2009/02/17: 強迫行為のABA

久野先生のブログに強迫の質問があって、つらつらと思うところを書いてみたのですが、まあその後あれこれ考えてみたので書いてみます。
うだうだ書いていて長いです。

Q.元の質問
>ガスの元栓を閉めたかどうかが気になって外出先から何度も戻ってきて施錠の確認を繰り返す場合は条件づけられた不安反応の自発的回復が施錠の確認後すぐにおこるからなのでしょうか?
A.元の回答
違います。がちゃがちゃがちゃ・・・とやってる最中に不安が上がったり下がったり乱高下しているわけではありません(そもそも不安かどうかなんてわからないですが)。強迫行為(鍵閉め)が強迫観念・強迫行為(鍵閉め)のトリガーでもあり強化子でもある連鎖によって繰り返すのです。鍵を閉めずに出るなど大元のトリガーを省けば、強迫観念はかなり軽減します。


強迫行為が強迫観念の弁別刺激でもあり、強化子でもある二重の機能を帯びるという事があるか?

とりあえず、ベースとなる鍵閉めの持つ自然随伴性についてレスポンデント条件付けから考えてみる。

守られている状態(US)⇒安心(UR)
鍵閉め(NS)⇒守られている状態(UC)⇒安心(UR)
鍵閉め(CS)⇒安心(CR)

いや、違う。強迫行為は”負の強化”で形成されている行動だ。断じて”正の強化”ではない。

守られていない状態(US)⇒落ち着かない(UR)
鍵閉め(NS)⇒守られていない状態の解消(UC)⇒落ち着かないの解消(UR)
鍵閉め(CS)⇒落ち着かないの解消(CR)

んー・・・言葉尻を変えただけのような気がする。落ち着かないの解消ってなんだ(笑)。
まあでもこれでとりあえず置いておこう。

次にオペラント条件付けから考えてみる。

「鍵を開けたままにしていて泥棒が入ってくる」という考え(-)⇒鍵閉め⇒鍵が閉まって泥棒が入ってこない(+)
「さっき鍵を閉めたのか、閉めようと思っただけなのか判らない」という考え(-)⇒鍵閉め⇒今閉めたという感覚(+)
「閉まっているか閉まっていないかの疑念をスッキリさせて、晴れやかな気分で次の行動に移りたい」⇒鍵閉め⇒スッキリして次の行動に移れる(+)

んー。。。。どう考えても「なぜガチャガチャ鍵閉めをと繰り返すのか?」という疑問への答えになってない気がするなあ・・・。

もっとシンプルに
まだ鍵は閉まっていないんじゃないか(ー)⇒鍵閉め⇒やっぱり鍵は閉まっていた(+)

いやだから、「やっぱり鍵は閉まっていた」から「まだ鍵は閉まっていないんじゃないか」に変化するプロセスが判んないんだってば。

ここはあれだ。某奥田先生お得意の”阻止の随伴性”とか使ってみるか。某岡嶋先生もオンラインの回避がどうこう言ってたし。
鍵が閉まっているか不明瞭で落ち着かない状態(-)⇒鍵閉め⇒外出時に「鍵が開いているんじゃないか」とあれこれ思い悩んで楽しめないのを阻止(+)

・・・焼き増ししてるだけで意味無いなあ。
そもそも「落ち着かないの解消」ってのが阻止なんじゃないかな?生兵法であんまり詳しくないからわからない。


ちょっとためしに時制を入れてみよう

「さっきそうしたのか、そうしようと思ったのか判らない」、「さっきの行動が遂行できたか判らない」、「さっき鍵が閉まったか判らない」(-)⇒再度鍵を開け閉めする⇒「今そうした」、「今鍵を閉めた」、「今行動した」(+)・・・しかし一瞬で現在は過去になるので、繰り返す。

「さっき鍵を閉めたかわからないので、今まさに鍵を閉めたという感覚が得たい状態」⇒鍵を閉める⇒「今鍵を閉めたという感覚が得られる」・・・しかし一瞬で現在は過去になるので、繰り返す。

・・・本当に”現在が過去になる”などという時制の変化が関与してるんだろうか?自分で書いてて胡散臭い。

むしろあーゆーガチャガチャと繰り返すのは”バースト”現象においてよく観察されるから、あれをバーストだとして考えてみよう。

鍵閉め(CS)⇒落ち着かないの解消(CR)

があって、
鍵閉め⇒得られるはずの”落ち着かないの解消”が得られない⇒バースト

ややしっくりきた。バースト説はありだな。
そうすると、どうして「鍵閉めしても”落ち着かないの解消”が得られないのか」が疑問だ。時制?いやまさか!

しかしバーストだとしたら、その後も同じなら徐々におさまっていくと思うんだけど、
得られるはずの”落ち着かないの解消”が得られない(-)⇒バースト⇒”落ち着かないの解消”が得られた(+)

ってなってるって事かな?うむ。これはこれで良し。

まあ私は臨床屋さんだし、ズルして治療(E/RP)の作用機序から類推しようかな。
向精神薬でも作用機序から脳機能の類推をするわけだし。
「さっき鍵を閉めたのかどうか判らない」状態(-)⇒鍵をかけ直したり確認したりしない⇒「さっき鍵を閉めたのかどうか判らない」状態(-)

うーん、・・・情報として増えてないなあ・・・。
この条件下で「鍵をかけ直したり確認したり」が減るのはそりゃそうなんだろうけど。

ちなみに、心理教育的には上みたいに説明していないんだよなあ。してる人もいるかもしれんけど。むしろ、
「さっき鍵を閉めたのかどうか判らない」状態(-)⇒鍵をかけ直したり確認したりしない⇒「さっき鍵を閉めたのかどうか判らない」状態のなだらかな解消(+)
みたいに言ってる。どっちが本当だか・・・。

まあいずれにせよ参考にならない。たぶん強迫行為形成の学習プロセスと、強迫行為消去の学習プロセスは全然違うんだろうな。

ガチャガチャすること自体に機能があるって考えはどうだろう?
落ち着かない状態(-)⇒ガチャガチャ何度も鍵閉めしてようやく離れる⇒これだけ何度も鍵閉めして出たんだから、安全度合いがかなり高まったはずだという満足(+)

でも強迫の患者さんは「いったん強迫スパイラルに入ってしまうと疲れきるぐらいしてしまう。むしろ1回で済ませられた方がよっぽど楽」と良く言ってるしなあ。患者さんが言ってるからどうだってわけでは無いですが。
確かに患者さんたちの話を聞いていると、ガチャガチャやってる時って乖離っぽい感じやね。OCSDはみなそうだけど。
でも乖離とか言い出すとまたややこしいから、ここでは乖離について知らないふりをしておく。

むしろ”沢山する”というのは鍵閉め1回ごとの強化子としてのパワーが弱まったという解釈もできるのかな・・・。じゃあどうして弱まったんだ⇒沢山するからというトートロジーになるから無駄だけど。

強迫行為形成の学習プロセスを考えると、増えていくプロセスでは
X回鍵閉めを繰り返したが落ち着かない状態(-)⇒X+1回目の鍵閉め⇒さっきより落ち着いて外出できた(+)
みたいな感じだろうと思う。

減らせないというのは
いつも10回鍵閉めしているのに今まだ1回しか鍵閉めしていない状態⇒鍵開け閉め⇒まだ2回しか鍵閉めしていない状態
これならガチャガチャ繰り返すことを説明できている。じゃっかんビミョウなとこがあるけど、ルール支配に投げてみました。ルール支配に投げる事がまたビミョウだ。
まあでも「X回繰り返さないと気がすまない」という強迫もあるぐらいだし、そーゆーものの見方もなくはないなあ。

いずれにせよなんら臨床とは関係ないですが、こーゆー思考ゲームは暇つぶしには面白いですね。
戯言を色々書いてみましたが、こんな事は世界のどこかで誰かABAの人が既に結論付けているような気がしてきました。そちらを参考にして下さい(笑)

そういえばこないだ行動療法士会で
したくない事をしなきゃいけない・行きたくない所に行かなければならない(-)⇒強迫症状を呈す⇒せずに済む・行かずに済む(+)
っていうアイデアが出てたけど、いかにもABAらしいというか、そりゃ流行らないわけだよと感心した。

胡乱だと飛ばした”時制”や”乖離”だけど、これって記憶の話なんだよね。記憶の疎通性に関するある種の困難がある気がする。あるいは確信に関する疑念というか、見て確認できないけど本当は汚れてるとかいう、確かに見たものを信じられない・やったことを信じられないなどというPsychoticな困り事は手ごわい人にちょくちょくあるなあ。

そーゆーのが果たして”ただの言葉”だけなのか、はたまた実体のあるものなのかについて、今度コロキウムで出してディスカッションしてみます。
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投稿者: 西川公平
2009-02-17 00:26
カテゴリー: 強迫性障害

Comments

かぜみやび on 2009/02/18 2009-02-18 00:28

nishikawa先生、こんばんわ。こちらに感想書き込みますね。言わずもがなの質問からおつきあいくださり申し訳ありません。nishikawa先生の考察を読みながらああでもない、こうでもないと自分なりに考えながら読み進めている最中です。おこがましいですが私なりの考察も読んでいただけるでしょうか?わたしの久野先生への質問内容でnishikawa先生もご存じのとおりわたしは基礎のレベルから応用のレベルまで根本的にわかってない人です。ですから私の感想なり考察なりを読んで間違ってるところは指摘して教えていただけるでしょうか?よろしくお願いいたします。nishikawa先生の書いた考察を理解するだけで相当難渋しております。連立2元方程式を解こうするチンパンジーの心境です。書き込むまでもうしばらく待っていてくださいね。

gestaltgeseltz on 2009/02/18 2009-02-18 03:25

いやまあ、私もああでもないこうでもないと思考ごっこをしているだけなので、そんなに大層な事はないと思います。
ぜひまた書き込んでください。

かぜみやび on 2009/02/18 2009-02-18 04:39

nishikawa先生、おまたせしました。感想としてはnishikawa先生は知識の引き出しが多いのでかえって選択肢が選べなくなっているように見えます。最初のレスポンデント条件づけですが
CSとNSに「鍵閉め」というオペラント行動をもちいていますがこれは使ってもいいのでしょうか?実は自分もCSとNSがオペラント行動であることはあるのか2週間前から考え込んでまして久野先生に質問しようと思っていたところです。タイムリーですね。私はUSに「鍵を閉め忘れた部屋で泥棒が荒らしているイメージ」 CSになにもないか、「鍵等」があると考えます手持ちのキーホルダーにぶらさげた鍵などが条件刺激になることもあるでしょうがおおくのケースでは明白なCSがないようにみえます。CRは不安です。このへん(CSのありなし)は最近内山先生と坂野先生の編著で原井先生がふれています。私の誤読の可能性もあるので原井先生の書いた2ページほど見ていただけると幸いです。nishikawa先生は意図して不安という言葉を使わないようにしているようですが他の認知行動療法家もそうなのでしょうか。「落ち着かない」は「不安」ですよね。
さいごのオペラント条件づけなのですが私は3項随伴性でなく某杉山先生の行動随伴性でとらえました。直前→行動→直後 です。
直前「不安動因が高まっている状態」→行動「鍵閉め」→直後「不安動因低下」 です。

おやすみなさいませ

gestaltgeseltz on 2009/02/18 2009-02-18 15:10

>最初のレスポンデント条件づけでCSとNSに「鍵閉め」というオペラント行動をもちいていますがこれは使ってもいいのでしょうか?
鍵閉め直後時にある刺激(鍵のかちゃりという音を聞く、鍵を持った指の感覚、鍵の冷感、など)としてもかまいませんが、まあ「鍵閉め」としてもいいかなと思いました。
鍵閉め直後状況とかしてもいいですけど、まあ鍵閉めでいいかなと。
いずれにせよ動詞と名詞を分けられると考えるのは形式文法の悪しき習慣だと思います。

>USに「鍵を閉め忘れた部屋で泥棒が荒らしているイメージ」 
個人的な好き嫌いでいえばUSにそういうものを持ち込み始めるのは私は好きでは無いですね。なぜならそこにはすでに随伴性の入れ子が存在するからです。そういうものはCSに入れます。

臨床上意味があるのは、「CSがあるかないか」ではなくて、「CSをコントロールすることがより良い治療になるかどうか」どうかだと思います。
そういう意味ではOCDの患者さんの強迫観念がより一層”そそられる”エクスポージャーセッティングを行う事がすなわちCSのコントロールであり、それは意味のあることだと思います。

たとえば先の例で言えば、鍵閉め時に目隠しをしたり音楽を聞いたり、手袋をしたりして、鍵を閉めた時に入力される刺激を遮断することで一層不確かな状態を作り出す曝露はあり得ると思います。そんなことするより鍵を開けたまま外に出る方が楽ですが・・・。
なぜなら患者さんたちは実際のところ、指に後がつくぐらい鍵を強く握り締めたり、「鍵閉めた!」と大声を出すことでノドのヒリヒリする感覚を確かめたりするからです。

そもそもガチャガチャする理由は直前の状況と直後の状況が等しいという事を示しているのかもしれません。あるいはバーストとは行動直後の状況が直前の状況と同じあるいはなお酷いセッティングが作り出されている時の出来事なのかもですね。

>おおくのケースでは明白なCSがないようにみえます。
多くの臨床家がCSを不明瞭にE/RPをしているように見えます。それは座布団で蚊を叩くような曖昧なE/RPになるか、単なるRPです。
無いように見える理由は先の入れ子構造とも話は似ているのですが、負の強化を内在した行動随伴性の内在部分に対する暴露を効率よく行っていくのが認知行動療法です。
他の人が何をしてるかは、ほとんど陪席をしたことが無いので全然分かりません。

CRに「不安」を持ってくるのはハルが言い出している2要因説ですが、私は昔から2要因説が解決の方略を増やすようには思えないので馴染みません。
直前「不安動因が高まっている状態」→行動「鍵閉め」→直後「不安動因低下」 
というのは説明になっているようで、なっていないのではないかな。たとえば
直前「ある行動を取りたい欲求が高まっている状態」⇒「ある行動」⇒「ある行動を取りたい欲求が満たされた状態」
なんて説明が、はたして説明力を持つのでしょうか?持たないですよね。

落ち着かないと書きましたが、人によっては「スッキリしない」の方が強いと思います。なんなら
儀式が完成しない(-)⇒鍵閉め⇒儀式の完成(+)
としてもいいぐらいです。

かぜみやび on 2009/02/18 2009-02-18 21:34

nishikawa先生、ご返答していただきありがとうございます。目からうろこがごそごそ落ちてます。ところでまたわたしの文才のなさのせいで間違って伝わってしまった箇所があります。私はnishikawa先生の言葉尻をとらえて非難したわけではありません。「オペラント行動が無条件刺激や条件刺激になることもあるのでは?」という疑問が2週間ほどまえにわきまして、無条件刺激、条件刺激の定義を調べていたのですがいまいちすっきりした答えが得られませんでした。そのため自分の理解に自信がなかったので理解したくて問いかけただけです。今回のやりとりで私も理解できたので久野先生にこの点を教えてもらわずにすみます。nishikawa先生に感謝いたします。今回のご返答も私には難解ですので何度も読んで咀嚼して理解したいと思います。ありがとうございました。

gestaltgeseltz on 2009/02/19 2009-02-19 17:34

>オペラント行動が無条件刺激や条件刺激になることもあるのでは?

そうでない事の方が珍しいです。なぜならすべての行動は連鎖しているからです。
またわれわれのヒストリーはほとんどの行動に内在する随伴性を形成しています。

Arizono on 2009/02/23 2009-02-23 22:36

西川先生
こんにちは。
最近、Paul R.Munford,のOCDのCheckingの本を読んで、そういうときに、この記事を見かけたので、ちょっとコメントさせてください。

>いや、違う。強迫行為は”負の強化”で形成されている行動だ。断じて”正の強化”ではない。

>守られていない状態(US)⇒落ち着かない(UR)

これは、合っていると思います。
Paul R.Munfordの本では、確認には、不確かさの恐怖があり、それには安全への恐怖、加害の恐怖、戸惑いの恐怖があると表現しています。

でも、次に、「鍵閉め(NS)」とあり、これが疑問です。
確認の強迫行為は、カギを閉めるだけでしょうか?もう少し行動観察を広げてみます。
その他に、ドアノブを強く回したり、ドアを引いたり押したり、・・・
落ち着かない間に、いろいろ試行錯誤をしているはずです。
普通の人なら、戸締りをして解消されるべきものが、OCDでは解消されないから、嫌子が強化されるではないでしょうか?

ですので、

>ややしっくりきた。バースト説はありだな。

というのは、なるほどです。

gestaltgeseltz on 2009/02/24 2009-02-24 14:46

>Arizonoさん

ご無沙汰しています。

>Paul R.Munfordの本では、確認には、不確かさの恐怖があり、それには安全への恐怖、加害の恐怖、戸惑いの恐怖がある
色々本を読まれて勉強されていてすごいですね。私はそういう本を読まないので、勉強になります。
「強迫は責任だ!」説とか、色々ありますが、沢山患者さんを見ていればまあそういう人もいるし、そうじゃない人もいるというのが正直な感想です。
あるいは、そういう説を作った人のところには、説に沿った人がたくさん来てたんだろうなとか、なんなら、そういう説を信じているからその説に患者さんをこじつけてしまうんだろうなとか、まあそんなところですかね。

>確認の強迫行為は、カギを閉めるだけでしょうか?
ここでは”鍵を閉め終わった後に、再び鍵を開けて閉める行動”について書いていますので、鍵閉めを頭に持ってきています。

鍵閉めそのものはおっしゃる通り色々あると思います。
なんなら玄関に向かう前から、「ああ、今日も鍵閉めに時間がかかるんだろうか。近所の人に見られたらみっともないなあ」と考えているところからスタートしてもいいし、外出一週間前から憂鬱なところからスタートしてもいいですが、それらは一連の連鎖行動なので、どこからスタートするかはある程度区切って考えないときりがないかなと思いまして。

>嫌子が強化
「嫌子とは強化の主体であって、強化されるものでは無い」というのが一般的です。
嫌子の持つ強化力がパワーアップするという現象があるとすれば、それをなんて呼ぶんでしょうね?

Arizono on 2009/02/25 2009-02-25 11:25

すいません。m(_ _)m
嫌子を強化、日本語がおかしいですね。
私の言葉の理解がいい加減でした。
ただ、行動随伴性の元々の発想は、○○→○○という直線的な回路を想定しているように思います。

直線的でない回路の例として、例えば、コンピュータのプログラミングで、あるデータに足し算をしたら、次のデータに行って、またそれを足すというものを作ったとします。
これだけだと、エンドレスで延々計算が続きます。そこで、和が100を超えたら計算終了とか、循環から抜け出すよう、プログラムで書きます。
確認の症状も、このようなぐるぐるした回路にはまってしまう感じに近く、それが患者にとって嫌なものです。
エンドレスがなくなるようなこと(不安の解消)を求めて、適当な数字を決めるとか、何らかの儀式的な手段を試す感じだと思います。

この儀式は、不潔の人が洗浄して得られる一時的な安ど感よりも、安ど感が得られにくく、むしろぐるぐるの苦痛にはまってしまったような感じが強いと思います。
そこで、その間の動作は、nishikawa先生が乖離の例を使って表現されたのもわかる気がしました。
このぐるぐると、儀式の組み合わせによる循環も、すればするほど回路が強化されるはず・・・私は、元々電気科出身ですが、電気だとこういう回路考えられます。

gestaltgeseltz on 2009/02/25 2009-02-25 14:13

>Arizonosさん

私もこうやってPHPをいじってホームページやブログを作っていると、読み込ませたり吐き出させたり、その構造の複雑さには頭を悩まします。
しかし、それより精神疾患の方が複雑に決まってますから、直線回帰にこだわるABAがOCD全体を説明するには役不足だというのも無理ないことですね。
2〜3重の直線回帰とかで説明が成り立つ瑣末なところにはとても有益な道具なんですが・・・、より高次になればなるほどロスが多い説明を設定する必要が出てきますね。

Pomta on 2011/03/27 2011-03-27 16:34

すみません。初歩的な質問で恐縮なのですが、式に書かれている+とか−というのはどういう意味ですか?

(+)…快刺激がある/嫌悪刺激がない状況
(−)…快刺激がない/嫌悪刺激がある状況 ということでしょうか?

gestaltgeseltz on 2011/03/28 2011-03-28 09:15

>Pomtaさん

(+)…おそらく本人にとって快が得られた/不快から逃れられた
(−)…おそらく本人にとって不快が得られた/快を逃した

ということです。

Pomta on 2011/03/28 2011-03-28 11:55

>gestaltgeseltzさん

ありがとうございました。勉強になりました。

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