2007/06/14: 久野語録②

「強迫行為・強迫思考の行動変容について」
http://ykuno.jugem.jp/trackback/255
ちなみにこのブログは久野先生のブログの剽窃です。今風に言えばリスペクトです。

専門家が専門用語を使ったブログを書いているのを、どこまで翻訳できるかやってみました。

久野先生にとっては行動理論は空気か水のようなものなのですが、私にとっては臨床上の現象を表現する面白い言葉です。多少の意訳もあります。
特に今回は翻訳をした事で、前から疑問だった「なぜ順応の無い治療」という事が臨床的に起こるのかが明白になりました。

*****以下翻訳*****
しばらく子供の話題が多かったので、今日は大人の話をします。
不安障害圏(例:強迫性障害、社会不安障害や対人恐怖症、パニック障害)の方々の悩みを、行動理論の1つでは「不安がきっかけで困ったふるまいをしていたら、それがクセになった」のだと説明しています。
もう少し詳しく言えば、最初は自然と不安になってたのだけど、それを”何とかしたくて色々工夫”している間に、その工夫でちょっとは楽になるのでやめられなくなったのだと説明しています。
さらに言えばこの”何とかする工夫”の違いがすなわち病名の違いだと言えます。
強迫性障害の方は、積極的に不安を何とかしようと頑張って行動します(積極的回避行動)。例えば手を洗ったり、戸締りを確認したりです。
一方で社会不安障害や対人恐怖症の方は、同じく不安から何かをしないでおこう(消極的回避行動)とします。例えば学校にいけないとか、人に会えないとか、乗り物に乗れないとかです。
もちろん強迫性障害の方々も消極的回避(例:汚れるので外出しないでおこう)をされますし、社会不安障害の方も積極的回避(対人場面でよく水を飲んだり携帯電話をいじる)をされますが、バランスの問題です。

これらについてもう少し理屈っぽい説明が欲しい方は、今田寛さんの学習心理学の本やハルの行動の基本(河合伊六訳:ナカニシヤ出版)などをお読み下さい。久野先生のの『行動療法』にも多分理屈っぽい記述があります。

さて、強迫性障害でくり返して不安になる考えが浮かんできたり、くり返して不安を下げる行動を取ったりする事をどうやって解決すれば良いでしょう?
久野先生の講義ノートの一説を翻訳してヒントを得てみましょう。

【回避行動】
まず何かのきっかけから不安が沸いてきた時、そのきっかけと不安の関係を離すというやり方が考えられますが、手ごわい症状ではうまくいきません。そして大抵の強迫症状は手ごわいものです。
その理由は「回避学習」と呼ばれる第二の仕組みが関わって二段構えになっているからです。
不安を「何かをする」事で減らせた時、その工夫は本人の中で機能し、維持され、生活しづらいぐらいに増えてしまいます。これが強迫性障害の基礎的な仕組みの一つです。
詳しい説明は省いて具体的に書くと、「ドアのノブを触って汚いと感じる仕組み」が第一の仕組みで、「汚いのを何とかしたくて手を洗うと安心するという仕組み」が第二の仕組みです。
この二つの仕組みが強迫観念にも強迫行為にも関わっています。

また不安が沸いてきた時、逆に「何かをしない」事でそれを減らせた時、やはりその工夫は本人の中で機能し、維持されされ、生活しづらいぐらいに増えてしまいます。ここにも「回避学習」は顔を出します。
すなわち「誰かと会う前に嫌われるんじゃ無いかと不安になる」のが第一の仕組みで、「会うのをキャンセルする事で安心する」のが第二の仕組みです。
これが社会不安障害や対人恐怖症、パニック障害の基礎的な仕組みの一つです。

「何かをする事で不安を減らす仕組み」が多すぎる困難へのアプローチと、「何かをしない事で不安を減らす仕組み」が多すぎる困難へのアプローチはいささか違います。
ある方が主に「何かをする系」で困っておられたら、ひょっとして強迫性障害などになるのかもしれませんが、その中にも幾つかの「何かをしない系」の困りごともあるでしょうし、それぞれに応じて色々アプローチを変えていく必要があります。
「**病へのアプローチ」というパッケージにはその点でまったく融通が効きませんのでご注意下さい。治療がうまく行かない場合は、うまくいってない事を把握して工夫してみてください。

さて、ここまで第一・第二の仕組みといった二段構えの説明をしてきた事には理由があります。それは治療をこの二段階にあわせる必要があるからです。
第一の仕組みを何とかする為には「暴露法(Exposure)」と呼ばれる方法が用いられ、第二の仕組みを何とかする為には「反応妨害法(Response Prevention)」が用いられます。
「暴露法(Exposure)」が目指すものは、第一の仕組みの解消で、それほど不安にならないのがあたりまえな状況と、そこから出てくる常識はずれの不安のむすびつきを切り離す事です。
具体的には、対人恐怖の場合には人、乗り物恐怖の場合には乗り物、不潔恐怖の場合には汚いと思う物、鍵の確認の場合には開いているドア)の状態にチャレンジしてもらい、必要ならその状態をキープしてもらう事がその手続きになります。
それがどうして切り離す事になるのかというと、例えば熱い湯に浸かり続けているとだんだん熱さになれてくるように、刺激への順応(habituation)が起こるからです。
しかし確かに順応は暴露法の一つの大きなプロセスですが、本質的には第一の仕組みが切れることが作用なので、必ずしも順応が必要が無い場合があります。
その場合は本来それほど不安にならないと常識的に判断できる状況で常識的に不安が上がらなかった、つまり手ごわくなかった症状という事で第一の仕組みが切れます。

認知行動療法では暴露=順応としているので誤解が生じ、あたかも順応が起きなければいけないかのようになっていますが、実際の臨床場面では順応の無い改善も往々にしてあります。

さて第二の仕組みをどのように解消するかについては、引き続き久野先生のブログをお楽しみ下さい。

さらに行動療法の別の派閥では、このような「不安の生起と、不安の解消」という二段構えとは違う説明法もあって、当然この説明法における治療のあり方も違ってきます。それについても久野先生のブログをお楽しみ下さい。
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投稿者: 西川公平
2007-06-14 16:31
カテゴリー: 久野語録

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