06/13: 社会不安障害③

何回か社会不安傷害について書いているが、読み返してみて何の意味も無い事を書いてる気もする。
今回も意味が在るのか不明な話。

今回は治療後に発生するSAD/GADの話。

パニック障害とか、強迫性障害とか、症状がアクティブかつ激しい感じの不安障害の人が、パッシブかつ地味な社会不安障害や全般性不安障害を併発している事がある。
とりあえずはアクティブな症状をターゲットに当てて治療していくわけだけど、治療があらかた済んだ所で出てくるのが社会不安障害や全般性不安障害だったりする。
ありていに言えば「パニック障害による引きこもりで、パニック障害を治療したら、ただの引きこもりになりました」みたいな感じ。

もちろん併発していない人もいて、そういう人は「やれやれだいぶ治ったし、そろそろ働くか」などと、自分の方向に進んでいく。

ここで選択肢があらわれて、ここからは社会参画していくべく、「①CBTのテクニックを駆使して関わっていく」という方法と、「②ケースワーカーさんにお任せする」という方法と、「③後は自分で何とかしてねと治療終了する」方法がある。
①は、できない事では無いんだけど、すべき事なのかいつも迷う。治療中毒ならガチガチにアクションプラン立てたり、社会に対する認知の歪みを摘発したりと大忙しなんだろうけど、・・・微妙。治療者というのはそんなにも対象者からコントロールを剥奪しても良いものなのか、よく判らない。

②は、そんなケースワーカーさんが見つからないこともあって、困ってます。産業ケースワーカーの出現が待たれるところ。いっそ次に雇うのはカウンセラじゃなくてケースワーカーにしようかと思ったり、思わなかったり。

③は、併発して無い場合はブースターセッションは設けるにせよ、基本的に終了。あるいは①と見せかけて、緩やかに見守るだけで何もせず、という来談者中心療法風やり方でもいいかなと思う。あるいは社会参加の動機とか、リソースとか、具体的ではない周辺のところをごにょごにょ扱いつつしているのも良いかも知れない。

なぜアクティブな不安症状を取ることには熱心なのに、パッシブな不安症状を扱う事に消極的なんだろうか、自分で考えてみた。
1つには「パニック発作があるより無い方がイイ」に比べて、「働かないより働いた方がイイ」の方がゆるいからだと思う。
また職業選択など基本的に本人の意志に関わったり、人生に関わったり、タームが大きい事柄を扱う事に関してCBTは不得手なんだと思う。もちろん出現する個々の不安に対応する事は得意なんだけど、特に大きな流れにおいて、全体は部分の集合ではない。
人生や運命の指南は、CBTの範囲外かなと思う。占いとかはそういうのが大得意ですが

あとは、「CBTの治療者はある時点での一過性の関わりを持ちこそすれ、全人生的な関わりをするべきではない」と私が思っている。本人さんが自主的にCBT風に生きて行くのは別に悪い事では無いと思うが、CBTの治療者と人生を共にするというのはいささかどうかなと思う。
まあ、開業的にはその方がもうかるんでしょうけど、性に合わないですね。

病院に勤めている事もあって、CBT終了後もしばしば服薬を続けるヒトのその後のカルテを覗き見る事が可能だ。
あらかたパニックが取れた、強迫症状が取れたという人たちのその後は、しばらく迷ったりしながら、結局それなりに就職したり、主婦になったり、色々だ。多少の不安はありつつも、まあ何とか人生送っているという感じに見える。
それを見ると、ひしひしと「ああ、邪魔をしなくて済んだ」と感じている。
投稿者: 西川公平
2007-06-13 13:58
カテゴリー: 社会不安障害

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