金剛出版さんから、下山先生編の「認知行動療法の最前線」が出ます。
お歴々の先生方に混じってなんでか一筆書かせてもらいました。
ぺらぺらと好き勝手を書いていますが、平気で書いているわけでもなければ、正気で書いているわけでもないので、いったい何を考えて書いているのかという執筆に関するメタ認知について書いてみます。
・認知行動療法への時代的要請:下山晴彦
・認知療法・認知行動療法が保険適用になったことの意味:大野 裕
・認知行動療法のエビデンスを批判的に吟味する:古川壽亮
・認知行動療法セラピストの教育訓練と活用:精神医学の立場から―英国モデルを千葉に―:清水栄司・小堀 修
・認知行動療法セラピストの教育訓練と活用:臨床心理学の立場から:伊藤絵美
・認知行動療法実践における精神科医と臨床心理士の協働:原田誠一・林潤一郎・勝倉りえこ・杉山佳寿子・ロンバートはるみ
・精神科看護における認知行動療法の活用:三上勇気
ココ→「教育界や産業界における認知行動療法―開業カウンセラーの立場から―:西川公平」
・認知行動療法と脳科学―CBT はどのように脳を変えるか―:袴田優子
・コンピューターによる認知行動療法の現在:福井 至・川副暢子・小松智賀・貝谷久宜
私は何かを書いた後で、読んだ人が好きなように何でも解釈すればいいと思って書いています。
例えば音楽が人の心にどう響くかは、それは受け取る側の話なのであって、面白かった人もいれば、つまんなかった人もいるだろうけど、まあそれはそれで仕方がない。
しかし、いちおう書いて金をもらうんで、少なくとも事前に2つの分析(出版社(偏者)の意向と、読者の傾向)が必要と思ってます。
要するに「金剛出版(下山先生)は何を思ってこの歴々の中に私を放り込んだの?」という事と、「精神療法を普段読んでいる読者はどんな人たちで、何を求めて雑誌を買っているの?」の2つですね。
なんなら産業界にも教育界にも、「我こそが認知行動療法の第一人者」と呼ばれたい、呼んでほしい、そういうブランドイメージを築いていきたい人々で溢れかえってている。
彼らの最前線は基本デマゴーグの最前線なので、臨床の技術が全然上がっていかず、いつも同じ立ち位置。
同じ位置に立って人より先んじるためには、なるべく顔を逸らせて、胸を張って、鼻を突きだして、競馬の写真判定よろしく「俺が一番だー」と大きな声で叫び続けるしかないわけで、つまりそういうのじゃない話を書かないとなあと。
要するにパッケージの集団認知行動療法でコストエフェクトの話とかは、そういうのを書きたい人に書かせればいいはずなので、それを書いてほしいなら私を選ばないはず。
かといって、集団認知行動療法が、個別の認知行動療法に比べて効率が良いなんていうデタラメを、このままのさばらせておくわけにもいかないなとも個人的に思ったので、同じようにつまらない「俺が一番だー」レースで、ちょっと嫌なデータを載せてみた。
それはCBTじゃない読者から見ても、CBTな読者から見ても、どっちからでもちょっと嫌なデータかな。
さらに臨床の話も入れたので、ますます的が散じた感もあるけれど、まあ申し訳ない。
とりあえずは「CBTから見た業界」というものを書いてみるのが試みの一つでした。テーマも「産業と学校」という並列だったし。
学校のCBTとか、産業のCBTとかの話はあっても、CBTから見た学校界や産業界という話は、ありそうでなかったかも。(もちろん精神療法から見た「学校界」や「産業界」の話は既にある)
もう一つの読者分析は良くわからなかった。正直に書くと「精神療法」という雑誌をこれまで一度も見たことがなかった。
そこで、編集さんに頼んで3冊ほど送ってもらい、また京都認知行動療法カウンセリングルームの吉田先生にバックナンバーを借りて、数冊読んでみた。
印象としては、
・昔からの精神科医療のトピックを提供してきた雑誌かな
・精神病理学?かわからんけど、とにかく長らくの購読者に認知行動療法を大好きって人もあんまり居ないのでは
・要するに安定して経費で落とされ続ける類の保守8スパイス2的な感じかな
・精神科医療で「精神療法」に興味を持ってる人たちって、たぶんちょっと変人で、変人と言われて喜ぶ人たちかな
と勝手に思ったので、そういった自分の妄想も参考にコンセプトを組み立ててみた。
あとこれは自分の趣味で論文であれ、学会発表であれ、雑誌投稿であれ「表で言っていること」と「裏で言っていること」を重ねてクリーミーにしたミルフィーユ状のものをお出しすることが多い。
違う言い方で言えば、編者と読者の意向をキャッチ(妄想)しながら、その意向に表で乗るように見せて、実は裏で乗るつもりがない文章構成を目指した。「意向に乗るようで乗らない、反るようで反らない玉虫色路線」てとこです。
1例を挙げれば
[A:パッケージのCBT最高・コストベネフィット良い⇔B:オンデマンドでCBTを使用すべし]
という対立構造のB側を要請されていると仮定すれば、一応乗りつつあえてCをつっこむ
[[A:パッケージのCBT最高⇔B:オンデマンドでCBTを使用]⇔C:それってCBTてな話なの?それ以前の話じゃない?]
みたいな、ちょっと変態的な構造を作るわけです。
⇔D:それってそもそも病気と呼べるもの?」とか、
⇔E:そもそもこの企画どうなの?」とか、
ま、何このめんどくささと思われるかもしれませんが、あくまで趣味です。
その趣味のために文字数オーバーしたの?と言われると、しゃべれと言われてる事が判らないのは嫌だけれど、言われたとおりにしゃべるのも嫌なんだから、「はい、そうです」としか言いようがない。
まあでも、言い訳させてもらうと、さっきの「変人〜」の下りをもうちょっと違う言い方で書くと、色気とも言えるんじゃないかなあ。
雑誌「精神療法」の読者は、CBTの提唱するモデルの”あまりの色気のなさ”に辟易しているのではなかろうか。
お前は学級委員長君かと言いたい。
あるいは、アメリカのCM「うちの商品は良い。だから買え」的な情緒の無さが、人の気持ちを萎えさせている。
結局のところ、文の構造としては揺れているので読みやすくない・・・。
結局筆者の言いたいことは2転3転してるとも読まれるだろうし、読者の意向がABCDE・・・のBのみだった場合、他は例外として無視されるとも思う。
そんなこんなを考えながら文章を書いています。
一風変わった心理士の小堀 on 2011/02/07 2011-02-07 16:52
感想は後ほど・・・(とりあえず読んだということを伝えたかった)。