2014/09/16: 学術集会という場の機能

週末、認知療法学会に参加してきました。そこで出た話題の1つが、“学会という場の機能”についてでした。
「このままではいけない…」「面白みを感じない」とか、「来年は参加しないでおこうと思う」など、やや暗い方向へ話が流れていました。

学会の機能とは…学問や技術の習得に・自分の業績を積みに・日頃の疲れを癒しに・観光に・旧友との飲み会に・合コン…etc. いろいろあるそうです。職場外の理解者を求めて・自分の下手さの言い訳をするために・役員会に出席するために、などもあるのでしょうね。

最後まで話に参加していなかったので、この後、話がどう展開したか分からないのですが。今回の学会が、個人的には得るモノがありとても楽しかったので、以下、私なりに学会という場の機能や面白さについて書いてみたいと思います。

●「技術を学ぶ」ために学会に参加する。こういう人は、一定数いると思います。
臨床技術を身につけたい時、事例に触れて学ぼうとします。例えば、学会、CBT関連研修、地方/都市部のCBT勉強会などで。大学院ではなかなか他のケースを見せてもらえなかったり、職に就いてからも心理士という1人職場であったり、CBTというマイナー種で職場内では浮いた存在であったりして、結局は外に学ぶ場を求めることが多くなる気がします。
そんな時、1番敷居が低いのは、学会だろうと思います。オリエンテーションが異なったり、知り合いがいなかったとしても、学会は大勢の人でごった返しどさくさに紛れられますから。


●私にとって学会とは、どんな機能を持っているか。
私はCBT出身ではなかったので、当初、繋がりが全くなく。1番身近にアクセスできる学びツールは、Amazonで買える本でした。が、なぜかマンガ以外の本はどれも半分残して棚に納めてしまい。睡眠学習ならぬ、本棚学習。。結局は、学会を始めとするいろんな臨床家の話を直接聞いて学ぶという機会が増えて行きました。一方通行の本と違い、分からないところはその場で演者に聞けますし(臨床技術を向上させるには、事例を扱う場でケースを出しコメントをもらい、その後の飲み会に混ぜてもらうのが1番と思うようになりましたが)。

沸々してきた不安を緩和するために、今回の学会で、4名の先生方とシンポをさせてもらいました。私的にばたばたしていたので間に合わないかと思いましたが、各先生が配慮くださり無事開催できました。
もし今回のような機会がなかったら、[ダメもとで各先生に施設訪問のお願いをする→菓子折り買う→福井から特急と新幹線を乗継ぐ→慣れない都会を歩きまわる→ど緊張状態で施設敷居をまたぐ→泊まって→翌日帰る]×4施設です。経費は最低3.5万円/回×4回分で=計14万円かかったはず。更に、気疲れというコストが加わることになります。

某田中先生が、[価値(Value)=機能(Function)/コスト(Cost)]という、マッキンレー?マッキンゼー?の話を紹介されていました。
無事開催し終えた結果、当日も当日までのプロセスも、とても楽しく有意義でした。なんせ、その道のプロ4名に、自分が聞きたい話を聞けたわけですから。こんなに価値ある場はないなと思いました。


●なんのために、誰のために場をもつか。
愛媛県で摂食障害当事者女性が参加できる自助グループ「リボンの会」を10年継続している、代表の鈴木さんのお話が聞けました。『代表というより言い出しっぺ。私たちに対人関係の不器用さはあるものと受け入れた上で。私自身が楽しめる場にしようと思いやっている』的なことを言っておられて。ハッとしました。自分が楽しめることやるのが1番なんだ、と思いました。

でもあれですか。ベテランになると…学会という大きな組織になると◯◯委員会に追われるとか、収支の管理が大変とか。ディスカッションの質が物足りないとか、与えるばかりで得るもの少ないとか。機能は小さく、コストばかり大きくなる。
いろいろあるかと思いますが、この場が今後も末永く続き、個々の会員が自分の好きなようにこの場を利用していけたらいいなと思っています。
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投稿者: 別司ちさと
2014-09-16 19:21
カテゴリー: 雑談

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