2018/11/02: CBTセンターを作った理由

CBTセンターは滋賀県にある(最近京都にも支店ができた)。作ったのは十数年前だと思う。
当時は認知行動療法は今ほど知られていなくて、県内にそれを行う機関はなかった。
色々な紆余曲折の末「まあ、無いのであれば、作ればいいか」となったわけだ。

それから十数年経って、じゃあ認知行動療法を行う機関が増えたかと言うと、、、増えたような気もするし、増えてないような気もする。
幾つかの機関では、共に学んだ仲間たちが認知行動療法を初めている。そういう意味では増えている。
一方で、認知行動療法を必要としている人々全てに届いているかというと、それは全く届いていない。それはとても残念なことだ。
更に困ったことに、クリニックやカウンセリングルームが、割と気軽に「うちでは認知行動療法をやってます」と名乗るようになっている。

それはさておき。

CBTセンターを作った理由は、「困っている人たちに救いの手を差し伸べたい」みたいな、高尚な理由ではない。
1つはお金が理由で、私はカウンセリングの技術しかお金に変換できるものを持っていなかった。したがって、生きていくためにカウンセリングを始めた。これはまあ、実験みたいなもので、果たして認知行動療法で開業して食べていけるのかという体を張った実験。まあ、現状なんとかかんとか食べられなくもない。
開業したもう1つの理由は、私は当時、上手になりたかった。臨床の技術さえ一定水準あれば、まあなんとか食っていけるのではないかと思っていた。そしてカウンセラーとしての技術を高めるためには、一定数のクライアントさんにカウンセリングを行う必要が、しかも、幅広いジャンルの人々に行う必要があると思った。
医療機関で働いたり、学校で働いたりすると、医師や教師は「こういうのがカウンセラーには向いているだろう」というフィルターを掛けてクライアントさんを振ってくる。それはそれで良いのだけれど、それだけでは目をつぶって象さんを撫でてるみたいなもんだ。
開業にはWEBを通じて自ら申し込んでくる人も来れば、精神科の病院を退院して紹介されてくる人まで、つまり病態水準が軽い人から重い人まで様々な人が来る。大体の所、産業カウンセリングやスクールカウンセリングや大学の心理相談室のクライアントは軽く、入退院を経て来るクライアントは重い。そうは言っても、基本的に開業カウンセリングに来るクライアントさんはとても軽い。クリニックに来る人々よりもなお軽いと言える。
私は、軽い人は軽く治し、重い人はしっかり治すというのが、どちらもとても大事なことだと思う。
しかし、上手くなるために、と始めたCBTセンターだが、どうやら施術人数が増えるだけでは上手くなるのも頭打ちになるらしい。施術数は大事で、300人ぐらい見ないとまともな臨床家にはなれない。そうして500人1000人ぐらいまでは技術も上がってくるが、現状2000人を超えると、数だけではどうにもならない。
それにしても、それぞれのクライアントさんに、それぞれの世界でしている経験を語ってもらうことが、ほんの少しずつ私の世界に対する理解と知識を修正してくれていると思う。いわばこれは、クライアントさんの経験を「喰って」いるみたいなものだとひそかに思っている。
あと、開業すると様々な雑務がある。正直カウンセリングの時間より雑務の時間のほうが多いんじゃないかと思うぐらいだ。しかしそれも、カウンセラーに足りない「現実感覚」を学ばせてくれるものとなる。

数見るだけでは足りないと思って、次に作った装置が「CBTを学ぶ会」、いわゆる事例検討会だ。ここで自分の事例を検討したり、他人の事例を検討したりすることによって、私自身の限られたものの見方を拡張しようと試みた。あるいは私ではない人が、私ではない場所で、色々な困りごとの解決を試みているのを見聞きすることも、勉強になった。特に、医師や、看護師や、作業療法士など、心理士以外の職種の方の意見は勉強になった。滋賀でやっている勉強会は140回を超え、途中から始めた大阪の勉強会も70回を超えた。
同じような見地から、学会発表もたくさんした。数えると100回以上発表などをしている。
事例をまとめるのはとても勉強になった。自分では事例について常に間違った理解をしているつもりがあるので、それをまとめつつ修正していくと、自分の中にあるおかしなな「セラピスト/クライアント/認知行動療法かくあるべし」みたいな決まり事が徐々に解消されていった。
事例報告も、スライドでまとめるのはもちろんのこと、許可を取って録音/録画で出してみたり、逐語で出してみたりもした。また他人の陪席に入ったり、入られたり、ロールプレイや模擬面接をしたり、上手くなる余地があるやり方は一通りやってみた。
認知行動療法は、現実を見つめる上でとても役に立つ技法だ。結局の所、数多くの発表を通じて、自分のセラピストとしての現実を見つめる作業となった。
学会発表は、時として「上手く行ったケースだけ発表」という側面を持つ。100回空振りしてても、奇跡の一回ホームランみたいなケースを出せば、あたかも上手くいってるかのように見せることすらできる。介入全体のどれ位が良くなって、どれぐらいは良くなっていないのか、マスで治療成績を発表することも時々していた。これは辛い残業になるのだけれど、ある種の“通知表”感があり、まあ自分は、こんなもんの治療成績なんだなと分かる。楽天的な人はうまく行かなかったケースのことを忘れ、悲観的な人はうまく行ったケースのことを忘れるが、そのどちらのバイアスにも陥らないように、適宜修正する手段が治療成績の全体発表だ。

そうこうしている内に、CBTセンターにも他のスタッフが入ってきたり、CBTを学ぶ会でも実践上認知行動療法をやりますという人がちらほら出てきたり、スーパーバイズを受けたいという人が出てきたりしたので、それらの育成にも携わってみた。同じ病名のクライアントさんに同じ認知行動療法を行おうとしていたとしても、違うセラピストは、どうやら相当違う認識にある。しかしこういった「育成ゲーム」的なものも、いくばくか自分の技量を上げてくれるのではないかと思った。ケーススーパーバイズを通じて、バイジーはアドバイスのとおりにやったりやらなかったりする。それはすなわち、自分なら通らない道を通ることになる。自分の通らないミニの先に何があるのかは、バイジーに訊いてみないとわからない。
もともとCBTセンターは私が使っている「心理士を鍛える装置」なので、いわばトレーニングジムみたいなものと思えば、きっとスタッフたちも自前でトレーニングをしていくことだろう。
また、バイジーへの指導を通じて、「自明のことは説明できない」ということも判った。
例えば、とある後輩がうつ病の治療について訊いてきて、「それは強迫だよ」と答えたことがある。実際の所、語られていない強迫症状がいっぱいあったようで、後輩が「どうしてあの会話から強迫を見抜いたのか教えてくれ」と詰め寄ってきた。うーん、でもまあ、強迫は強迫だからなあ・・・、と歯切れの悪い答えしかできなかった。その行動がどのクラスに属するかという感覚。例えば、うつ症状なのか、強迫症状なのか、神経発達症なのか、どれにも属さないのか。
そしてそれらを自分の好きな疾患や治療法に変に寄せてしまわない中立性もまた大事なことだと思う。寄せてしまったら最後、もうクライアントさんじゃなくて、自分の頭の中の妄想との会話がスタートしている。

しかし、そうして上手くなりそうなことは一通り試してみたのだけれども、最近伸び悩んでいるというか、どうすれば上手くなるのか判らなくなっている。去年の自分に比べて今年の自分が上手いかと問うても、よく判らない。いわゆるスランプだ。もはや落ちていく一方なのだろうか?

これはいっそ、認知行動療法系の何かに行くことからちょっと離れて、別の療法や流派の勉強をすることによってマシになるのだろうか?とも思って、ブリーフセラピーだなんだとあちこち行っては見たものの、まあ面白いっちゃ面白いけれど、腕が上がるかというと別にそうでもない。まあでも、探索は今後も続けていくけれど、片手間につまむ程度ではブレイクスルーという訳にはいかない。
そう言えばその昔、臨床上がりの大学教員に「臨床ばっかりしてると飽きるよ」と言われたこともあった。幸いにして、今の所臨床には飽きが来ない。新患のたびにワクワクするし、毎回面接していても、とても楽しい。
おそらくアカデミアに向かないのは、世界の真理を深めたいとか、あまねく普及に努めたいとか、自分の派閥を増やしたいとか、そういう欲求が少ないからじゃないかと思う。およそ権力というものにまるで向いていない。まあ、そっちに行って上手くなるルートが見えないというのあるけど。

かと言って、金儲けに走れるかというと、これまた微妙で、商売は苦手ではなくむしろ得意な方なんだけれど、そこそこ商売が成立しているなら、それでオッケーじゃんと思って、そこまでやる気が起きてこない。

ここまで書いてきて、あんまりにもクライアントさんへの言及がなく自分勝手な雰囲気けれど、まあ上手くなればそれはクライアントさんに還元されるって感じで、勘弁して欲しい。

うーん、困ったなあ、ということで、京都支店を作ってみた。発想の飛躍がすぎるが、一定水準認知行動療法の技術を持つセラピストをもーちょっと増やせば、もう少し面白い展開が待っているのではないかという勘に身を任せて、ジャンプしてみた。

そんなわけで、「私は認知行動療法を習得したいぞ!」という方は、ぜひうちに来て下さい。未経験の方のための研修制度もあります。OJTもあります。
給料はさして高くないですが、ただ鍛えるということに関していえば、セラピスト天国な職場です。臨床に我が身を委ねたい人とか、いろいろな種類のケースを一定数持ちたい人とか、この先どこに行っても一定水準臨床現場で機能できるようになりたい人とか、上手くなるためには悪魔に魂を売っても大丈夫な人とか、募集中。
ちなみにうちは、基本的なことは一応教えるものの、徒弟制ではないので、師弟関係とかではありません。スタッフは割とみんな好きにやってる感じです。

社会保障もあって、産休育休までありますので、ぜひご検討下さい。
このエントリーをはてなブックマークに追加
投稿者: 西川公平
2018-11-02 17:37
カテゴリー: 雑談

Comments

コメントはまだありません。

Add Comment

TrackBack

トラックバック

トラックバッックはありません。