2019/11/26: 日本ブリーフセラピー協会第11回学術会議in 仙台参加記 西川

なんか、ちょっと大会参加記書くのも久しぶりやな、とか思いながら書いています。ブリーフセラピーのことなんか、何一つ分かってないから、好き勝手書くね。

最初に言っておくと、ブリーフセラピー自体は割と好きというか、「良くなるためなら何してもいいよ」というゆるい縛りの集まりで、あんまり原理主義的でなくいろいろな技法が学べるから、居心地がいい。
セラピーの技術に対して敬意を払っている学会であるというのも、好感の持てるところだ。

そんなわけで、宮城県は仙台市で行われた日本ブリーフセラピー協会第11回学術会議にお呼ばれしてきました。横須賀と合わせてこれで2回めの参加かな。
横須賀大会の様子はこちらhttp://cbtcenter.jp/blog/?itemid=2111

大会テーマは「心配するな、なんとかなる」で、これは一休宗純の「心配するな、大丈夫、なんとかなる」から来ているらしい。
沖縄で言うところの「なんくるないさ」感がある言葉だなあ。

そもそも参加したのは、近年仲良くなった若島さんに「西川さん一つ、よろしく頼むよ」と言われたからだが、結局当日その時その瞬間に至るまで、何をよろしくされたのは分からなかった。
でもまあ、つまりはオノレの裁量で何をよろしくされたとも解釈可能という事だよな、と私なりに解釈した。
それにしても、することが判らない分、なんの準備もいらないから、とっても楽だ。不安とは先の心配に対する「上手くできるだろうか」であって、何一つ分かってないなら、不安になりようも、準備のしようもない。まさに「心配するな、なんとかなる」だ。

さて、前日に産業カウンセリングを終えて、厚かましくも会社の駐車場に停めさせててもらう許可までとって、一路仙台に向かう。
東京まで新幹線で2時間半。SNSの向こう側では、楽しそうに前夜祭が盛り上がってて、「あれ?西川さん来ないの?」なんて言われているが、全然まだ東京。
そこから更に1時間半かけて、ようやく夜中に仙台についた。無論前夜祭はとっくにお開きだ。牛タンゲームに付き合ってくれる人など誰もいない。
悔しいので、近所の店で宮城の地酒をガブ飲みして、仙台1日目が終わった。

仙台2日目にして、いよいよ学会1日目。まずは日本ブリーフセラピー協会代表が昔話に花を咲かせる。
ボケを入れて後「これはボケです」と説明して、ようやく笑いが起こるという仙台リテラシーに愕然とした。

そういや心理系のえらいさんの講演によく出てくる「**って最初に言い出したんはワイや」みたいなマウンティングってなんなのかな?
亜型に「ワイが師事してた〇〇先生こそが最初に**と言い出した」、類似系に「あいつを育てたんはワイや」「あいつはワイの弟子や」マウンティングもあるらしいです。

聴衆が「さすが先見の明がある!」とか感動するとでも思ってるんかな?
ぶっちゃけ
「そんな証拠もたいして無いような事しか誇ることがないなんて、これまで生きてきて良いことなかった哀れな子なんやなあ」
としか思われへんで。
研究者なんやったら、今でも世界で引用されまくりの、研究成果の論文について自慢しろや。
(訳:せっかくの仙台なのにも関わらず、ノマド缶詰によって荒れています)
あ、この
『「**言い出したんはワイや」マウンティング』
について、日本で初めて言い出したんはワイやから、そこの所忘れんとってや!

それはさておき、ブリーフセラピー協会と言えばB1グランプリ。新人歌手新春シャンソンショーばりに、フレッシュなセラピストたちがしのぎを削る一大イベントだ。
まあ、好き勝手言わせてもらえれば学会が育てられるのは初心者レベルであって、ちょっと初心者に毛が生えたら、もうすぐに学会では中堅臨床家としてもてはやされてスポイルされるのが、ここに限らず世の常なんよね。

逆に学会がマウント取れるのは初心者に限られてくると言うか、多少なりとも上達した人を、もっと上手くするようなノウハウを学会に求めても無駄だということだ。

まあ、それはさておき、諸般の都合で1チームが欠席だそうで、「誰か代わりに出場したい人いますか?」などというアナウンスがあって?え?マジで?とか思った。
だって、予選を勝ち抜いて云々という手続きを経てみんな出場してるのに、敗者復活もなくいきなり本戦出てもいいとかサンドイッチマンより贅沢じゃない?と思う。ためらいつつも、一応手を上げてみるが、そこはじゃんけんにて順当に予選4位通過の千葉代表が勝ち上がり、ホッとする。
横から油揚げをかっさらうような、はしたない真似にならずに済んでよかった。

さて始まったB1グランプリ。
それにしても上手ではない模擬面接を観るのは、身悶えするなあ、、、
拾われるべきところは拾われず、拾う必要ない所は拾われ、文脈関係なしに紋切り型の表現で技法がブッ込まれ、だだ滑り、、、

あと、ありえへんぐらいに、うん。うん。うん。うん。ええ、ええ、ええ、ええ、と下手な鉄砲みたいに頷くの、何とかならんのかな?

あと、普通に「敬語が使えない」というのは、カウンセラーとした相当厳しいもんがあるという事が分かった。
でもまあ、学部生3年生が出てくるってすごいよね。何一つ出来なさすぎて、コメンテーターが「夫が『あれなら俺のほうがマシじゃね?』と調子に乗るから、逆に良かった面接。」と言ってたけど、図らずもセラピストがおバカな提案をして、クライアントたちがもっとマシな変化を遂げてくるという図になっている。

こう、架空事例だろうから、ざっくり説明してもいいんだと思うけど、夫婦と子供と母方祖母と生活していて、母方祖母との同居は祖母が足を悪くしてからなんだけど、すごく口うるさくて娘と揉めまくっている。義理の息子は婿入りで仕事忙しい。みたいな家族設定だったんだけど、既に設定から色々やばい。
まずは、「同居するまでこんな人だとは思わなかった。別居時はすごく頼れる人だったが、同居してからすごく口うるさい人だと分かった」などと若夫婦が言ってるのがマジやばくて。
いや、実の娘なんだから、かつて同居してたでしょって話で、かつての同居時にはそれほど口うるさくなかったから同居に踏み切ったのが、足の障害から性格変容が起きているんだとしたら、それは足の障害が梗塞など脳から来てるのか、あるいは外傷なのか、どっちにせよその性格変容についてきちんと専門家にかかるべきで、そもそも心理療法の話はそれからだよ。
だから、実の息子ならまだしも「実の娘にとって予想外に口うるさかった」話をスルーしてはいかん。他にも「やたら嫉妬深くなった」などの口述もあるんだし。
そして、もちろん出場者もコメンテーターもそういうことは気にもしないのね。やばい。こんな人らに多職種連携とか無理。

そして、その話をスルーしちゃうと、「死ぬまで自宅介護」一択になってしまって、「施設に入れてレスパイト」みたいな選択肢も無くなる。いやまあ、既に若夫婦の方にそのアイデアはなさそうなんだけど、セラピストの方からその可能性を潰していくのは、ホンマに無いわー。

まあでも、100歩譲って、公務員してた祖母が退職金をぶっこんで同居時に自宅を建てる資金源にしてるから、金だけ取っておいて追い出しにくいって可能性もある。金出してるところに口は出るからな。

でもそれって、祖母が「ここは私の家だ」とテリトリーを主張して文句つけているってことだから、足の不自由な祖母に五体満足な専業主婦の実の娘が負けて代替わりできてないのはハッキリ言っておかしい。その流れで家がバリアフリーに作りかえられてないのもおかしいし。消えた祖母の退職金問題だよ。
そのおかしさの由縁がハッキリしないと、オプションの一つである若夫婦が出ていく(少なくともそれを匂わす)がどうして取れないのかが判らなくって、家族療法的に縛りがでかい。

要するに、上の世代と下の世代の揉め事に大ナタで行けば、それをぶった切る「祖母を追い出す。入院させる。若夫婦が出ていく。名字を旦那の方に変更する。墓に入らない。」辺りが普通にあるんだけれど、誰の面接もそういった大ナタについて想定すらできていない。
いや、別に、必ずしも大ナタを振るえというわけじゃないし、むしろそうじゃないことの方が多くかつ安心だけれども、ナタを振るわないようにしている若夫婦の気持ちには、どうあっても触れないといけない。
有り体に言えば、言われていないけど「あー、同居して失敗やったなあ」っていうセンテンスを、夫婦のそれぞれがどの程度、どんな風に受け止めて、そうは言わないようにしているのかについて、きちんとアセスメントができてないと始まらない。
つまり、もう一回、おばあちゃんが受傷して体不自由になった瞬間に時をさかのぼって、もし同居したら結構面倒なことになると、今度は“あらかじめ”分かっているとしたら、それでも同居するのか、やっぱり今度は辞めておくのか、若夫婦は夫婦として何を根拠にどう決定を行うのかについて、十分アセスメントした上で、それに沿って介入案を策定しないといけない。
そうでないと単なる上滑りだ。だから、「おばあちゃんを敵とみなすことで夫婦で団結しましょ」みたいなコメントとかつくと、何なんその薄っぺらい家族理解は??アホなん?と思ってしまう。
「祖母にナタを振るわない」という姥捨てしない決意にこそ夫婦の団結を観ていくべきなのだ。

まあしかし、これは、家族療法の基礎というものがブリーフセラピーから消滅しているという証拠である。家族療法の知識がないブリーフセラピストなんてものは、糸の切れたタコみたいにソリューション、ソリューション言うだけで、哀れな存在だ。

在りし日の家族療法の修行というものは、「家族って、どんなもんだろうか」について、あんなパターンやこんなパターンや、色々な家族の色々なルールに触れる機会、十分にディスカッションする機会を経て、最終的かつ体験的に「家族って、色々ある」と学ぶものだ。

通常の人間は自分の家族と、パートナーの家族と、親友の家族ぐらいしか家族のパターンを知らない。逆に言えば、それらのパターンに必ず縛られてしまっている。

我々は専門家として、多種多様な家族の有り様について是認しておかないと、必ず『間違った家族の当たり前』をクライアントさんたち押し付けてしまうことになる。

一方で、どの辺りが家族として当たり前なのかの感覚があれば、家族としての建前がおかしい時に、違和感を持つことができる。
健康な肺のレントゲンを見てると、病気の肺のレントゲンを見た時に違和感が生じるって、ゴッドハンド輝にも書いてあった。


まあそんなわけで、「例外探してコンプリメントしとけば良いわー」がもたらしたブリーフセラピーの弱体化がクリアに分かるB1グランプリであった。挑戦した三組の点数は、私的には100点満点で順に3点、12点、7点ぐらいで、よくぞまあと言ったところだ。
でも、逆に言えば、あんまり実力の差ってないよね。どんぐり的な。
家族の有り様が分かってないのはさておき、クライアントさんが何を言っているのか日本語的に理解できていないのと、自分が何をしているのか意味分かってないのは辛いところだと思った。


昼はお弁当をもらって学会規格の合コンに出る。全然見知らぬ人だらけでアウェイな私にとってはありがたい企画で、なんだかんだとお話させてもらう。


さて、昼からは私の出番でもある、「コンサルテーション面接およびそのライブ・スーパーヴィジョン(2ケース)」だ。

幸いにして、私は2ケース目のチームに入るので、1チーム目が何をするか観て学ぶことができる。観られるということは、B1グランプリと違って、与えられるケースが違うということを指している。(B1グランプリだと、出場者は控室にいて前の組のやり取りを見られない。)

ケースコンサルタント1チーム目は京都チームのお2人で、別室でセラピストの悩みを聴きつつコンサルタントしたのを、一旦切って2人を会場に戻し、チームでスーバーヴィジョンするという、入れ子構造になっている。

わかりにくいのでもう一度書くと、クライアントへの対応に悩めるセラピストへのコンサルテーションがホール会場とは違う部屋でまず20分ほどあり、その様子はライブ映像でホール会場に流れてきている。
ブレイクして2人がそのホール会場に戻ってきたのを交えて、さっきのコンサルテーションに対してチームでスーパーヴィジョンが行われる。これはホール会場の舞台の上である。
さらにその後、その意見を引っさげて2人がコンサルテーションに戻るという、4重構造だ。
(いないクライアント)⇔ セラピスト(コンサルティー) ⇔ コンサルタント(スーパーバイジー) ⇔ スーパーバイザーチームそれを観ているフロアの人達、みたいな感じ。

そもそもお二人のコンサルテーションがそこそこ達者で、セラピストもクライアントとそれなりに崩壊せずにやってなくもないので、前半は「上手くいってるならそのままスルーで」みたいな、いわゆるソリューションで流れた。

真ん中に入っているチームによるスーパーヴィジョンは、ここから一歩更に進めてというのが果たして出来るのだろうか?もしくは進める必要があるのだろうかという話。

まあなんせ、悪く言えばセラピストも小さく賢くまとまってるし、コンサルテーションもそうだし、イイっちゃ良いけど、閉塞っちゃ閉塞なのよね。
これでチームによるスーパーヴィジョンさえも、それで良いっちゃ良い、みたいなので終わったら残念だと思う。

結局のところは、セラピーにおいて協同経験主義が成立してない用に見える。セラピストは3回目にクライアントからガツンと言われて以来、ちょっと傷ついて、ちょっとおもねる風になっちゃって、ご機嫌取りセラピーというか、太鼓持ちと言うかセラピーの自由度が下がってる。その事にもやもやしてコンサルを受けに来ている。

でも、まさにその3回目で出てきたクライアントのアグレッシションが、クライアントさんの生活困難のある意味縮図だから、そのことそのものの扱いがしっくりきてないところを、もう一度なんとかしなくてはならない。

クライアントさんの「対人関係の距離の取り方が不器用」みたいな問題と、「キッチリいかんと意に染まない」みたいな問題に共通した、つまり「なんかちょっと違う」や「珠に瑕を許容できない」ような強迫性(曖昧さ不耐性)の問題をキチンとターゲットに置きなおせずに、クライアントとセラピストがのび太君とドラえもんの関係になっているのが、どうにも微妙だとセラピストが感じて、コンサルテーションを受けたんだなと思った。

しかしまあ、残念なことに、そういうのは一個も扱われないというか、「例外探してコンプリメントしとけば良いわー」というコンサルテーションに対して、「例外探してコンプリメントしとけば良いわー」というスーパービジョンがなされて、アホかいなと思った。

いや、ハッキリ言って、単なる時間の無駄としか思えないライブスーパービジョンだった。言ってる内容も小知恵もいいところで、おばあちゃんの知恵レベルと言うか。そのブレイク時間の半分でもコンサルタントとサブコンサルタントが打ち合わせして、再び面接したほうがよっぽど建設的やで。と言うか、前半と後半で殆ど変わってないから、ライブスーパービジョンの意味まったくない。

しかしセラピスト/コンサルティーは頑張った。前半で拾ってもらえなかった困りごとについて、勇気を振り絞って後半でもう一度蒸し返す。おお、やるな!これならなんとかセラピストの感じている腹立ちや悔しさにアクセスできるのかも!とも思いきや、残念ながら「問題を問題とみるから問題なのよ。問題って見なさなきゃいいのよ」ばりにやっぱりスルーされる。
ああ、なけなしの勇気も無駄にされた解決強要療法よ。コンサルタントに出した甲斐なくって可哀想だったなあ・・・。全然うまく言ってないセラピーを思い切って出してみたら、「大丈夫上手く言ってるよ。あなたの勘違いだよ」みたいに慰められて、その場では「そうかなあ」みたいに騙されたとしても、現場に帰って現実そのクライアントさんに会ったら、やっぱり全然うまく行かないんだもんなあ・・・。

要するに、コンサルの場で、クライアントさんがもしこのコンサルの場にいたら言えないようなことばかり言われてて、そのような自分の気持と裏腹なセラピーになっちゃっていることが歯がゆくも悔しく、もやもやしてこれでエエんだろうかってセラピスト/コンサルティーは思ってる。
そのズレが扱われるべき所を「ズレてるとか気のせいで、ドクターもズレてないって言ってるし、もっと自信持ちなよ」みたいな処理で潰しちゃう所が最悪だった。もう、話をちゃんと聞けよ、みたいな。
ドクターが良いって言ってくれている所に、なお違和感を感じられているこのセラピストの感受性と強さをリソースにしてコンサルテーションをすべき面談だ。

こういうどうにもならないパターンの面接において、サブコンサルタントの役割って難しいな。追従する以外ないと言うか。まああ前半でメインコンサルティーの展開の背骨をバッキリと折りにいったとしたら、それはそれで見ごたえがあっただろうが、そもそもそんなに理解が追いついて無さそうだったし、多分無理なんちゃうかな。
でも、前半をあんな感じに、薄っぺらいところだけ扱うことで予定調和にしてしまって、時間を余らせてしまったのは、サブコンサルタントに半分責任あるんやで。

しかし、いわゆるリフレクティングと違うのは、このライブスーパービジョンで言われたことは、セラピスト/コンサルティーに内緒で伝わらないってことなのね。それは、なんと言うか、ちょと気持ち悪いけど、まあそういう構造なんだなあ。じゃあその構造を活かすとするか。


そんなわけで、コンサルタントに出した意味はあんまりなかったし、ライブスーパービジョンはまったくもって成果0みたいながっかり面接だった。

まあでも、1ケース目で雰囲気は解ったと言うか、私が2ケース目のチームに入るからには、こんな馬鹿げたライブスーパービジョンにはすまい。


幸いにして2ケース目のコンサルタントはなんと言えば良いのか、四次元殺法コンビとでも言うのか、ペンタゴンとブラックホールって何繋がり?え?従兄弟設定あったの?みたいな異色の組み合わせだから、何の仕掛けがなくてもきっと前半で自然とやらかしてくれるに違いない。
、、、って思ってみてたら、おい、ほんまにやらかしとるやないか。なんかこう、もう、全然アカン感じやで。午前中のB1のレベルに素人やで。
おそらくチーム1の一見エレガント風なコンサルタントを観て、そういうのキャラじゃないし丁寧なコンサルタントなんてできもしないのにが、なんか変な感じになって、持ち味も活かせず実力以下のプレイになってるんだろうなあ。まさに邯鄲の歩み(歩き方忘れて帰って来た人)みたいだな。

それにしても、ライブスーパービジョンのチームのメンバーを全然知らない。あー、まあ千葉支部代表がいるから、千葉は小マシな所ある感あるし、「心配するな、なんとかなる」だし、きっとなんとかするだろう。
さっそく千葉の人が「スーパービジョンで言われたことは活かしてもいいし活かさなくてもいい」みたいな、安全確保してる。それも古臭い暗示やな。

自己紹介のところで「私ってCBTの人だから、ブリーフわからないんで、ごめんなさ~い」とか、ちょっとだけ前フリをしておこう。そして素早くマイクを掴んだ。

前半戦のコンサルタントは、サッカーで言えば、誤ってボールを自ゴール方向に全力で運んで行ってた。そのボールを、ハーフタイムの間に、大きく相手のゴール方向にキックしました。
まあ、なんだ。主人公はセラピスト/コンサルティーなんだから、ちゃんとセラピスト/コンサルティーの考えや気持ちを扱おうよ、みたいな感じのコメントだったかな。それをすこしエグくして、青汁で割ってみた、みたいな。順番が最後だったらこんな事言えねえよ、みたいな。

まあでも、そんな言い方すると、今やってみせたように流石にアレだから、その方向ではあるんだけど、あとはチームのみんなでもうちょっとマシな表現とか探してみてね。「心配するな、なんとかなる」でよろしくー。

え?司会さんがフロアからなんか言ってくるとか、そこで構造いきなり破壊しちゃう?いや、チームなんだから大丈夫でしょ?多分。「心配するな、なんとかなる」はどこに行ったの?
綿密な計算の元、ほとんど最初にマイク取ったんだし、まだ時間はあるし。まあ、チームの人頑張れ。どうにも拾えなかったら、最後に骨は拾ってあげよう。

と思ったんだけど、イヤーなんと言うか、全然活かせないのね。前半のコンサルタントの内容も活かせなければ、私のドメスティックなスーパービジョンも活かせないと言うか、オロオロして右往左往して、無駄な時間をつぶす人がいかに多いことか。
これって、自分が不安だから喋ってるってことにすら、気がついていなんだろうな。100歩譲ってライブで出してるセラピストやコンサルタントが不安になるのは分かるけど、なんで岡目八目のスーパーバイザーが動揺しまくってるねん。

しゃーなしに、もうちょっとコンサルタントにヒント出すかと思ったけれど、最後の人がずっと意味のないたわ言を繰り返していて、マイクを引っ張って離さない。動揺のあまり私にマイクを渡したら駄目だってことだけ思ってるんかな・・・。
それにしても言葉の中身が無さ過ぎてすごいな。混乱技法ってのは、自分が混乱することじゃないのにな。

まあ言うてもリフレクティングなんだから、言葉のやり取りを、しかも自分の気持ちに従って嘘偽りなく言わなアカンやろ。アワアワしてるなら、アワアワしてると言えばいいし。違うと思ったら違うと言えばいいし。「例外探してコンプリメントしとけば良いわー」と思ってたら最初のコメントが思いの外例外過ぎたからどうしていいかわからないなら、そう言えばいい。
でも、言葉がどう作用するのかわかってないなら、基本的に黙っとけって思う。ライブスーパービジョンの壇上でスーパーバイザーが己の不安の露呈大会すんな。

まあそんなわけで、最後にマイクを掴んだものの、アリウープを決める時間はなかった。自分で特大のクリア蹴って、そのボールをシュート決めたら、確かにそれは流石に笑うけどな。

まあ、そんなわけで、チームの他の人達のたわ言は、ほぼほぼ意味なかったけど、死人と化してたコンサルタントさんのケツは大きく蹴っておいたので、後半のコンサルタントは息を吹き返しており、案の定暴走し、サブコンサルタントが「おい待てよ」とツッコミを入れ、ただの自殺点みたいな前半のコンサルテーションから、後半のコンサルテーションは多少なりとも相手ゴール方面に進めたのでした。

実際ちゃんと後半の主人公はセラピスト/コンサルティーになっており、サブコンサルタントもセラピスト/コンサルティーの気持ちをわざと多めに扱んでメインコンサルタントに逆らうという形で、かえってコンサルティーの決意を引き出すという、いわゆる「構造」が作られたので、めでたしめでたし。

えっと、これってライブスーパービジョンを挟んで前半と後半のギャップが得点なんだよね?だとしたら、チーム2の勝ちってことでいいかな?まあ、どっちでもいいんだけど。

でもなんと言うか、活躍の機会を用意していた題がおかげで、飲み会とかでも色々な人から声をかけてもらってチヤホヤされて嬉しかった。

まあ、色々書いたけれど、岡目八目と言うか、何のプレッシャーもない人間があとから面談についてグダグダいうのは、ほんとに楽な話で、セラピスト/コンサルティー役やコンサルタント役は公衆の面前で面接を回さなくてはならないプレッシャーがあるから、頭の上で熱湯が入った風船が膨らんでいくがごとく、まともに回答できなくなっても仕方ない一面はある。

それに、そのように公衆の面前で面接という名の恥を晒してくれたからこそ、後々の酒の肴にもなってくれるし、あれらの失敗を糧にもう少しマシになってくれるってなもんだ。
なんせ自分が下手であることを知らない人というのは、上手くなりようがない。

ちょっとだけ気になるのは、メインコンサルタントが男性で、サブコンサルタントが女性という、その構造を2回も示すこと自体がこのご時世どうなのよってことぐらいかな。

私の仕事はこれで全て終了ということで、1次会、2次会、3次会と飲めや歌え、いや歌ってはないか、で楽しく過ごした。なんか日本酒とか久しぶりに飲むわ~。


翌日、学会2日目は、昨晩の飲みすぎがたたって、ちょっと遅れたりしたけど、無事に会場に着けた。
最近加害者臨床してるので「暴力団員へのSFA」とかいう発表を聞く。なんか、ソリューションなのか、動機づけ面接なのか、非両立行動分化強化なのか、それらの区別がなされてないのか、ちょっとごちゃっとしている。まあ似ているっちゃ似ているのかもな。質問しようかと思ったけれど、あとでワークショップもするそうなのでそこで詳しく聞くことにしよう。

続いてはカサンドラ症候群?のケースとか。いや、まあカサンドラ症候群ではないというか、そもそも夫が「ASDではない」と診断を受けたと。あれ、でも待てよ?そんな受診にわざわざ行ってくれる夫は結構いい人だし、そもそもこのカウンセリングにも誘えば当然来てくれるはずなんじゃないの?
そう思ったから後で聴いてみたら、やはり第一回目にクライアントから夫を連れてくることを提案され、夫婦を扱う自信がないから断り、その事実自体を隠して発表したらしい。ウケる。
夫婦で来るということは面接をより確実に成功に導くリソースだというのに、夫婦で来られることを逆に脅威に受け取っちゃう。やはりブリーフセラピーは家族療法から切り離されてしまっているんだなあ。
心理士がたくさんいる職場なんだから、夫婦同席面接のために先輩に同席SVしてもらうとかして、場数を踏めばいいのに。「心配するな、なんとかなる」だよ。

その後はまたしても合コンに出て、「はぁ?っていうゲーム」をして楽しんだ。あとは遠見書房の遠山さんと雑談したり、なんとお茶を点ててくれるとのことで、お抹茶をいただきつつ、ドシェーザーが来日の際に食べたという、いわくつきのお菓子などをいただく。

午後からは犯罪臨床とソリューションフォーカストアプローチのWSにでた。
なんと言うか、前半の刑務所の処遇カウンセラーの話は、うーん精神分析感が強くて昔ながらの刑務所カウンセラーみたいな感じだった。まあ、
でも、私の知る犯罪加害者は本当に病態水準が軽い人々ばかりだから、きっと犯罪加害者の中にはピンからキリまでいるんだよ。みんな加害者臨床しようね、みたいなコメントをしておく。

子供に対する性犯罪加害の大半は親、教師など身近な人からだけれども、訴えられて刑務所に入る人はそういう人ではなく、むしろ見知らぬ相手に犯罪を犯した人ばかりが入っているというのも、不思議な構造だと思ったが納得した。

つぎの社会産業理工学研究部の先生が何故か心理の仕事で、しかも薬物依存の臨床してる話は、不思議な組み合わせで面白かった。工学部だけあってカプランマイヤーの生存曲線を描いてたのとかも、ブリーフセラピーっぽくなくてよかった。まあでもやっぱりソリューションフォーカストアプローチなのか、動機づけ面接なのか、非両立行動分化強化なのか、ごちゃってしてるのは否めない。まあでも、それは何でもいいんだよ。説明に過ぎないから。

大事なことは、データを出すことだと思うので、データを出せば自分の間違いも分かるし、認知行動療法だと言っても差し支えない。

いやー、終わった。よかった。
ブリーフセラピー協会は、辺に玄人っぽくないと言うか、純然たる素人の人が多くて、門戸が開かれてて風通しがいい感じが素晴らしい。聞けばこのご時世に学会員もどんどん増えていっているらしい。

なんとかなるもんですね。

私もほったらかしの企画、ブリーフ王者統一決定戦に、いよいよ取り組まないといけないような気がしつつも、めんどくさい。

また気が向いたら参加しよう
投稿者: 西川公平
2019-11-26 13:13

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