2007/06/12: ::認知療法・行動療法について::について その6

2ちゃんねるの::認知療法・行動療法について:: スレッドを見て思った事を1日5つ言及してみるスレッドなるべく是非を問わずに、利用者からの疑問に答える形で進めたいと希望している。現在581〜737まで。

Q26、たとえば症状の原因が父親の虐待だとしたら、そういった幼児虐待に関する本を見るということは、認知療法のステップになるのかしら?
A26、認知行動療法の目的はおおよそ「現在の症状を変化させる事」です「過去の何かを現在の症状の原因と自分が考えている事」の「考えている事」部分を変える事で現在の症状が良い風に変化するのであれば扱う事もありえます。つまり原因そのものを扱う事は無いですが、原因帰属(何を原因だと見なしているか)は扱います。幼少期に虐待を受けた事を「自分が悪かったせいだ」と帰属しているのであれば、それを変化させることはあります。あるいは「現在の苦しみは過去の虐待に起因しているから、それが起こったことは事実だし、自分は回復しようがない」と思っているのであれば、それも認知ですから変えたいように変えることができます。

Q27、「辛いとか悲しいと言う感情は持ったまま、とにかく行動してみる」のは、認知行動療法ですか?それとも違う療法でしょうか?
A27、何が認知行動療法で何が違うのかは難しいですが、人間は死なない限り「行動しない」事はできないので、行動していると気が付かないままに、そもそも「何か」はされていたんだと思います。その上で、「辛く悲しく何もできない」と”考えて”いたのを「辛く悲しいことがありながらも行動してみる」と”考える”よう変えたことで、なんらか生活の不便が減ったのであれば、それは認知の修正と呼ばれます。

Q28、認知療法で作った合理的思考は、結局言い訳にしかすぎんということでないのか? 言い訳に安住して、、、結局、悪化するだけではないのだろうか、という危険もはらんでませんか?
A28、もしそれが言い訳に感じられるのであれば、それはただの反論やポジティブシンキングであって合理的思考ではありません。また合理的思考≒言い訳⇒悪化の図式の影には「真の変化だけが真の解決をもたらす」という考えや、もっと言えば「真の変化以外は何ももたらさない」と言う考えがあるような気がします。その考えを軸に、思考対決をしてみてはどうでしょう?

Q29、親に愛されていないという思考を認知療法ではどのように処理するのですか
A29、個人個人で色んなパターンが考えられます。例えば「親に愛されてなかった気がするけど、現在は取っても幸せ」とか、「親に愛されてたかどうかを気にする人生より、そんな事を気にしない人生の方がハッピー」とかもありますし、あるいは「自分は**という部分をもって『親は私を愛していない』と判断していたけど、結局のところわからない」というのだってありえます。大体「100%愛してる」ことも「100%愛してない」とか、そのような発想がいささか極端な気がします。普通の親は自分勝手の隙間に子供を愛したりするものではないですかね。しかし私の発想よりも患者さんの発想の方が多彩なので、それぞれの方が自分なりにどう処理されるか楽しみです。

Q30、書籍・webに書いてある「一般化」された文章/内容を「自分に落とし込む」ことがどうしてもできないのですが・・・
A30、書籍・webに書かれている事があなたにとってFitしないなら、それは書籍・webに書かれた文章の方が間違いです。認知行動療法はあらゆる意味で「正しい解答を暗記する事」とは違います。書籍・webに正しい解答めいたものを載せることもそもそも間違い(普及を進める方略かもしれませんが)ですし、このQ&Aにもそういった傾向があります。何にせよ自分にピタッとくれば正解で、そうでなければ間違いです。
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投稿者: 西川公平
2007-06-12 16:05
カテゴリー: 2ちゃんねる

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