タイトルは「Aセラピーがうまくなる」と「B何をする」から成り立っている。
まずAについて、何をもってセラピーが上手いと言えるのだろうか?
認知行動療法はエビデンスbased medicine(効果実態に基づく医療)と割と仲良しなので、上手くいっているか否かを、これまでの論文になっている治療実績と自分のアウトカム(治療実績)とを比べて、まあ、上手くいっているとか、プラセボと変わらないとか、評価することが可能だ。
例えば私の不眠症に対する認知行動療法の治療実績は寛解が約8割で、これは他の不眠症に対する認知行動療法と大体同じ成績と言える。不思議なもので、行動療法風のやり方であったり、マインドフルネス的なやり方であったり、結構やり方が違っている人々でも約8割が治るから、不眠症の標準的な治療成績なのかもしれない。
その他の治療成績も、かつて出していたことがあった。スクールカウンセラーのアウトカムとか、産業カウンセリングのアウトカムとか。古くは電話相談のアウトカムとか、デイケアのアウトカムとか。
カウンセリングの世界は、結局のところ胡散臭いので、中には「すごく上手くいった一例」を素敵な物語として語る事で、あたかも上手なセラピストのように雰囲気を醸し出すことも可能だ。そうじゃなくて、その母集団において関わった人全体がどうなったのかを出す事によってしか、それが上手くいったかどうかの判断材料を作れないと思う。
ある年の個人的な治療成績を出して、次の年も出した時、前年よりいささか良くなっていたとすれば、セラピーが上手くなったという現象が数値として抽出できる。実に認知行動療法的だ。
しかしBに関しては、なかなか難しい。
私が自分の技術向上を信じて自分なりにやってきたことが、他の人にとっても参考になるかどうかも分からない。
そういった技術向上は、例えて言えば、「FIレースでタイムを縮める」のに似ている。そもそも車体があり、エンジンがあり、タイヤがあり、レーサーがいて、という状況で、どうやってタイムをあと1秒縮めるかという時に、細かなネジ1つ、ウィングの角度1つとっても影響してくる。
レースは鉄と科学でできているが、我々のカウンセリングはほとんど言葉で構成されている。つまるところカウンセリングの工夫とは、「何を、どう聞くか」と「何を、いつ、どう言うか」だけの事である。訊こうとしていることをうまく訊けないとか、言おうとしていることを上手く言えないとかは、クライアントの側にも勿論あるが、セラピストの側にも大いにある。まずい面接では、まず会話が成立していない。それは、あえて言えば国語の問題である。
あと、もしセラピストを目指している人がいるとすればお勧めしたいのは、色々な種類の本(専門書に非ず)を読むことと、色々な種類の人と話をする事です。色々な種類の人というのは、逆に言えば、自分の周りの世界には自分と似た肩書きの人しかいないわけで、違った世界の違う人と会って話をすることはとても大事な事だと思う。
「自分を変えるための自分と異なる刺激を自分の周りに配置する事」これがまあ、私がやってきた修行のようなものと言えよう。もっと平たく言えば自分を崩す事で、少し前の自分よりマシになろうとしていくのが、良いセラピストになる道なのかもしれない。
Pomta on 2015/05/07 2015-05-07 23:55
不登校に対するCBTを腰を据えて学ぼうと考えているのですが、
>スクールカウンセラーのアウトカム
中学生の不登校では、西川先生のご経験では、あるいはCBTセンターにおける再登校率はどのくらいですか?