこれつぶやく。現在376〜446まで .

Q31
私は、人から明らかに不当に傷つけられても「自分が悪かったのかも…」と自分のせいにしてしまい、怒りが沸いてこないんだけど、それは自分の価値を低くしていることにつながるってカウンセラーに言われた。やっぱり必要なのはバランス感覚なのかな。

A31,
原因帰属のバランスがとれていないのではないでしょうか?自然科学的な意味での「原因⇒結果」というのは人間の社会活動にはほとんどありません。むしろ「結果⇒原因帰属」が行われています。この原因帰属をあまりに自分に偏らせると自らへの怒りが、反対に他人に偏らせると他人への怒りがわいてきます。帰属のバランスを取るようにしてください。

Q32,自分は人の行動にムッとすることは結構あるのに、「それは怒ってイイコトなのか」「自分にも非があるんじゃないか」っていうのを考えすぎて怒れなくなる。仕事である責任者をしてたんだけど、人を注意できないこともあって、だんだん部下に舐められるようになってドツボにはまって、仕事辞職した…。自分の感情にも判断にも自信がなくて、人の言い分ばかり受け入れてしまう…。
A32,仕事を辞職したくて注意をためらっているわけではないと思います。短期的な不快感(注意による)と、長期的な不快感(辞職による)の両方が、毎回の対人場面にかかってきている事を思って、一度注意すること/しないことのメリットデメリットを考えてみるのが良いと思います。おそらく注意することのデメリットと注意しないことのメリットに意識が向きがちなので、それではないマスを埋めるようにしてみましょう。

Q33,認知療法っていうのは本当はできているのに認知が歪んでしまっている時に有効なのであって、歪んでいるように見えてもそれが現実と一致しているなら治しようがないっていうことですね。合理的な思考が甘えに思えてしまうほど自分ができてないってことを認めるのはとても辛いです。もうどうしようもないんでしょうか?
A33,現実と一致した認知とは、ちょうど「状況」欄に書き込まれるものであって、「テーブルの上にコップが置いてある」とか「上司と会話した」とかです。それは治しようがありません。しかし「上司との会話をどのように受け止めたか」については解釈が入っており、現実との一致はとても怪しいもので、どんなやり方でも解釈することは可能です。

Q34,私は心が弱いので、自分に何でもかんでも都合良く解釈してしまいそうで恐いのです。
それに、例えば思考訓練を積んでみても、その場でのド鬱防止には良いみたいなんですが、「心からわかった」事以外は結局身に付かないような気がしています。
A34,現実的に言って自分の考えと裏腹に「都合よく解釈する」ことで気分を変えることは不可能です。どちらかと言えば「悲しみ80」が「悲しみ50」に変化するぐらいなものです。感情そのものが喜びに変わるような解釈はほぼできません。しかし「悲しみ100⇒120⇒150」にどんどん深めてしまうような悪化は防げるので、結果的にずいぶん楽になるかもしれません。「心からわかった」というようなスキーマの変化を起こす方法が掴めるといいですね。

Q35,認知療法とは自分の心の中に弁護士を置くようなモノだと思う。「事実」を基に状況を見直し、自動思考と言う理不尽な「告訴」に対抗するため合理的思考と云う「弁護」を行う、と言った感じ。「事実」に基づく内容なら被告側(つまり自分)の「勝訴」。イヤな気分や抑うつ状態を打ち消すことが出来るし、「事実」に基づかない内容なら「敗訴」。その考えは認知ではなく「ご都合主義」と考える。当然その判決は「納得する」と云う形で自分と言う裁判官が下す。そして認知された合理的思考は、その後の気持ちの判例集となるワケです。
A35,認知療法では基本的にほぼ「和解」によって決着します。つまり告訴と弁護の妥協案を見出して、仲を取り持つのが合理的思考です。なぜなら「自動思考が湧いたこと」そのものが事実だからです。「自分はそう考えた」という事実を無視する形で理論的な再構築を行っても、あまり気分が変化しません。
このエントリーをはてなブックマークに追加
投稿者: 西川公平
2007-06-14 17:37
カテゴリー: 2ちゃんねる

Comments

コメントはまだありません。

Add Comment

TrackBack

トラックバック

トラックバッックはありません。