2009/11/09: 認知行動療法・論理療法 4について その2

2ちゃんねるの認知行動療法関連スレについてあれこれつぶやく。現在168〜273まで。

ちなみに過去ログは「2ちゃんねる 認知療法スレッド 過去ログ保管庫 “Cognosco”」さんを参考にさせてもらってます。ありがとう
http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/

Q6,認知療法で元気がついたら次は行動療法で行動することで嫌なこともある程度乗り越えられると思う。
A6,そういった向きの改善はありえますが、同じかそれ以上にたくさん行動療法で元気がついたから認知療法で嫌な事を乗り越える事が出来るという方向の改善もあります。ちなみに重症度合いが高いほど行動療法の適応が良くなります。

Q7,私は初めて「認知の歪み」を読んだ時、納得したというか「あるあるあるある〜!」みたいな感じたったのですが、あれを読んで鬱になってしまうというのは、どういう感じなのですか?批判されてるような感覚になってしまうのかな…、それとも、私はこのリストに当てはまるからダメなんだ…、これを修正するのは、とてつもなく大変なことだ…、みたいに圧倒されてしまうのかな。
A7,他人にアドバイスするというのは大変難しい事で、「そういう時は右手を上げればいいよ」と言っても、それはつまり「そういう時右手を上げないからダメなんだ」という批判にとって取れない事はないからです。ですから、認知のゆがみという概念を用いる時は”それが自分の内部に実在している”かのように扱うのではなく、そういった類の思考や行動をぽいっと入れて捨てる袋の名称なのだと思われると、まだなんとかなるのではないでしょうか。

Q8,認知の歪みを認める以前という感じです。とにかく腹が立ってしかたありません。順番にきちんと読んでいけないので、読めそうな所を読んだりしてるんですが、怒り指数の途中で忘れかけてた辛かった事での怒りがぶり返してきて、酷くイライラしてきて本投げつけてしまいました。全然受け付けられないです。気分最悪です。
A8,結局のところ嫌な記憶や感情が変に物事や言葉とくっついてしまっているのが問題をややこしくしているのだと思います。それらの記憶の甦りが生活の折に触れ出現してしまっても困るし、記憶の甦りを避けるためにありとあらゆる生活にあるきっかけを避けることもまた困ると思います。あまりに刺激が強すぎる時は、誰かと読んだり、声に出して早く読んだり、歌いながら読んだり、言葉と気持ちの結びつきを若干減じる方策を試してみてください。

Q9,私は親しい友人と口論になり関係が悪化することが最近よくあります。
その後、自分が他人との関係がうまく築けない駄目な人間のような気がして、ものすごく不安になります。
この不安をを克服するために今「自分をみじめに......」を読んでいる途中なのですが、自己批判的な思考を自己擁護的な合理的な反応に置き換えるということは、「相手に原因があるから口論になってしまう、そういう友人は自分を苦しめるだけだからつきあわないほうがいい」ってことですか?
確かにそう考えると自分は楽になりますが友人はどんどん減っていくような気がして...............鬱
論理的な思考は苦手ですが 不安や落ち込みは耐えられないので考え方を教えてください、お願いします。
A9,我々は時に親しい友人と口論する事がありますし、その後で不安になる事もあります。むしろあまり親しくない人とは口論をしない事の方が多いです。それらの事は人間にとってデフォルトです。これまで全ての不安や落ち込みに耐えて生きながらえてきたのでしょうから、経験的に言えば不安や落ち込みは不快であっても致命的ではなかったのではないでしょうか。

Q10,マイナスの感情を合理的な「思考の訓練」によって「プラスの感情」に
導く事は私にはまだ難しそうですが 
>イラショナル短歌
>この娑婆は おまえもひとり 我もひとり
>気付いたところで 世はこともなし
の「世はこともなし」という言葉で論理的な説明はできませんが ものすごく気分が楽になりました。
こんな事でと、本当に自分でもびっくりしますが、思考の訓練が利己主義的すぎて何故か入りにくかったので(理由は不明)
A10,認知療法は”マイナスの感情を合理的な「思考の訓練」によって「プラスの感情」に導く事”ではありません。むしろ「世はこともなし」というのがまさに認知療法的です。翻って言えば、「世に事あり」的な信念をお持ちなのだと思います。
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投稿者: 西川公平
2009-11-09 07:50
カテゴリー: 2ちゃんねる

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