認知療法における認知の歪みについて書いてみました
自分で書いたの忘れてましたが、その①もありました
http://cbtcenter.jp/blog/?itemid=183
先日京都の認知行動療法を学ぶ会に参加した際、井上和臣先生が「『この人の認知は歪んでるから、認知療法お願いします』というのは、認知療法をオファーするうえで最悪の勧め方だ」とおっしゃっていて、「確かに!!」と吹き出したのだが、一方で最も多いオファーはそれだったりする。
逆に言えば、認知行動療法家からしてみれば、そういうアホっぽいオファーについても慣れっこなので、いまさら一々とやかく言う事は無く、「ああ、はい、判りました」てな感じで引き受けている。つまり諦めている。
深淵を覗き込むというほどではないが、結局こっちが医療機関にリファーする時紹介状に書いていることも、向こうから見てアホっぽい事書いているのだろうなとは思う。
お互いが目をつむりつつの関係性だという事だろう。
まあしかし、慣れっこだとか言っていても癪に障るので、せっかくの機会だし、なぜ『この人の認知は歪んでるから、認知療法お願いします』というオファーが最悪なのかについて言葉に書き起こしてみたい。
できれば、じゃあどういう風にオファーすればいいんだ?という事も考えてみたい。
まず考え付くのは、認知療法とは歪んだ認知を正しい認知に修正する事を目的としている治療法では”全くない”からだ。(論理療法とかはそうかもしれない)
それゆえに、そういう事をしてくださいという勧めは、経済学者にお金持ちになる方法を教えてと尋ねるのに似て、お門違いだという事になる。
認知療法は、患者さんとともに、認知というものにはあれこれ幅があるのだという事を、現実的な観点から検討していく療法である。
その過程において認知が修正されることもあるかもしれないし、無いかもしれない。いずれにせよ、「正しい認知がある」というのは患者さん側の発想であって、治療者側がそういったことを述べたときに、まさしく認知は歪んでいると思う。
正しい治療者―間違った患者的な二項対立から少し脱却しようと試みていることが認知療法のいいところだ。
しかし一方で、認知療法は「誘導的発見」を行う。誘導するからには、誘導する先についてある程度知っていなければいけないだろうし、それはつまり治療者とは知る人ではないかというご批判もあるだろう。
たしかに認知療法は「誘導」する。しかし誘導の方向は、正しい認知と間違った認知というような、どっちにせよ狭く間違った隘路にではなく、いわゆるソクラテスの誘導「あなたの言っていることは唯一無二の現実ではなく、あらゆる認知的可能性の一つかもしれない」という、フレキシブルな方向性への誘導だ。
そういう意味では、「この人の認知は少し頑ななので、もう少しほぐしてあげてください」のようなオファーの方がより認知療法っぽい。
ただ、よくよく考えると、私自身は認知行動療法をオファーすることは全くないので、どういう風にオファーしたらよいかについて良く判らないと気が付いた。
強いて言えば、「どういう風にオファーしてもらえると嬉しいか」という事ですが、それは・・・・。
うーん・・・・。
・・・・・。
診断と投薬がきちんとしているのが、一番ありがたいです。