2010/03/29: 認知行動療法・論理療法 4について その3

2ちゃんねるの認知行動療法関連スレについてあれこれつぶやく。現在308〜360まで。

ちなみに過去ログは「2ちゃんねる 認知療法スレッド 過去ログ保管庫 “Cognosco”」さんを参考にさせてもらってます。
いつもありがとう


Q11,
自己批判的→自己擁護的(短文)→反論(でも〜じゃないか)→自己擁護的(短文)って、
もう死にたい→死にたいけど生きたほうがいいかも→でも病気は治らない→いつか治るかも→いつかじゃだめだ、死にたい→そうだな・・・・・・難しい。
A11,
自己擁護は難しいです。「死にたいけど生きた方がいいかも」はアドバイスであって自己擁護ではありません。「〜した方が良い」という形になるものは、大体アドバイスです。「いつか治るかも」も「いつか治ると考えた方がいいよ」というアドバイスみたいなもんです。
「もう死にたい」にあてる自己擁護はなかなか難しいですが、例えば書かれた人の死ぬ目的が”楽になる”事なのであれば、「苦しい時に楽になりたいと考えるのは誰でもそうだよ」みたいなのが擁護かもしれませんね。


Q12,
メリット、デメリットを書いても、「それは分かってるんだけど、ん〜できない」と行動につながらないです。そして、「あ〜、自分ダメだ〜」と思いがちです。
そういう時は、「今日はできない日だから、やらない!」とキッパリあきらめるようにしてます。「結論はでた。はい終わり。」と、その日はもうそれ以上、そのことは考えない。
できる時はちゃんとできるし、100%いつもできないわけじゃないから。
A12,
人はできなかった行動そのものに悩むのではなく、行動できない自分至らなさや原因やその他もろもろ、行動できない事に付随して出てくるあれやこれやの考えに悩む事の方が時間も長いし苦しさも多いので、それで良いと思います。

Q13,
自分への歪んだ自己評価とかって、最終的に自分のためにならないんだけど、きっと最初は防衛的なもので、メリットもあったところからはじまってて、それを取り去ることに恐怖があるのかもしれない。
A13,
その可能性はあります。長期的にはためにならない事が明らかでも、短期的には現実を回避できるという事が、ごちゃごちゃ考えるメリットかもしれません。

Q14,
→そこにいるだけでいいという証明が欲しい。それがなければ自分が生きていていいと思えない。
この続きお願いします。
A14,
→そこでいるだけでいいという証明も、そこでいるだけではダメだという証明も、生きていてもイイという証拠も、生きていてはいけないという証拠もない不確かな世の中で、しかしもがく事だけが生きている証拠である。
・・・上手くないですね。まだCogito ergo sumの方がましか・・・。
おそらく「問う事も、問いに答える事も、どちらも悪循環にはまる」の構図と思う。
ちなみにゴールはその問いに上手に答えられるようになる事ではなく、証明があろうが無かろうが、生きていてもイイか悪いか、どっちでもよくなる事です。というか、そのあたりについてあまり考えなくなる事です。

Q15,
認知療法でやった合理的思考をすぐ忘れてしまうんだけどみんなどうしてるの?
何か同じ事ばかりやっている気がしてくる
A15,
大体のところ、みんなすぐ忘れて、同じ事ばっかりやってます。「あ、同じ事ばっかりやっているな」と気づくのがいわゆる一つのメタ認知です。
しかし同じ事やっているように見えて、合理的思考が出てくるのが早くなったり、嫌な気分を引きずらなくなったり、コラム書くのが早くなったり、・・・などと、徐々に熟達していっていると思います。
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投稿者: 西川公平
2010-03-29 00:48
カテゴリー: 2ちゃんねる

Comments

takashi on 2010/03/30 2010-03-30 12:25

Q14,
→そこにいるだけでいいという証明が欲しい。それがなければ自分が生きていていいと思えない。この続きお願いします。
「そこにいるだけでいいという証明がほしい。それがなければ自分が生きていていいと思えない」と考えることが、生きるということである。

「自分が生きていいと思えれば、“そこにいるだけでいい証明”となる」

やや強引か。

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