2007/07/01: 東京認知行動療法研究所

先日原田メンタルクリニックと併設の東京認知行動療法研究所にお邪魔した時の話

これで東京認知行動療法研究所にて発表するのは三回目だが、毎回色々と新たな発見があって面白い。

そもそも原田誠一先生のグループ(旧武蔵野グループ)は学会発表を聞いていても気になる存在というか、すごく興味をひかれるおもしろい存在だ。
基本的に実践グループなので、難治例を大量に診たりしながら認知行動療法を精神医療の臨床にFitさせるための工夫が随所に散りばめられているのは言うまでもないが、積極的に海外の文献を訳出したり、学会発表を行ったりという研究者としての側面もあり、すごいものだと思う。

まあ、そこで発表させてもらうのは胸を借りに行くようなつもりで、いわば出稽古だ。
私は若くして開業するという選択肢をとったので、そのような各地の研究会への出げいこや、自分の勉強会・研究会などが必須の修練になっている。

さて、発表は三回を経て徐々に深まりを見せ、かなりコアな部分までをテーマとして取り上げられるようになった。
しかし、そのテーマとなったコアな部分はおそらく原田グループと見解を異にする部分で、それに対するディスカッションはなかなかすごいものだった。発表自体は1時間強ぐらいだが、ディスカッションも同じぐらいあった。

原田グループが臨床上重要とするポイントと、私が重要とするポイントはほぼ一致している。
しかしその扱いや順序や重みが違う。その違いは結構大きな差だ。
帰りの夜行バスの中で、いろいろディスカッションしたことを反芻しながらいろいろ考えていた。

おそらく動機付けというもののポジションが違うのだろうなと思うんだけど、「動機付け⇒心理教育⇒介入⇒成果」と一般的に説明されている流れは、私にとって必ずしもそうではなく、「介入⇒成果⇒動機付け⇒心理教育」という流れが往々にしてありうる、みたいな話です。
正確には「(ミニ動機付け)⇒(ミニ心理教育)⇒介入⇒成果」みたいなミニマムセッションを先に入れることで成果をあげ、その成果⇒動機づけによってそれ以後の治療の促進にしようというやり方だ。
そもそもそれらの流れというのは、「入れ子構造」になっている。雪玉を転がして大きくしていくように、動機と成果は表裏一体で、どちらが先ということもない。
入れ子を小さくみてみれば、心理教育の中にも一定の動機づけがあり、介入があり、成果がある。たとえば「自分の症状や何かについて話を聞くこと・知ること」というのは、ある意味治療者主体の暴露であり、その部分が再構成されることは成果である。ミニマムセッションだ。

「やる気が出るからできるのではなく、できるからやる気が出る」みたいな話ですが、たぶん行動療法系に近い考え方だろうと思う。
認知が行動を変えるように、行動も認知を変える。動機づけという認知的な側面を必ずしも認知療法的なやり方で扱う必要はなく、むしろ実際に治療行動を行うことによって動機が発生するというのもある。おそらく前者と後者では5:5か4:6ぐらいに後者が多い。

まあでも、こんなマニアックな話ができるのも勉強会や研究会ならではで、ずいぶん楽しいものです。
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投稿者: 西川公平
2007-07-01 11:50

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