2019/12/31: 【認知行動療法における有害事象】

認知行動療法は心の病に対してそれなりに有効ということだが、それなりに有効な全ての治療には、それなりに有害な一面もある。
逆に言えば、毒にもならないものは、薬にもならない。

しかし、認知行動療法において、きちんと有害事象の報告はされていない気がする。
「こんなことしたら、こんなふうに良くなりまっせ」
ばっかり言ってることが、むしろ
「都合の良いことばっかり言いやがって」
と、認知行動療法以外の治療法からの信頼性を損ねていることもあるだろう。

そんなわけで、認知行動療法で、どんな有害事象が発生しうるか考えてみたい。

まずは、認知行動療法全体から言えば、できる人が日本にほとんどいない。
「できる人」と認定する組織も、認定方法も、あやふやと言うか、曖昧と言うか、万人が認める認証(サティフィケート)が存在しないのが現状だ。

認証があいまいな一方で
「うちでは認知行動療法をやってます」
などと自称する精神科や心療内科、カウンセリングルームはすごくたくさん増えている。
「明らかにできないよね」というところも平気で名乗っているので、素人には区別ができない。

まあ、ただ名乗っているだけの人を区別するならば、グーグルスカラー(https://scholar.google.com)とかに、『治療者の名前+認知行動療法』でキーワードを入れて、それっぽい論文や発表が出てくるか見れば参考になるかと思う。

要するに、全体としては「誰だって名乗れる」ので、ピンからキリまで色々な人がいて収拾がついていないことが、いかなる有害事象も発生させうる。
それは勝手に名乗る人のせいというよりは、認知行動療法サイドの戦略ミスと言える。


次は認知療法から。
認知療法の技法の一つである認知再構成の有害事象は、数パターンある。

アクティブな有害事象としては、「認知の歪み」や「自動思考」という"ものの見方"そのものが侵襲的であるということだ。
そもそも本来は本人に帰すべきではない病の責任を、「認知」というキーワードの元で、あたかも本人にあるかのように負わせてしまう有害さがある。
「考えに工夫のしどころがある」というのは決して福音ばかりではない。「工夫しないあんたが悪い」と容易にひっくり返ってしまうのだ。

認知療法のパッシブな有害事象としては、認知再構成は「回復しないままに、延々とし続けることができる」というのがある。
日々起こる様々なストレスに対して、思うことや感じたことを書き、それに対する反論や合理的思考を書き、、、、というのは、ずーーーっとしてられる。
全く良くならなくても!

だから、例えば16回など回数限定的にするというのも一つ意味があることだと言える。16回やって良くならないのを、18回やって良くなる可能性って、どれほどあるだろう?
まあ、16回で85%ぐらい良くなってたら、あともうちょっと、、とかはワンチャンあるだろう。
でも例えばそれが5,6回でも、全然良くならないのなら、別のことしたほうが良いんじゃない?となる、、、はずなんだけど、そこが難しいところで、認知再構成法はもっとうまくいくはずの別のことに切り替えられず、ダラダラやっちゃえる危険性がある。


そして行動療法。
行動療法の技法の一つである、曝露法や行動活性化技法は、躁転という有害事象を招きかねない。
特に曝露によって抑制が取れることがあり、結構アクティングアウトとかにも注意が必要だ。

また、行動療法はぶっちゃけパターナリズムだ。
教師ー生徒にも似た「治療者ー患者」の力関係が、ハラスメントを起こしかねない。
つまり「宿題きちんとやらないんだったら、お前は治す気がない」の世界になりかねない。

そういったことの原因をセラピスト個人の資質やトレーニングに求める人もいるだろう。
しかし私としては、行動療法はハラスメントになりやすい構造的な問題を、自ずと内包していると思う。
ていうか、行動療法以外からは、明白にパターナリズムに見えるけど、行動療法側は「それは誤解だ」と思ってるところとかも、ドメスティック・バイオレンスそっくり。

あとは、行動療法はコスパがしばしば怪しい。
当該問題行動のモニタリングを、クライアントのセラピーに対する忠誠心に大いに頼りがち。
一方でセラピー側の工夫がおざなりになりがちなので、先程のハラスメントとも通じるが、労多くして実り少ないという結果を招きかねない。
無理目の量の課題を出しておいて、できてなかったら「治す気がない」扱いすれば、面倒なクライアントとおさらばできる。一生懸命やってきたクライアントについては、学会発表で鬼の首取ったかのようにその莫大なデータを晒す。
客観的なデータをしっかり取れば取るほどいい的な、臨床の実際とかけ離れたセラピーがまかり通っているのは、ひとえに大学の先生たちが大したお金も取らずに浮世離れしたあセラピーをしているからだと言えよう。


等々、とりあえず、思いつくままに書いてみました。
他の心理療法/精神療法の持つ副作用とも共通する部分はあるかもしれない。

でも、最初に書いたように、副作用のないものには、作用すら無いというか、副作用を認める事すら出来ない治療法は未熟なものだと思う。
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投稿者: 西川公平
2019-12-31 14:39
カテゴリー: 雑談

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